8.クララは信じた道をいく
「……ついにこの依頼が来てしまったのね……」
ここは貴族街の大書店『フクロウ堂』の事務所。
こちらから出向く必要のある仕事の時は、事情を知っている書店の事務所をお借りしている。
その事務所の真ん中で、私は大きくため息をついていた。
「どうしたの? 姉様」
執筆依頼の手紙を確認しながら、弟のルイが不思議そうにこちらを見てくる。
ルイはいつもこうして、私の執筆活動のサポートをしてくれている。
「……恋愛小説の執筆依頼が来たのよ……」
私は手元の新刊にサインを書き入れながら、ルイに手紙を差し出した。
ルイはそれを受け取ると依頼書に目を走らせる。
横で話を聞いていたマリアが、ふと思い出したように話しかけてきた。
「そういえば、お嬢様は恋愛小説を書かれたことはありませんでしたね」
「そうね……あまり筆が乗らないのよ。私自身恋愛をしたことがないし……」
決して、体験したことしか書けないわけではない。
恋愛小説を書こうとしたこともある。
しかし、恋愛を主軸にした話というものは、どうにも書いていて手応えを感じられなくて何度も頓挫してしまった。
「依頼が来るということは、クラヴィスの恋愛小説に需要があるということなんでしょうけれどね……」
「そうだね。まあ姉様は、ファンタジーや歴史活劇の方が好きだものねぇ」
大冒険の小説から日常を記した随筆まで、幅広く執筆するクラヴィスが唯一書いたことのない恋愛小説。
世間の期待の声も大きいだろう。
『クラヴィス先生の作品はどれを読んでも面白い!』
(……あら?)
ふと思い出されたのは、力強く熱弁するオスカー様の姿。
ファンレターでも、クラヴィスの作品はすべて読んでいると言っていた。
(……オスカー様なら、恋愛小説も隅々まで読んでくれそうね……)
自分の心の中に芽生える期待。
(それに……もう、昔の私とは状況が違うわ)
今の私はもう、結婚している。
たとえ契約結婚といえども。
……この結婚生活の中から、恋愛小説を書くヒントを得られるかもしれない。
「……ふふ」
「姉様? なんだか楽しそうだね」
「ちょっとね。……ルイ、マリア。私決めたわ」
身近にいるファンが喜ぶ姿を想像すれば、きっと書ける。
ファンのためなら、新境地だって拓いてみせよう。
「私、この依頼を受けるわ」
私――クラヴィス・クラインの、挑戦が始まる。
*
仕事を終えて帰宅すると、すぐに夕食の時間となった。
食堂で温かい夕食を取りながら、オスカー様と歓談する。
「クララは今日、書店に行っていたと聞いたが」
「はい。……弟と会う予定がありましたので」
嘘は言っていない。
……弟と会うだけにしては、随分書店に長居をしているが。
ぼろを出さないように細心の注意を払っていると、目の前のオスカー様は少し寂しそうな声色で話し出した。
「……次に書店に行くときは、私も誘ってほしい」
……あら。
落ち着きなく何度も水を飲みながらそう話すオスカー様に、思わず頬が緩む。
「誘ってもよろしいのですか?」
「もちろんだ! ……今までほとんど行ったことがなくてな。貴方と共に行くなら、楽しそうだ」
「……それでは、また今度一緒に行きましょうね」
オスカー様からの純粋な好意が眩しい。
私が本好きだと知ってから、オスカー様は私の前でよく笑うようになった。
……彼が気の休まる時間を過ごせているなら、契約の妻としても光栄だ。
話が一区切りすると、それまで朗らかだったオスカー様の表情が、見慣れた硬い表情に変わった。
「クララ。……もうじき社交シーズンが始まる」
「はい」
いよいよ次期公爵夫人として社交の場に出る時がやってきた。
「できるだけ貴方の負担にはならないようにしたいが……どうしても出席しなければならない茶会や夜会などもあるだろう」
「承知しております。……覚悟の上です」
私たちは、大恋愛の果てに結婚した夫婦を、演じなければならない。
結婚の話を受けると決めた時から、その覚悟はできていた。
オスカー様が言うには、早々と夜会の招待状を出してくる家もあるらしく。
そのうちのひとつは、私たち二人が出席しなければならないらしい。
「グレイニー侯爵家は古くから繋がりのある家でね……招待状には貴方の名前も記載されていた」
「それならなおのこと出席しなければなりませんね。出席するにあたって、なにか注意事項などはございますか?」
グレイニー侯爵家は名前しか聞いたことがなかった。
私からの問いかけに、オスカー様の眉間に皺ができる。
……これは、なにかあるようだ。
「……グレイニー侯爵家の、ベアトリス嬢なのだが」
「はい」
「……私の婚約者候補の一人だったご令嬢だ」
「……まあ!」
最重要情報ではないですか!?
そうするとオスカー様は、ベアトリス様含め数人いた婚約者候補ではなく、しがない男爵家の娘と結婚したということになる。
「ベアトリス様とは、普段から交流はあったのですか?」
「元々幼馴染だったことに加えて……誘われて何度か茶会に出向いた。ただベアトリス嬢は……どうにも、私に過度な期待を抱いていたらしく」
「……と言いますと」
オスカー様の表情が、更に苦々しいものになる。
「『私たちなら、王国一の理想の夫婦になれます』、と……」
「ああ……」
……なるほど。
たしかにそれは、オスカー様には荷が重い。
「ベアトリス様から恋愛感情などを向けられていた覚えは?」
「……心当たりは、いくつか」
「そうですか……」
つまり、私はベアトリス様にとって恋敵である可能性がある。
(そうよ、クララ。……こうなることも、予想できたでしょう?)
『氷の貴公子』の妻となったからには、女性の敵意に晒されることも予想できていた。
私は妻として、作家として。
私に向けられるあらゆる感情を受け止めて、作品に昇華させるほどの気概でいなければ。
そうして社交シーズンが始まり、夜会当日を迎えた。
「あなたが、クララ様?」
気の強そうなつり目が、私を見据えている。
「……そうですが」
「……長年オスカーと親しくしていたけれど、こればかりは本当に理解しかねるわ」
上から下へ、品定めするような視線。
「私の名は、ベアトリス・グレイニー。オスカーの本来の婚約者よ」




