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6.文学青年は飢え渇く愛好者



「若奥様、ドレスのデザイン画が届きました」

「ありがとう、確認しておくわ」

「若奥様! 応接間に飾る花はいかがいたしましょうか」

「そうね……たしかラナンキュラスの花が咲いたと庭師のじいやが言っていたわね。それを飾りましょうか」


 公爵夫妻がお帰りになってから2週間。

 本格的に、次期公爵夫人と覆面作家の掛け持ち生活が始まった。

 使用人の皆さんも仕事熱心で、急に現れた私に対しても親切だ。


「お嬢様、ただいま帰りました」

「……若奥様、お待たせいたしました」

「マリア! ルークも……いきなり実家に行ってもらってごめんなさいね」


 使用人たちの名前もだいぶ憶えられてきた。

 今日は二人にお願いして、実家に残してきた私の私物を取ってきてもらったのだ。


「……良かった。これも持ってきてくれたのね」


 私物の入った鞄からくたびれた辞書を取り出す。

 実家で執筆をしていた時の相棒だ。

 リューベルト家に移る時に一旦置いてきたけれど……やっぱり使い慣れた辞書が一番良い。


「辞書、ですか?」

「っ、そうね! ……本を読むときに使っているの」


 物珍しそうに私を眺めるルークに、慌てて取り繕う。

 ……なんだか逆に不自然じゃないかと不安になったが、ルークは特にそれには触れなかった。


「若奥様は、本がお好きなのですか?」

「え? そうね、好きよ」


 オスカー様とは王宮図書館で出会ったという設定だから、私も本好きだと思われているのだろうか。


「ルークは? 読書は好きかしら?」

「少しだけ。……人から勧められて、クラヴィス・クラインの本はいくつか読みます。あれは面白い」

「まあ! ……それは良いわね」


 おっと。

 思わず歓喜の声が漏れてしまった。慌てて平静を装う。

 もしかしたら使用人たちの間でも、クラヴィスの作品はよく読まれているのかもしれない。


 少しだけ気分が上向きになりながら、私は連載中のエッセイを書くために部屋へ戻った。


 *


 その夜。

 オスカーの執務室では、いつものようにルークが業務報告をしていた。


「今日は若奥様の私物をご実家から運んだぜ」

「そうか。ご苦労だった」

「中に辞書があってな……いつもそれを使って本を読むと言っていた」

「……そうなのか?」


 ルークの言葉に、オスカーの眉がピクリと動く。


「ああ。……随分使い込まれた辞書だった。ありゃあ相当本好きなんじゃないか? 若奥様」

「そうか……そうか」


 オスカーは、思わず上がる口角を抑えきれない。

 クララが自分と同じ趣味を持つ可能性に、期待が膨らんでいく。

 ルークはそんなオスカーの仕草を見ながら、苦笑して続ける。


「そういや、若奥様に『本は好きか?』と聞かれたよ。……『人に勧められたからクラヴィス・クラインの本はよく読んでいる』と答えた」

「なに!? ……どういう反応だった」


 その言葉に喰らいついたオスカーは、机の上に身を乗り出してくる。


「なんだかニコニコ笑ってたぞ。少なくとも娯楽小説を下に見ているような雰囲気ではなかったな」

「そうか……!」


 オスカーは今度こそ、喜びを抑えきれないというように満面の笑みを見せていた。


「……なんだか結婚してから楽しそうだな、オスカー」

「……そうか? ……確かに、クララに対しては気負わずにいられるから、リラックスできているが……」


 オスカーはそのまま、机上にあるインク壺に触れる。

 その中には、青みがかった光沢を放つインクが収められている。


「……彼女も、クラヴィス先生の作品を読んでいたら良いのだが」


 オスカーのささやかな願望を、ルークとインク壺だけが聞いていた。


 *


 愛用の辞書が手元に届いてから、随筆の執筆が捗っていた。

 マリア経由で新作依頼の手紙も届いたので、本格的にリューベルト家での執筆活動が始まる。


 図書室で新作のネタに頭を悩ませていると、ふと近くに人の気配を感じた。

 何事かと、振り返る。


「……オスカー様」

「……いきなりすまない」


 オスカー様が、なんだか硬い表情でこちらを見ていた。


「なにかお仕事の資料をお探しですか?」

「いや、休憩で来ただけだ。しかし、その……」


 なにか言い淀む姿に、首を傾げる。


「貴方がよく図書室に来ると聞いた。だから、その……温室を、本を読んで寛げるように整えさせた。良かったらそこで本を読むと良い」

「まあ! ……ありがとうございます」


 まさか私のために、本を読む環境を整えてくれたのだろうか。

 ただの契約結婚の相手である私に、本当によく気を配ってくださる。


 ……ふと、あることを閃いた。


「オスカー様、よろしければご一緒に温室で休憩しませんか?」

「一緒に!?」

「ええ。……ああ、申し訳ありません。決して干渉しようと思ったわけではないのですが……」

「い、いや! ……貴方が構わないなら、行かせてもらう」


 なんとなくオスカー様をお誘いしたら、思いがけず了承が得られた。

 ……しかし、ちょうど良い。

 オスカー様が私のファンかどうか――探ることができるチャンスだ。




 明るい温室の中心に、白いテーブルとクッションの乗ったベンチが用意されていた。

 色とりどりの花に囲まれて、まさに秘密の花園といったシチュエーションだ。


「素敵です……」

「貴方が気に入ってくれたなら、良かった」


 周囲を見渡しながら花々に見惚れていると、オスカー様も嬉しそうに笑っている。

 テーブルには、メイドたちが用意してくれたティーセットが並んでいた。

 紅茶の香りに包まれながら、手に持っていた本を取り出すと――オスカー様も、本を持ってきていた。


「……おや」

「まあ! ……ふふ」


 なんだかおかしくなって、笑いがこみ上げてくる。

 オスカー様も私に釣られて、声を出して笑う。


「コリンに聞きましたわ。オスカー様は本がお好きだと」

「そうだったのか。……私もルークから聞いたんだ。貴方が本好きじゃないかと」

「ふふ、そうでしたの。私も本を読むことが大好きなんです」


 書くことも大好きですが。

 その言葉は喉の奥に飲み込んだ。


「今日は、久しぶりにこれを読もうと思ってね」


 オスカー様が手元の本の表紙を見せてくれる。

 ……その表紙には、見覚えがあった。


「『ヴェリウス海洋伝記』、ですか」


 神話に登場する英雄、ヴェリウスの伝記だ。

 これは教養として幅広く読まれている冒険譚であり――私の書いた冒険小説『水平線の向こうから朝は来る』の原典となる話だ。

 いきなりファン疑惑に繋がりそうなものが登場し、思わず喋り方がぎこちなくなる。


 オスカー様はというと、ぎこちない私にはまるで気づいていなかった。


「私の好きな作品に、『ヴェリウス海洋伝記』から着想を得ている作品があってね……いつの間にか原典も読むようになってしまったんだ」


 いや、これはさすがに私のファンで間違いないかもしれない……!

 ……思わず心が叫んだ。

 しかし、まだ確信はできない……『ヴェリウス海洋伝記』から着想を得た作品は、私の小説以外にもあるからだ。


「分かりますわ。好きな作品に繋がるものは、追いかけてしまいますよね」

「そうなんだよ! ……ああいや、すまない」


 少年のような無邪気な笑み。そしてそれを恥じるように誤魔化す姿。

 ……なんだか可愛らしくて、見ていて飽きない。


「作品好きが高じてね、実はあるものを特注したんだ」

「あるもの?」


 ……息を飲む。

 それは、まさか。


「結婚の時の契約書を覚えているか? 実はあれに使ったインクは、その作品をイメージしたインクなんだ」



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