5.私たちはどう生きるか
夜が明けて、リューベルト公爵夫妻が帰ってくる日。
タウンハウスの中は朝から慌ただしく、夫妻を出迎える準備で使用人たちが駆けずり回っていた。
出迎えるにあたって、私も身なりを整える。……一応令嬢としてそれなりに見えると良いけれど。
「クララ」
「はい?」
玄関ホールでそわそわとしている私に、オスカー様が声を掛けてきた。
そちらを振り向くと、真剣な眼差しがこちらに向いている。
「両親へは、基本的に私が受け答えをする。……決して貴方が責められることのないように守るから、そんなに身構えなくて良い」
「……ありがとう、ございます」
私の緊張を和らげるために、慎重に言葉を選んでくれたことが分かる。
……本が好きな、言葉を愛するオスカー様らしい。
彼なりの優しさが、少しだけ私の体の強張りをほぐしてくれた。
「旦那様と奥様のお帰りでございます!」
「……承知した」
執事の声に、オスカー様と静かに頷きあう。
――いよいよ、公爵夫妻との対面だ。
玄関を出て、夫妻が乗っている馬車を出迎える。
停車場に止まり、扉が開くと――ゆっくりと、公爵夫妻が降りていらっしゃった。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
オスカー様と共に挨拶をし、カーテシーをする。
……夫妻の視線を、感じる。
「ああ、君が……」
「……貴方がクララさんね」
オスカー様のお父様――ハロルド・リューベルト公爵。
オスカー様のお母様――イライザ・リューベルト公爵夫人。
公爵様は柔らかみがあり、どっしりと響く低音のお声を。公爵夫人は凛とした、一本芯の通ったお声をされている。
「お初にお目にかかります、リューベルト公爵様、リューベルト公爵夫人。マグノリア男爵が長子、クララにございます」
「丁寧な挨拶をありがとう。……顔をあげてちょうだい」
ゆっくりと顔をあげて、夫妻の目を真っ直ぐに見つめる。
視線は少しも動かさずに。口角は自然に上げて。
……果たして二人の目には、私の姿はどう映ったのだろうか。
お二人は顔を見合わせると、何やら頷きあった後にオスカー様を見た。
「積もる話もあるだろうから、まずは家に入らないかい? みんな」
「ええ、あなた。……二人には聞きたいことが山のようにありますから」
緊張の糸が張り詰めたまま、私たちは談話室へと向かった。
私の隣にはオスカー様。正面のソファには公爵夫妻。
……とりあえず最初の挨拶では何も言われなかったが、この後がどうなるかは分からない。
緊張で口の中が渇く。
皆さまが紅茶を飲むのを見届けてから、私も口の中を潤すために紅茶を口に運んだ。
「話はオスカーからの手紙で聞いているよ。婚約期間は置かずに結婚したと」
「その通りです」
前振りもなく、公爵様が話を切り出す。
オスカー様は少しも動じずに答えた。
心臓が騒ぐのを感じながら、横にいるオスカー様を見守る。
「まったく、なんてことをしてくれたのです……」
盛大にため息をついて頭を抱える公爵夫人。
……公爵夫人からすれば、頭が痛くなるのもごもっともだろう。
「申し訳ありません、母上。しかし……私はずっとクララを想い続けていました。彼女以外の妻は考えられないと思ったからこそ、横やりが入る前に彼女と結婚したかったのです」
「オスカーの言いたいことは分かったわ。それに……」
公爵夫人の視線が私の方を向く。
肩に、力が入る。
「……オスカーが品位のない女性を選ぶとは思っていません。クララさんは爵位こそ男爵家の御令嬢だけれど、しっかりとしたご令嬢だということは見て分かります」
……どうやら、最初の印象は及第点以上を取れていたらしい。
「今まで女性に関わろうとしなかったオスカーが興味を持った相手だから、尊重はしたいと思っています。だけれどね……公爵家と男爵家では、やはり階級が大きく異なるわ。クララさんは準備する暇もなく、公爵家の人間としての責を負わされることになったのよ?」
「……はい。私の我儘にクララを付き合わせたことで、彼女に負担を強いていることは承知しております」
公爵夫人は思いのほか、私のことを気遣ってくれていた。
どこの馬の骨とも分からない男爵令嬢が急に嫁となったのだから、良い顔はされないと思っていたけれど……。
そして、オスカー様も。
「守る」と言ってくれた言葉通り、ずっと私を庇ってくれている。
「ならばクララさんが公爵家の人間として社交に出られるよう、傍でフォローすることが夫であるお前の役目ですよ」
「肝に銘じます」
公爵夫人は、私がオスカー様の妻となることは一応認めてくれているようだ。
プレッシャーを感じる会話の間、オスカー様の表情はずっと硬いまま。
……私と初めて会った時ですら、もう少し柔らかな表情を見せていたのに。
公爵夫人は話が一区切りついたのか、話の主導権を公爵様に移した。
「いやぁ、男爵家の娘さんを嫁にしたと聞いたときは胃が痛くなったものだが……でもまだ、マグノリア家だったから良かった。歴史も深く、王宮との繋がりもある家柄だからね」
公爵様は私を見ながら軽快に笑う。
マグノリア家はその仕事柄、下級貴族の中でも名が知られている。
身分違いの恋の相手でも、『マシ』な方なのかもしれない。
「しかし、誰もが二人の恋を受け入れるとは限らない。特にオスカー、彼女に結婚を申し入れたお前の評価は変わるだろう。その覚悟があってのことだね?」
「元より承知の上です」
「ならば良い」
試すような公爵様の口ぶりに、オスカー様は怯むことなく答える。
固いままのオスカー様の表情とは対照的に、公爵様は終始笑みを浮かべていた。
オスカー様の覚悟を受け取ったのか、公爵様はひとつ息をつくと――盛大に、笑い声をあげた。
「しかしまあ、あの『氷の貴公子』のオスカーがなあ!」
「……父上、そのあだ名は……」
「ああすまんすまん。ついおかしくなってしまってな」
豪快な笑い声に思わず目を丸くする。
隣のオスカー様は、気まずそうな声を出していた。
公爵様はそんな私たちを見ながらも、楽しそうに言葉を続ける。
「まあ、ゴシップ好きな連中には適当にロマンスの話を流しておけば、勝手に美化して持て囃してくれるだろう。『氷の貴公子の唯一の恋』などと銘打ってな」
「父上!」
「お前のその愉快なあだ名を利用しろと言っているんだ。……世間はこういう話に飢えている。余計な噂を立てられる前に、ある程度こちらに都合のいい話を流してやれ」
……公爵様の手腕は、鮮やかだ。
身分違いの恋は、下手をすれば公爵家の評判を落とすもの。
しかしそれにときめくような物語を添えれば――それに憧れた貴族たちは私たちを好意的に見る。
(……公爵様は、『物語』の力をよくご存知なのね……)
公爵様の発想に、作家としても身の引き締まる思いをする。
それと同時に、オスカー様の胸中に想いを馳せた。
『……公爵家や家族に対して、不満があるわけではないんだ』
以前言っていたオスカー様のあの言葉は間違いなく真実なのだろう。
ただ、オスカー様自身の精神的負担はまた別の話だ。
強かな公爵様と、厳格な公爵夫人。
今日会ったばかりの私でも感じる、公爵家としてのプレッシャー。
……きっとこれまでも、公爵家の中で息の詰まるような思いをされてきたのかもしれない。
「結婚式はどうするつもりなのですか?」
「それは……」
話題は私たちの結婚式のことに切り替わる。
オスカー様の表情は張り詰めたまま。
――妻として、これ以上オスカー様一人をこのプレッシャーの矢面に立たせたくない。
「申し訳ありません、公爵夫人。それは私からオスカー様にお願い申し上げたのです」
ほとんど喋らなかった私が声をあげたことに、全員が驚いてこちらに視線を向けた。
……緊張で呼吸が浅くなるが、この程度のことを乗り越えられずに、次期公爵夫人は務まらない。
(おそらくお二人は、私自身やマグノリア家に対して偏見があるわけではない……むしろ私が巻き込まれたと思ってくれているなら、それを逆手に取った方が良いわね)
今までの言葉の節々から、私のことを煩わしく思っているわけではないのは分かる。
……この結婚がオスカー様の意志で決行されたと思っていることも。
「クララ……」
オスカー様を安心させるように、口元だけ微笑んでみせる。
「私からオスカー様にお願いしたのです。急な結婚ですから、式は待ってほしいと……家に残した弟や妹が気がかりでしたから、それが落ち着いてから、と」
別に嘘は言っていない。弟や妹が気がかりなのは事実なのだから。
嘘をつく時は、嘘の中に事実を混ぜることが定石だ。
反応を伺うように、公爵夫人の表情を見る。
夫人は大きく目を見開いて何度か瞬きをすると、小さく息をついて頷いた。
「……たしかに、本来婚約期間を設けるところを省略して、クララさんに嫁いできてもらったわけですからね……良いでしょう」
しかし公爵夫人は鋭く目を見開くと、更に言葉を続けた。
「ですが、公爵家としても体面があります。1年後には式を挙げられるよう、準備は進めなさい。その間にクララさんには、女主人としての勉強もしてもらいます」
「ご配慮痛み入ります、公爵夫人。精一杯努めさせていただきます」
「……それと、私たちのことは義父、義母と呼ぶように」
「ありがとうございます」
公爵夫人からの圧が、少し和らいだような気がした。
オスカー様も安心したのか、深く息をついている。
私とお義母様のやり取りを満足そうに見ていたお義父様は、こちらの話が一段落つくとオスカー様に話を振る。
「オスカーは社交シーズンになったら私と挨拶周りを。……娘をお前の伴侶にしようと画策していた貴族は多い。今や妻帯者となったことを広めておかなければね」
「……はい」
こうして、今後の私たちの生活方針が決まった。
1年後の結婚式に備えながら、私たちはこの契約結婚生活を営まなければならない。
(でも、これくらいはこなしてみせないとね)
忙しさは実家暮らしの時とさほど変わりはない。
むしろここを乗り越えられれば、オスカー様の妻として更に信頼してくださるかもしれない。
(……やってみせましょう! 人気作家と次期公爵夫人!)
私はそうして、ひっそりと胸の中で意気込んだ。
*
公爵夫妻はその後数日滞在し、領地へお帰りになった。
次は社交シーズンが始まる頃に、またタウンハウスへいらっしゃるとのことだ。
……なんとか第一関門突破、といったところか。
「……はぁ」
「お疲れ様でございました。オスカー様」
やっと緊張が解けたのか、談話室で盛大にため息をつくオスカー様に笑いながら声を掛けた。
オスカー様はというと、顔を上げるとじっと私を見つめてくる。
「……貴方には本当に助けられた。ありがとう、クララ」
心からの感謝の言葉に、なんだかむず痒くなってしまう。
「助けるなんてそんな、オスカー様の妻としてできることをしたまでです。……オスカー様も、常に私を庇ってくださったではないですか」
「貴方を庇うのは当然のことだ。でも……共に立ち向かってくれて、ありがとう」
表情の強張りが解けて、ゆるやかに微笑むオスカー様。
……少なくとも、私の前では気を抜いてくれているらしい。
「……お義父様もお義母様も、素晴らしい方でした。ですが……」
公爵夫妻にお会いして、気づいたこと。
オスカー様の、心の中。
「オスカー様が契約結婚を求めたことも、なんとなく分かります」
自分の心を守るために。
気を張らず、干渉せずにいられる相手との結婚を求めるのも、頷ける。
……もし私の書いた物語が、彼の心に届いたとすれば。
『貴方の小説を読んで、僕は救われました』
あのファンレターに書かれていた言葉は、どれほど切実な言葉だったのだろう。
「オスカー様。私は貴方の領域を侵すことは決していたしません。ですから……私の横では、どうか気を楽にしてくださいね」
少しでも、彼の心が軽くなると良い。
作家として彼に言葉を贈ることはできないけれど――妻としてなら。
彼に言葉を、贈ることが出来る。
「クララ……っ、ありがとう……。……貴方が契約結婚の相手で、本当に良かった」
『氷の貴公子』と呼ばれる彼が、陽だまりのように笑うのを初めて見た。




