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3.偽る恋には理由があって



「設定?」

「そうです、設定」


 頭の中が活気づいてくるのが分かる。

 こういう設定を練るのは、作家の腕の見せ所だ。

 私たちの出会い、結婚式はどうするか、結婚後の生活……他者から聞かれそうなことは、いくらでもある。

 なにしろ相手は『氷の貴公子』様だ。彼の存在感に負けないほどの設定を用意してみせよう。


「まず、婚約期間は挟まず即結婚ということでよろしいですか?」

「ああ。婚約期間を設けると他の貴族から横やりが入る恐れがある。……私たちは身分差が大きい。それを良く思わない者も出てくるだろう」

「たしかに……」


 婚約の段階なら、破談させるために他家が手をまわす隙が残る。

 ……リューベルト公爵家と縁を結びたい家はいくらでもある。

 一足飛びに結婚まで行ってしまえば、迂闊に手を出せないだろう。

 しかし……。


「オスカー様。身分差の大きい私たちが急に結婚するならば、それ相応の理由が必要です」

「なるほど。……なにか良い案はあるか?」

「そうですね、ありきたりですが……運命的な大恋愛をした、とか」

「……」


 オスカー様は言葉を詰まらせる。しかしその頬や耳が、みるみる赤くなっていく様子が見えた。


(『氷の貴公子』という言葉の印象からはかけ離れているわね……)


 本当にあの噂の、女性を寄せ付けない孤高の次期公爵様だろうか。

 意外な反応に思わず目を丸くする。


「オスカー様。あくまで設定ですから」

「あ、ああ。そうだな」


 誤魔化すような咳払いがなんだか可愛らしくて、思わず微笑んでしまった。


「そうですね、身分の違う私たちが出会うならば……王宮図書館はいかがでしょう? 私は父の仕事場なのでよく通っていましたから……」

「図書館か。それは良い案だな」

「ではそこで出会ったということで。あまり設定を作り込みすぎても応用が利きませんから、大枠だけ決めておけば良いでしょう」


 細々としたことは後からいくらでも付け加えられる。

 これは小説ではないのだから、後出ししたところで問題はない。


「……貴方は、本が好きなのか?」

「え?」


 不意の質問に、顔を上げた。

 オスカー様はこちらを伺うように見つめてくる。

 それはまるで、何かを期待しているかのようだった。


「ええ、好きですよ。幼いころからよく王宮図書館に出入りしていましたので」

「そうか」


 質問の意図が掴めないまま答えを返す。

 どうやら期待に添えられたのか、オスカー様はわずかに口元を綻ばせていた。


 色々と設定を詰めてきたが、もうひとつ決めておきたいことがある。


「ところで、オスカー様」

「なんだ?」

「私たちはまったくの白い結婚ということでよろしいですか?」

「な、っ!?」


 先ほど以上に顔を赤くしてしまわれた。

 だが契約結婚生活を営む上で、これは避けて通れない問題だ。

 オスカー様は一度慌てたようだったが、ひとつ息をつくと真面目な顔で答えてくれた。


「……ただでさえ貴方の人生を縛る契約を頼んでいるんだ。それ以上の妻としての役割は求めない」

「しかし、恋愛結婚ともなれば周囲は子を期待するでしょう」


 身分差を乗り越えた大恋愛。それに即した夫婦生活を、営む必要がある。


「……私はまだ二十歳だ。子を持つには早すぎる。……私が仕事に打ち込んでいるから、子を成すのを遅らせているとすれば良い。これならば貴方が責められることもない」


 ……さすがは公爵家の御嫡男だ。

 子を成さない妻がどう思われるかも想定した上で、それを補う理由を考えてくれている。


「たしかに、そうすれば外からは『まだ新婚二人でいたいのね』と思ってくださるでしょうね。ただ……」


 この理由では、そう長くは隠し切れない。


「ある程度月日が経ったら周囲が急かしてくる可能性もあります。いざという時の保険があった方が良いかと」

「保険?」

「そうですね、例えば……『私の妹の婚約が調うまで、私は実家の手伝いを優先する』とするのはいかがでしょうか?」

「それでは、貴方が周囲になにか言われるのではないか?」

「あくまで保険ですから。それに……」


 私が考えているのは、ただ他を欺くための理由ではない。


「この理由があれば、数年は時間を稼げます。その間に、オスカー様に想い人が現れれば……私と離縁して、その方と再婚なさればよろしいかと」


 私が意図しているのは、これだ。


 私の妹は今年社交界デビューする。

 未婚の姉がいることは、妹が婚約者を作るにあたって少々都合が悪い。

 だからそれまでは、私はオスカー様と結婚していたいのだ。

 妹さえ結婚すれば、あとはいつオスカー様と別れても良い。

 オスカー様にとっても悪い話ではないだろう。


 我ながら良い案だと内心喜んでいたが、どうやらオスカー様は違ったようだ。


「……それでは、貴方にまるで利益がないではないか!」


 それまで穏やかに話していた彼が、力強く言い放つ。

 契約結婚を持ち掛けてきた割には、私に対して親身になってくださるので、なんだかおかしくなってしまった。


「……いいえ。私にもちゃんと利益はあります。オスカー様と同じように、理由の詳細を申し上げることはできませんが……」


 ひとつは、可愛い妹の結婚の助けになること。

 もうひとつは、私が家を出ることで、娘一人分の諸費用が浮くこと。

 最後のひとつは……この結婚で、私の執筆生活が維持できること。


「だからオスカー様が気に病む必要は、ないのですよ」


 心からの笑顔で、そう言う。

 私は最初から、自分のためにこの縁談を受ける気なのだから。


「……貴方は面白い人だな」


 オスカー様は観念したように、眉を下げて笑った。


「恐れ入ります」

「それに、設定の組み方が巧みだ。……まるで物語を編んでいるかのようだ」

「そう、ですか」


 オスカー様の何気ない一言に、思わず胸が飛び跳ねた。

 褒めるための比喩だとしても、心臓に悪い。


「……貴方となら、契約上の結婚生活であっても、協力し合っていけるような気がする」

「……ええ。私も、そう思います」


 初対面の私の話をここまで聞いてくださるオスカー様なら、きっと結婚生活中の困難も共に乗り越えられるだろう。


 そうした経緯で、私はオスカー様の妻となったのだ。


 *


 公爵家内の私の自室。

 オスカー様に契約を持ち掛けられた日のことを思い返した。

 私の手の中にはファンレター。筆跡は、オスカー様のものに酷似している。


(待って。もしオスカー様がこの手紙のファンだとしたら……)


「オスカー様の秘密の趣味は、私の本を読むこと……?」


 ……辻褄は、合う。

 私が書いているのは、娯楽小説だ。……貴族社会では低俗扱いされている。

 もし、公爵家の跡取りであるオスカー様が娯楽小説好きなら……それは隠しておきたい、秘密の趣味となる。


 疑念は膨らむ。しかし、答え合わせをするには少々リスクが大きすぎる。


(正体を明かして、ただの勘違いだったら、絶対に離婚だ……!)


 それはなんとしても避けたい。

 オスカー様がファンだったなら、今までのファンレターのお礼を伝えたいけれど……。

 答え合わせをせずに平穏に暮らせるなら、その方が良い。


「……絶対に隠さなきゃ」


 机の上にあるタイプライターを見る。

 これを使うタイミングも考えなければ。

 私は固い決意を胸に秘め、タイプライターをクローゼットにしまった。


 *


 クララがそう決意を固めている一方で、オスカーは一人、秘密の部屋で息をついていた。


「先ほどの彼女は、なんだか狼狽えていたな……珍しい」


 契約書にサインする時に見た、クララの表情。


「彼女も、ああいう表情をするのだな……」


 契約結婚を申し入れた時は、少しも戸惑ったり躊躇ったりする様子がなかった。

 オスカーにとってクララは、落ち着いていて頭の回転がはやい、肝の据わった才女といった印象であった。


(ここにきて結婚に怖気づいた、というわけではなさそうだったが……)


 オスカーはぐるりと、部屋の中を見渡す。

 その部屋は周囲の壁一面に、本棚が並んでいた。

 本棚には窮屈そうに、娯楽小説が並んでいる。


 オスカーは本棚からある一冊の栞が挟まった本を引き抜く。

 表紙は角が擦れ、何度もページを捲ったからか紙が茶色く変色している。

 栞のページを開くと、彼の美しい指先がそっとあるセリフをなぞった。


『僕はこの冒険が終わったら、故郷へ帰ります。七つの海も、遥かな山の頂も、僕の好奇心を駆り立てたけど……僕が帰るべき場所は、あの街なんです』


「……やはり、この本が読めなくなるのは、耐えられない」


 オスカーは慈しむように、その本を眺めている。

 そのまま再度表紙を閉じる。


『水平線の向こうから朝は来る』

 

 タイトルの文字は長年何度も読み返されたからか、ところどころ掠れていた。


「……そういえば、彼女の名前は少し、貴方に似ていますね」


 つう、とオスカーの指先が、作者名を辿った。


「クラヴィス・クライン先生……」



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