2.契約結婚は突然に
「私に縁談、ですか?」
「そうだ!」
あの日のお父様の慌てた顔を、よく覚えている。
一カ月前。その時も私は、実家で家事のかたわら小説の執筆に勤しんでいた。
お父様の手には一通の書状。
公爵家の印章が刻印されたその書状に、思わず息を飲む。
「しかもあのリューベルト公爵家のオスカー様直々のお申し入れとのことだ……!」
「あのオスカー様が……!?」
普段社交に出ない私でも耳にしたことがある、『氷の貴公子』オスカー・フロイド・リューベルト次期公爵様。
我が家のような貧乏男爵家とは縁もゆかりもない方だ。
もちろん私自身も面識はない。
「一度お前と会って話がしたいとのことだ……直接我が家へ来てくださると」
「ええ!?」
次から次へと出てくる情報に目を回しそうになる。
お父様の横から書状を覗き込むと、確かにそう記されていた。
……相手は国内有数の名門公爵家の御嫡男だ。
私のような身分のものが、おいそれと断ることはできない。
「分かりました、お父様。……まずはお話を伺ってみようかと思います」
これも小説のネタにできるかもしれない。
私に根付いた作家精神が、そう言っていた。
*
顔合わせ当日。
なんとか古びた応接間を綺麗に整えて、無事にオスカー様をお迎えする。
年季の入った我が家のソファにオスカー様が座っているのは、なかなか違和感のある光景だ。
(噂通り、本当に目の覚めるような美しさの貴公子ね……)
彼の長いまつげや、すらりとした指先に目が奪われる。
そうしていると突如、オスカー様が頭を下げた。
「この度は、いきなり結婚の申し入れをしてしまい、本当に申し訳なかった」
「いえ、謝っていただくようなことでは……! リューベルト次期公爵様が、私のような者に頭を下げるなど、おやめください……!」
慌ててオスカー様を止めに入る。
オスカー様は眉間に皺を寄せながら、顔を上げた。
「いや、礼を欠く行為だということは分かっているんだ……。それと、私のことはオスカーと呼んでくれ。私の方が貴方より年下なのだから」
「恐れ入ります。私のこともどうかお気遣いなく、名前でお呼びください」
そう返すと、オスカー様は少し肩の力が抜けたのか、眉間の皺が無くなった。
「……面識も無い上、父ではなく私からの直接の申し入れで、困惑していることと思う。今日はそれの説明をさせてほしく、時間を取ってもらった次第だ」
「わざわざそのためにご足労いただきまして、申し訳ございません」
「いや、こちらから願い出ている以上、当然のことだ」
真面目で誠実な方、というのがオスカー様の第一印象だった。
……私はてっきり、噂で聞くように気難しく、女性には冷淡な方かと思っていた。
「それでは、ご事情をお伺いしても?」
「もちろんだ。……貴方に結婚を申し入れたのは、私の結婚に条件があるからだ」
『条件』という言葉に、自然と頭が推理を始める。
なにやら込み入った事情がありそうだ。
「実は私には……人には言えない趣味がある。その趣味の時間を守るために、お互い干渉せずにいられる相手との結婚が望ましいのだ。……しかし親が選んだ相手との結婚ともなれば、そうも言っていられない。だからこうして私自身が、結婚相手を探しているわけだ」
オスカー様の言葉に、疑問が湧く。
「『趣味の時間を守る』という条件は、普通の縁談では果たせないものなのですね?」
「ああ。どうしても、私の趣味が何であるかは明かせない。『夫が毎日一人で怪しげな趣味に興じている』だなんて、妻としては不審に思うだろう?」
「なるほど。……それでオスカー様は、気を持たせないように女性を遠ざけていらっしゃったのですね」
「いかにも、貴方の言う通りだ。……私にとって趣味の時間が失われることは、私の精神を殺すようなものなんだ」
今をときめく『氷の貴公子』の裏事情を知ると、その境遇に少しばかり同情してしまった。
……オスカー様の願いは、他人事とは思えない。
私も、執筆している時間はこの上なく大切だ。
それは誰とでも分かち合えることではなく……その時間が失われれば、私は私でいられなくなるだろう。
「もちろん、法や倫理に背くようなことをしているわけではない。それは誓って約束する」
「ええ。これまでお話を伺っていて、オスカー様がそのようなことをなさるとは考え難いです」
「ありがとう。……貴方はやはり、事前に予想していた通りの人のようだ」
「予想?」
安堵の息をつくオスカー様の言葉に、引っかかりを覚える。
「結婚を申し入れる前に、貴方のことを調査させてもらった。……マグノリア家は裕福ではないが、お父君は実直に王宮勤めをされている。貴族間でも悪い噂はなかった」
身辺調査をされていたことを知り、思わず心臓が跳ねる。
どこまで私自身のことを調べられているのか――まさか私が作家だと知られてしまっているのでは?
その不安が、胸を埋め尽くした。
「そして貴方は――あまり社交界に顔を出さないと聞いた。他の女性のように恋をする相手を探すわけでもなく、家のために結納金目当てに縁談を求めるわけでもない」
……どうやら、私が作家だということまでは知られていないらしい。
社交界に顔を出していないのは執筆で忙しかったからで、その収入があるから必死に結納金目当ての結婚をする必要もない。
それになにより、結婚して執筆できなくなることが恐ろしかった。
しかし事実だけ取ってみると、なるほど結婚に興味のない令嬢に見えるだろう。
「貴方が結婚相手に対して過度な期待も落胆もしない人だと予想して、こうして貴方に結婚を申し入れたということだ」
「お、恐れ入ります……」
初めて会うのに、随分と高く買ってもらっている。
「もちろん結婚する以上、貴方に不便な思いはさせない。必要ならば、ご家族の仕事や縁談なども援助しよう」
「待ってください、それはありがたいお申し出ですが……! そこまでしていただくわけには」
「これくらいは当然だ。……私の我儘に付き合わせるのだから、むしろ足りないくらいだ」
……ここまでの話で、オスカー様が生真面目な方だということが痛いほど伝わってくる。
けして華やかなだけじゃないこの貴族社会で、その生真面目さと実直さは枷となるだろう。
「そもそも結婚したとして、公爵様やご家族の皆様はお認めになるのですか?」
「今まで結婚を渋っていたからな。このまま結婚しないよりはマシだと思ってくれるだろう。……公爵家や家族に対して、不満があるわけではないんだ。あまり家族を心配させたくもない」
家族を大切に思う心も、自分だけの時間を愛する心も、並び立つものだ。
私自身が、私の家族にそう思うように。
オスカー様も家族を愛していて――それでも譲れない“なにか”がある。
それは、生真面目なオスカー様に大胆な行動をとらせてしまうほどに。
(私と同じだわ……)
私にも、譲れないものがある。
小説を書くことが大好きだ。たとえ貴族社会では受け入れられなくても。
自分の綴った言葉たちが誰かに届いたことを知る度に、言葉で例えることのできない熱が胸に湧きおこる。
『貴方の小説を読んで、僕は救われました』
何度も読み返したファンレターの言葉が思い出される。
きっとオスカー様と結婚すれば――執筆する生活を、続けられる。
「君自身にはあまり利益のない結婚だとは承知している。だが……けして不自由にはさせないと約束する。どうか検討だけでも、してもらえないだろうか」
そう言ってまっすぐにこちらを見つめるオスカー様。
――私にも利益はある、と伝えたかった。
私が結婚相手に望む条件は、明確にある。
そしてその条件は――オスカー様と一致している。
……言うことはできないけれど。
「お話は分かりました。……結婚のお話、お受けしようと思います」
父や母に相談するまでもなく、私の心は決まってしまった。
オスカー様との結婚は、私にとっても、この上なく都合が良い。
……降って湧いたこの機会を、逃すわけにはいかない。
「良いのか!?」
「ええ」
オスカー様の趣味が、たとえ黒魔術でも食肉解体でもなんでも良い。
むしろ小説のネタにさせてほしいくらいだ。
(そういえば……)
『小説のネタ』で思い出した。
「オスカー様。私たちの結婚は相互に利益を求める契約結婚ですが……表向きは普通の結婚とするのですよね?」
「そうなるな」
「そうですか……」
「なにか問題が?」
顎に手をあて思案する私に、オスカー様が尋ねる。
「私たちの関係を偽るならば……私たち夫婦の設定を詰めなければなりません」
設定に穴があれば読者に突っ込まれる。
作家としてそれは見過ごせない。
まずは設定を固めるところから始めなければ。




