1.クララ・マグノリアと謎の貴公子
「私たちは契約上の夫婦だ。私生活ではお互い干渉せず、公の場のみ、夫婦として振舞う」
目の前に座る、気難しい顔をした彼――オスカー・リューベルト次期公爵様。
端正な顔立ちと鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪。
社交界では少しも女性を寄せ付けない彼は、『氷の貴公子』の異名を持つ。
そんな彼と、平凡な男爵令嬢である私――クララ・マグノリアは、契約結婚をする。
「この契約書にサインを」
差し出された紙。びっしりと書かれた契約内容。
そして――その一番下に書かれた、オスカー様のサイン。
「……えっ」
その流麗な字に、特徴的な光沢のあるインクに、見覚えがある――!
(もしかしたら、この人は――!)
『貴方の小説を読んで、僕は救われました』
嫁入り道具の中にある、何十通もの私宛のファンレター。
その筆跡に、特徴的なインクに――オスカー様のサインは、あまりにも似ていた。
流行作家、クラヴィス・クライン――私のもうひとつの顔だ。
私は正体を隠して娯楽小説を書いており、その作品たちは世間に広く読まれている。
冒険小説や時代劇、ファンタジー……。色んな作品を書いてきた。
ファンレターをいただくこともしばしばあったが……その中に、新作を出すと必ずファンレターをくれる、熱心な読者がいた。
『クラヴィス先生の小説を読んでいると、自分まで作品の登場人物になれたような気がします』
『貴方の冒険物語は何度も読み返しました。その所為で本はだいぶくたびれてしまいましたが……』
『僕の大好きな貴方の小説をイメージしたインクを作りました』
上等な便箋に、珍しい青い光沢を放つインクで綴られた文章たち。
(匿名とはいえ、おそらく身分の高い貴族の方だとは思っていたけれど……)
「……どうかしたのか?」
契約書に目が釘付けになっていると、オスカー様が怪訝な顔をして聞いてきた。
思わずそちらに視線を向ける――まさか、この人が?
「っ、いいえ! なんでもございません」
慌てて契約書にサインをする。
……どう見ても、あのファンレターの字にそっくりだ。
私が心の支えにしていたあのファンレター。
あの送り主は、もしかすると――私の旦那様かも、しれない。
*
幼いころから、物語が好きだった。
私の実家であるマグノリア家は、あまり裕福でない男爵家だった。
代々王宮図書館の管理人を務める家系だったが、その給料はあまり良いものではなかった。
「お父様! ここの本はすべて読んでいいのですか?」
「もちろん。汚さないようにね」
贅沢は出来なかったけれど、父のおかげで王宮図書館の本は読み放題だった。
ありとあらゆる物語や知識を読むことが、なによりの楽しみだった。
やがて読書好きが高じて、自分でオリジナルのお伽話を作るようになった。
「姉さま、お話きかせて!」
「いいわよ。そしたら今日は……」
仕事や社交で忙しい父母に変わって、弟妹たちの面倒を見ていた。
その時に、自分の考えた物語を語り聞かせていたのが、作家としての私のはじまりだ。
「お姉さまのお話、おもしろい!」
私の話を喜んでくれるのが嬉しくて、どんどん知識を蓄えて、どんどん物語を生み出した。
そんなある日――。
「私が小説を?」
「ええ。クララお嬢様には作家の才があります」
父の知り合いの商人が、私の話を聞きつけてそう打診してきたのだ。
「もちろん原稿料などはお支払いいたします。その才を埋もれさせるのは、あまりにも惜しい」
「原稿料を、いただけるんですか!?」
私が少しでも収入を得られれば、家計の足しになる。
一も二もなく承諾したが、ひとつだけ問題があった。
「クララお嬢様のお立場を守るため、筆名を使った方がよろしいかと」
この国の貴族社会では、娯楽小説は低俗なものとして扱われている。平民の読む、取るに足らないものだと。
裏ではひっそりと楽しんでいる貴族もいるが、公で口にすることは憚られる。
そのため――『クラヴィス・クライン』というペンネームを使い、正体不明の作家として活動することになったのだ。
商人の読みは当たり、私は見事に流行りの娯楽小説作家となった。
そうして結婚する今日に至るまで、令嬢と作家の二つの顔を使い分けて生きてきた。
*
契約書にサインをし、なんとか表情を取り繕って自室へと戻ってきた。
休む間もなくクローゼットの中の箱を取り出して開ける。
中には、いくつものファンレターが重なっていた。
その中の一通を取り上げる。
「……やっぱり似ているわ」
クリーム色の上質な紙に、青い光沢を放つインク。
そして便箋の上に綴られた、規則正しい美しい文字たち。
私の目にはどう見ても、先ほどの契約書の文字と同じように見える。
(……でも、本人かどうかは確かめられないわ……)
……本音を言うと、とても気になる。
しかし気軽に、答え合わせなどできない。
答え合わせをするには――私の正体を明かさなければならない。
もしこれが、私の勘違いだとしたら――。
次期公爵様の妻が娯楽小説作家だなんて、大スキャンダルだ。
公爵家の名に泥を塗ってしまうだろう。そうなれば離婚は免れない。
……私にとってこの契約結婚は、どうしても維持したいものだった。
(確かめたいけど、離婚は避けたい……)
私がなぜ、契約結婚を維持したいのか。
旦那様から契約結婚の話を持ち掛けられたのは、一カ月前のことだった――。




