22.この本を綴る者は
目の前にそびえ立つ王宮に、思わず足がすくみそうになる。
いよいよ、この日がやってきた。
出版社を介して登城する旨を伝えると、とんとん拍子に王妃殿下への謁見の段取りが進んでいった。
用意された招待状には王妃殿下のサインがあり、これを見せるだけで王宮の内部へと入り込める。
「王妃殿下へご謁見ですね。どうぞこちらへ」
謁見室への道中、何度も案内役が変わる。
王家の勅使によると、クラヴィスの登城があることを知る使用人はごく一部らしい。
どうやら招待状に細工がしてあるらしく、彼らは招待状を見ただけでその持ち主がクラヴィスだと分かるとのことだった。
……今まで私を案内してくれた者たちは、気づいている様子はなかった。
「次が最後の案内役です」
王宮の奥深く、静かな中庭の見える廊下にて。
「……お久しぶりです、クララ様」
「ミランダ様……」
最後の案内役は、彼女だった。
人の気配のない廊下を歩きながら、気まずさに俯く。
最後の案内役である彼女は、おそらく私がクラヴィスであることに気づいているだろう。
以前、競馬場でした会話を思い出す。
私は彼女に――クラヴィスのことは知らないと、嘘を吐いた。
(謝罪したいけれど……どう切り出せば……)
数歩先を歩くミランダ様。私にはその後ろ姿しか見えない。
私を頼ってくれた彼女を欺いたことに、今更ながら罪悪感が湧き起こる。
思い悩んでいると、ふと目の前の気配が立ち止まったことに気づいた。
ミランダ様は振り返らない。
「……『誰そ彼時に、さようなら』を読みました」
振り返らないまま言われた言葉に、耳を疑った。
ミランダ様はどうして、今、それの話を――!?
「クラヴィス様については、王妃殿下から伺っております。……貴方だったのですね」
「……その通りです。申し訳ございませんでした、ミランダ様。私は嘘を吐いて、貴方に正体を隠しました」
「良いのです。同じ立場であれば、私もそのようにしたでしょう。……いいえ、こんな話をしたいわけではないのです」
謝罪もそこそこに、ミランダ様はなにか意を決した様に力の籠った声を出した。
振り返ったミランダ様の目が、真っ直ぐにこちらの目を射抜く。
「クラヴィス様。……私は貴方の恋愛小説に、胸を打たれました」
「……えっ」
一瞬、聞き違いではないかと疑ってしまう。
幻聴でないのなら、とても嬉しい言葉をもらえた気がする……!
「実は私、昔から娯楽小説をよく読んでいたのです。中でも恋愛小説が大好きで……あの人気作家のクラヴィス様が恋愛小説を書くと知った時は、歌い出したくなるくらい喜びましたのよ」
「あ、ありがとうございます……」
少女のようにはにかむミランダ様は、嬉しそうに続ける。
「とても素晴らしかったです。特にオズの葛藤には胸を打たれましたわ。彼の嘆きが痛いほどに伝わってきて……」
「ミランダ様のお心に響いたのなら、なによりですわ」
「ですからね、クララ様。私のようにクラヴィス・クラインの作品を好む貴族は、少なくないと思うのです」
そう言う彼女の瞳は、確信に満ちていた。
「そう、でしょうか……」
「そうですとも。クラヴィス様の本は貴族街の書店でも飛ぶように売れていますし、リューベルト家の劇場でも舞台を上演できるくらいですから。それだけクラヴィス様を好意的に思う貴族が潜んでいるという証拠ではないですか」
……たしかに、ミランダ様の言うことは説得力があった。
書店も劇場も、多くの貴族が関わって運営されている。
そんな中でクラヴィスが活動できるということは――それだけ多くの人がクラヴィスの存在を認めている、とも言える。
「貴方が日の当たる場所に出ることで、娯楽小説が好きだと言える世界になることを、夢見ているのです。クララ様――貴方に神のご加護があらんことを。貴方には私たち読者がついております」
ミランダ様の顔は、一人の文学少女の顔をしていた。
そうだ、私には――数多の読者が、ついている。
こうして秘密を明かしてくださったミランダ様の期待に、応えたい。
「ミランダ様……! ……お任せください!」
そうしてついに、私の足は謁見室の前へと辿り着いた。
*
「お久しぶりですね、クララ様。いえ――クラヴィス・クライン」
謁見室に入ったあと、ほどなくして王妃殿下が入室された。
目の前で優雅に座る王妃殿下。そのお姿を前にして、身体中に緊張が走る。
周囲にいる数人の侍女たちが、不安そうな目で私たちを見ていた。
「水臭いではないですか。劇場でお会いした時に教えてくれたら良かったのに」
「……あの時は、まだ夫にも正体を明かしていなかったのです。どうかご容赦を」
「それでは、今はオスカー殿もご存知なのね」
王妃殿下の深い色の瞳は、何を考えているのかまるで汲み取ることができない。
しかし、ここで怯むわけにはいかない。
「それで、叙勲の件ですが――名乗り出たということは、受けるということでよろしいですか?」
「はい。謹んで、お受けいたす所存です」
ここまでは予定通りだ。
王妃殿下も穏やかな微笑みを崩さない。
勝負は――次の一言から始まる。
「ですが、叙勲に際しまして、恐れながら王妃殿下にお願いしたいことがございます」
「……なんでしょう。我が国の功労者たるクラヴィス氏の頼みです。申してごらんなさい」
「恐れ入ります。私はこれを機に、正体を明かして活動しようと考えております」
王妃殿下の瞳が、すうっと細まった。
「そこで――王妃殿下に、クラヴィスの後ろ盾となっていただきたいのです」




