19.若奥様御用心
私とオスカー様が本当の夫婦となってから、数日が経った。
最初はお互いに視線が合うことすら気恥ずかしくて、ぎこちなさを醸し出していたが、それも徐々に慣れてきた。
周囲の使用人たちは、近頃の私たちの様子を「なんだかますます仲が良くなった」くらいに思っているらしい。
まさか一度、離婚の危機を迎えていたなんて思うまい。
朝、仕事で外出するオスカー様を玄関まで見送りに行く。
「では、クララ。また夜に」
「ええ。お待ちしております、オスカー様」
さりげない言葉なのに、オスカー様の視線が甘い。
慈愛のこもった眼差しで見つめられると、こちらもオスカー様への好意が態度に現れてしまう。
「二人とも、仲睦まじいことは結構だが、結婚式の準備も進めていてくれよ?」
「……承知しております、父上」
お義父さまのからかいに、二人そろって赤面してしまう。
こうして本当の夫婦となった今、結婚式は「ただこなせばいいイベント」ではなくなってしまった。
結婚式まで、あと半年ほど。
こんなにも温かい気持ちで結婚式を迎えられるなんて、夢のようだ。
*
夜になると、仕事を終えたオスカー様が私の部屋を訪ねてくる。
ここ数日はこうして、夜にお互いの部屋を行き来して夫婦の時間を過ごしていた。
「ほら、オスカー様。これが『宝石の国の魔女と王子』を出した時にいただいたファンレターです」
「……こうして目の前に出されると、とても照れくさいのだが……」
「あら、そうなのですか?」
テーブルの上に並べられたファンレターに、オスカー様は気まずそうな顔をしている。
……どちらかというと、二人で寄り添いながらソファに座っている今の方が、なかなか照れくさいと思うのだけれど。
「……クララは本当に、クラヴィス先生だったんだなぁ……」
「こうして証拠を出されると、改めて実感しますか?」
「ああ。……あのクラヴィス先生にこんな稚拙な文章を送っていたなんて、顔から火が出そうだ……!」
オスカー様の顔は耳まで真っ赤で、本当に恥ずかしいのだろう。
たしかに、オスカー様の手紙は直球の言葉で書かれた、素直な文章だった。
しかし、素直な文章だからこそ、ファンレターとしては格別の威力を持つ。
「私はずっと、励まされていましたよ。この手紙たちに」
『貴方の小説を読んで、僕は救われました』
当初は家計を助けるために始めた執筆業だったけれど、今日まで続けてこられたのは間違いなく、オスカー様をはじめとしたファンの皆さんの応援があったからだ。
「だからまた、ファンレターを送っていただけますか?」
「……口頭で伝えるだけではだめか?」
「ええ! あのインクを使って、オスカー様自身の手で書き残してくれることが嬉しいんですもの」
「クララにそう言われたら、書くしかないじゃないか……」
オスカー様は観念したように、しかし決して嫌ではないような声色で笑う。
その甘く低い声が、耳に心地よかった。
甘い時間を過ごしながらも、私の頭の中ではある情報が引っかかっていた。
今日、出版社から速達で連絡が入ったのだ。
内容は、王宮関係者が出版社に、クラヴィスについて聞きに来たということだった。
(とうとう出版社にまで……)
出版社側はとにかくクラヴィスの素性を守ろうと、なんとか誤魔化してくれたらしい。
……しかし、正式に王家から情報開示を求められれば、断ることはできないだろう。
「……王家の調査が気になるか?」
「ええ……。ただでさえ、新作のせいで新たな噂も立っていますし……」
『誰そ彼時に、さようなら』を出版してから、クラヴィスの新たな噂が増えた。
『あの緻密な恋愛の描写は、女性だからできるのではないか』。
ーークラヴィス女性説が、巷で話題となっているらしい。
(出版社からは、このままだと私の正体に辿り着く者も現れるかもしれない、と言われたし……)
今までそれどころではなくて意識が回らなかったが、王家の調査に関してはまだなにも解決していない。
「……大丈夫だ、クララ」
オスカー様の腕に抱きすくめられ、優しく頭を撫でられる。
「言っただろう? 守ってみせると。私の方でもできる限り、貴方に調査の手が及ばないよう働きかけてみよう」
「……ありがとう、ございます」
オスカー様の腕の中は、泣き出しそうなほど温かく、本当に守ってくれるのだと安心できる場所だ。
――けれど。
(――本当に、守られるままで良いのかしら?)
クラヴィス・クラインである私は、どうすべきなのか。
そのことが、ずっと私の心の奥底に留まり続けていた。
「では、また明日。おやすみ、クララ」
「オスカー様も、おやすみなさいませ」
「……ああ」
オスカー様は自室に戻る時、必ず私の額に口づけを落とすようになった。
……まだ、口にはされていない。
やっと恋を始めた私たちは、初心な少年少女のようだった。
オスカー様を見送ると、自分のベッドに倒れ込む。
……額がなんだか、熱を持つようだ。
「お嬢様、寝るお仕度をさせていただきます」
私が夢見心地でいると、マリアが入ってきた。
言われるがまま、マリアに寝間着を着せてもらう。
「……ところで、お嬢様。ひとつ気になったのですが……」
「なにかしら?」
「お嬢様と若旦那様は正式な夫婦となられたのですから……お二人で寝所を共にされてもよろしいのではないですか?」
「っ!」
額だけでなく、顔全体が熱くなっていく。
そうだ、今はこうして別々に寝ているけれど、本来は――。
「……そのご様子だと、寝所を共にしたらお倒れになってしまいそうですね……」
夫婦として、共に夜を過ごす日も、あるはずなのだ。
『私たちはまったくの白い結婚ということでよろしいですか?』
契約結婚をする時に、なんの緊張もなくそう言った自分を思い出す。
本当の夫婦となったからには――白い結婚である理由も、ない。
*
数日後の夜、オスカー様の部屋で。
「も、もう少しこちらへ寄っていいぞ、クララ」
「し、失礼します……!」
オスカー様のベッドの上。
二人寝間着姿で、ベッドの上に座っていた。




