16.C・クラインは彼女なのか?
雨が窓を打ち付ける午後。
リューベルト家の空気は静かなもので、主人たちは自室で思い思いに過ごしていた。
使用人たちも黙々と日々の業務をこなしている中、ルークはいつものようにオスカーの部屋へと呼ばれていた。
やけに雨音が響く執務室の中、重い顔をしたオスカーが口を開く。
「ルーク……もしお前の愛する人が、自分に対して隠し事をしていると知ったら……お前はどうする?」
また何か若奥様とあったな。
ルークはそう内心で突っ込みながら、オスカーの質問について考えだした。
「隠し事の内容によるだろうが、必要ならその隠し事っていうのを探るしかないんじゃないか?」
「……本人が必死に隠そうとしているものを、勝手に暴いていいものなのだろうか」
「それはまあ、オスカーが暴きたいと思ってるかどうかによるだろ」
「たしかに……って、私のことだとは言ってないだろう!」
慌てて取り繕うオスカーの姿に、ルークは噴き出してしまう。
目の前のお坊ちゃんは、こうも分かりやすい。
「悪い悪い。……結局、相手とどうなりたいかじゃないか? 関係を変えたくないなら、迂闊に首を突っ込むもんじゃないぜ」
「どうなりたいか、か……」
先日馬小屋で話をして以降、オスカーは如実にクララへ好意を向けている。
ルークの目には、クララも満更でもなさそうに見えるが、本当のところは分からない。
「……愛していることには変わりない。彼女が許してくれるのであれば……共に隠し事を背負いたいんだ」
彼女って言ったな。
オスカーの言葉は、少しも本音を隠せていなかった。
オスカーが心からクララに惹かれていることが、ルークにもひしひしと伝わる。
(……でも、若奥様が契約を受けた理由がまだ分かってないんだよな……)
オスカーの目下の悩みはその理由であったはずが、ここにきて先ほどのような質問をしてくるということは、なにか進展があったのだろうか。
ルークは立場上、それより先を深く問うことはなかった。
オスカーが必要な時に、寄り添って話を聞いてやるだけ。
それが友人としての、二人の在り方だった。
「そういや、頼まれてたサイン本買ってきたぜ。次の新作の発売も決まったそうだ」
ルークは小脇に抱えていた紙袋をオスカーに手渡す。
クラヴィス・クラインのサイン本だ。
しかし、オスカーは狂喜乱舞するかと思いきや、神妙な面持ちでそれを受け取っていた。
(クラヴィスの本なのに、随分大人しいな)
目の前のオスカーは慎重に表紙を開き、中に書かれたクラヴィスのサインを確認する。
涼しげなその瞳がサインを捉えた、その瞬間。
「っ!」
誰が見ても明らかなほど、オスカーが息を飲んだことが分かった。
オスカーは一度本を机の上に置くと、忙しなく引き出しの中を漁り始める。
やがて目的のものを見つけたのか、書類を一枚机の上に広げると、何かを確認し始めた。
(……契約書か? なんだかごちゃごちゃ書いてあってよく分からんが……)
細かい字で埋まった書面は、見たところ契約書のような様式をしていた。
オスカーはその書類と、クラヴィスのサインを見比べている。
その様子は見るからに怪しいものであったが――。
(……また坊ちゃんのクラヴィス愛が炸裂してるのかね)
ファンとしてのオスカーの行動に慣れきっていたルークには、さして気に掛かるような行動ではなかった。
「この字……やはりそうなのか……?」
(……上手くやれよ、坊ちゃん)
なにやらぶつぶつ言いながら集中するオスカーを横目に、ルークは執務室を後にした。
執務室を出たルークは、静かな長い廊下をひたすらに歩く。
そうしていると前方から、人影が近づいてきた。
(あれは……)
ルークもその顔は知っていた。
クララ専属のメイド、マリアである。
マリアもルークに気が付いたのか、軽く会釈をして横を通り過ぎようとした。
(……そうだ)
そこでふと、ルークの中で世話焼き心が顔を覗かせた。
友人として、従者として。オスカーには幸せになってほしい。
だからこそ、少しは主人の恋路を手伝ってやりたくなったのだ。
「どうも、マリアさん」
「……お疲れ様です、ルーク様」
急に声を掛けられたからか、マリアは怪しむようにルークを見る。
警戒心を隠さないその眼差しに苦笑しながら、ルークは話し出した。
「若旦那様が、若奥様の調子を心配してたぜ。具合はどうなんだ?」
「……多少お疲れが滲んでいらっしゃるようですが、寝込むほどではありません。若旦那様のお気遣いに感謝いたします」
分かりやすいほどにマリアは壁を作る。これ以上、クララのことに踏み入ってくれるなと言うように。
しかしルークとしても、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
「それを聞いて安心したよ。若旦那様はよっぽど若奥様のことが大事なようでな……手も出せないくらいに」
ルークは勝負に出た。
たとえ契約上の夫婦だとしても、どれだけオスカーがクララを愛しているか。
そのひとかけらでも、伝わるように。
自分がこうしてオスカーの契約結婚を知っているように、マリアも契約結婚のことを知っているはずだと、ルークは信じていた。
「……ルーク様は、お嬢様になにかおっしゃりたいのですか?」
今度のマリアの言葉には、明らかに敵意が滲んでいる。
それだけ主人に忠誠心があるということだと、ルークは一人納得のいった顔をしていた。
「いいや、なにも。……主人の想いが伝わっていてほしいと思う、従者心さ」
まるで独り言のように、ルークは呟く。
ルークはそのままひらりと手を振ると、使用人室へと戻っていった。
*
マリアはクララの部屋に戻ると、そっとクララの様子を伺う。
クララはここ何日もずっと、睡眠時間を削って執筆に勤しんでいた。
今は最後のシーンを書いているのか、タイプライターに向き合ったまま微動だにしない。
マリアは乱雑に置かれた原稿を拾い上げると、一枚一枚順番に並び替える。
その原稿には、主人公のオズの言葉がいくつも散らばっていた。
『もう、彼女のことは諦めよう。それだけが、僕ができるたったひとつの、彼女への愛の証明なのだから――』
『僕の不幸に、彼女を巻き込ませたくない。この罪を抱えるのは、僕だけで良い』
『彼女のこの先の人生に、僕は不要だ――いつか僕のことも、思い出のひとつになっていく』
その痛切な言葉たちが、マリアの胸を焦がす。
むき出しの悲鳴は、きっと――オズだけの言葉ではない。
(お嬢様……)
マグノリア家にいたころよりも、ずっと豊かな生活をしているはずなのに。
クララの表情は、マリアが一度も見たことがないほど、暗く陰鬱なものになっていた。
『若旦那様はよっぽど若奥様のことが大事なようでな』
先ほどのルークの言葉が思い出される。
(……大事にしている? ……今のお嬢様はこんなにも苦しんでいらっしゃるのに?)
クララが何に苦しんでいるかなんて、マリアには一目瞭然だった。
でも、肝心のオスカーには、その苦しみが見えていない。
マリアは、ルークの言葉を疑っているわけではなかった。クララの恋が報われてほしいとも思っている。
けれどこうなってしまっては、もはや他人が口添えしたところでクララの心を慰めることはできないと、マリアは知っていた。
そうして、その日の夜更け――。
「――終わったわ」
ついに、恋愛小説が書きあがったのである。
*
恋愛小説を無事に出版社に渡し、晴れやかな顔をしたクララ。
そんな彼女を、オスカーが突然呼び出した。
「いかがなされましたか? オスカー様」
目の前のオスカーは、なにか覚悟を決めた表情をしていた。
「クララ――この契約結婚を、終わりにしたい」




