14.彼女の知らない物語
『どうか、お気を付けになってね――』
ナタリアの忠告を受けてから数日、緊張の抜けきらない日々が続いていた。
そんな私の様子を感じ取ったのか、オスカー様に「気晴らしに外出しないか」と誘われて出かけたのだが――。
「クラヴィス・クライン脚本の舞台ですか」
「そうなんだよ! これは絶対にクララと観に行きたいと思っていてね」
劇場の貴族用ホールで、私は冷や汗を流していた。
(余計に緊張が深まりますわ、オスカー様……!)
私の心の叫びは、もちろんオスカー様には聞こえない。
「この劇場はリューベルト家が出資しているんだ。支配人たちとの協議で、クラヴィス先生に脚本をお願いすることになってね……」
(そういえばそうでしたね……!)
脚本を依頼されたのは、結婚するよりもずっと前のことだ。
劇場の出資者がリューベルト家であることは、すっかり忘れていた。
会場には多くの貴族が集まっていた。
しかもなんと、今日は王妃殿下もいらっしゃるらしい。
……ミランダ様の話を思い出すとつい身構えてしまうが、おそらくお会いすることはないだろう。
オスカー様と共に貴賓席へと向かう途中で、何人もの貴族とすれ違う。
「まさか、娯楽小説家にこけら落とし公演の脚本を任せるとは……」
「思い切ったことをなさるものだ」
耳に入ってくる話は、けして良いものばかりではない。
クラヴィス・クラインが評価されるようになってきても、このように娯楽小説家に対して怪訝な顔をする貴族も少なくはない。
(オスカー様のように受け入れてくださる人もいるけれど……)
その事実が、縮こまりそうになる私の心を励ましてくれた。
舞台の幕は無事に上がり、こけら落とし公演は大成功を収めた。
国を滅ぼされた兄弟たちが、時に反発し合いながらも国を再建していく物語。
客席はスタンディングオベーションが起きるほど歓声で満ち溢れていて、心の中でひっそりと感謝の言葉を呟いた。
「いやぁ、クラヴィス先生は脚本も見事だった……!」
「楽しめましたね」
「ああ! そう言えば……主人公の妹は、なんだかナタリア嬢のようだったな」
はい。ナタリアをモデルにしているので。
まさかこの舞台を観る前に、オスカー様とナタリアがあれだけ仲良くなるとは思わなかった。
オスカー様の勘の良さに、綱渡りをする心地になる。
二人で話をしていると、一人のスタッフがやってきて、オスカー様になにやら耳打ちをした。
それまで朗らかだったオスカー様の顔に、緊張の色が浮かぶ。
「いかがいたしましたか?」
「クララ……王妃殿下が、我々をお呼びだそうだ」
「王妃殿下が……!」
一気に体に緊張が走る。
リューベルト家は出資者とはいえ、まさか王妃殿下直々に面会を求められるなんて。
思わず息が乱れそうになるのをなんとか抑えながら、オスカー様の後に続いた。
*
「ごきげんよう、オスカー殿。そしてクララ夫人」
貴賓室の上質なソファに、王妃様は座っていらっしゃった。
柔和な笑みをたたえているが、その腹の底はまったく読めない。
二人で挨拶をし、御前に座る許しをいただく。
「しばらく見ない間に精悍さが増しましたね、オスカー殿」
「ありがとうございます。……妻の支えがあるからでしょう」
「あら、惚気られてしまったわ」
軽快に笑う二人に、私もなんとか微笑み返すが……元男爵令嬢としては、まったく気が休まらない。
オスカー様と結婚していなければ、王族の方と関わることなど一生なかっただろう。
「今回の舞台はどうでしたか? オスカー殿」
「見事なものでした。……脚本のクライン氏は、王妃殿下の御推薦があったと聞いておりますが」
衝撃の事実に、心臓が口から飛び出そうになる。
仕事を引き受けた時は、貴族も訪れる劇場のこけら落としに、なぜクラヴィスを起用したのか分からなかったけれど……。
王妃殿下の推薦があったなら、話は別だ。
王妃殿下はにっこりと笑って、「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりに答える。
「クラヴィス・クライン氏は国民に広く愛される作家です。その勢いはもはや平民の間に留まらず、貴族にも愛読者がいると噂が立つほど……。人を魅了する文化は身分を超えて広まるものです。クライン氏ほど、今回の公演に相応しい人物はいないでしょう」
――王妃殿下の言葉に、胸がいっぱいになる。
世間から隠れるようにして書き始めた物語たちが、今や王族の方も認めてくださるほど広まってきている。
身に余るほど、光栄な言葉だった。
オスカー様も、王妃殿下の言葉にどことなく嬉しそうな声を出している。
「王妃殿下も、彼の作品をお読みになったのですか?」
「ええ。元々は子供たちがクライン氏の作品を読んでいたのだけれど……何冊か読んで、広く愛される理由が分かりました」
「そうですか!」
同志を見つけたと言うように、オスカー様の顔に喜色が滲んでいる。
しかし、その喜びの表情も束の間、オスカー様は冷静な顔つきに変わると、慎重に言葉を紡ぎ出した。
「……ブライトマンの子息が申しておりました。王妃殿下がクライン氏を探されていると」
――それは、核心に迫る言葉だった。
固唾を飲んで、王妃殿下の答えを待つ。
王妃殿下はその言葉に目を丸くすると、ゆっくりと口角を上げた。
「――あら、知っていたのね」
――決定的な答えだった。
やはり王家は、本格的にクラヴィスを探している――!
「では、リューベルト家を調査したことは知っていて?」
「我が家を……ですか!?」
思いがけない方向から、とんでもない情報が飛んできた。
オスカー様を調べられたということは、もしや彼の秘密も知られてしまっているのでは……?
オスカー様も同じことを考えたようで、一瞬こちらに視線を向ける。
「ええ。手始めに王宮勤務者や上級貴族から調べていてね……リューベルト家も例外なく調べさせてもらったのよ」
「……それで、いかがでしたか」
「もちろん、皆さん違ったわ。……ああ、結婚なさる前だったから、クララ夫人だけは調べられていないのだけれど」
冗談めかして言う王妃様。しかしこちらはそれどころではない。
(……どうしよう、どうすれば良い……?)
こうなってしまうと、バレるのは時間の問題だ。
内心の焦りを抑えていると、横からさりげなく、質問が飛び出てきた。
「殿下……クラヴィス・クライン氏は、男性では?」
「あら……フフ……オスカー殿ったら」
――これは、良くない。
焦りが最高潮に達する。
私にとって都合が良かったから、今まで特に触れてこなかったけれど。
オスカー様は、クラヴィスを男だと思い込んでいる――!
「クライン氏は覆面作家として活動しています――つまり、男性であるとは、限らないのではなくて?」
「――っ!」
オスカー様が息を飲む音が聞こえる。
オスカー様が、気づいてしまった。
クラヴィスが、女性である可能性に!
王妃殿下は私たち二人の表情には気づかず、楽しそうに笑っている。
「今日はクライン氏のことをお伝えしたくて、お二人に立ち寄っていただいたのです。ーーお二人とも、クライン氏についてなにか有力な手掛かりを得たら、教えてくださいね」
王妃殿下はそう言い残して、貴賓室を後にした。
強張っていた体に、一気に汗が噴き出る。
王妃殿下の真意が見えないまま、私たちは静かにため息をついた。
*
劇場からの帰り道、オスカーは馬車に揺られながら、目の前に座るクララを見ていた。
クララは公演のパンフレットを眺めながら、なにやら物思いに耽っている。
(……王妃殿下は、女性貴族もクラヴィス先生の可能性があると言っていた。つまり――)
目の前にいるクララも、その可能性がゼロではない。
突如として浮上した可能性に、オスカーの思考が支配される。
『もしかしてその作品は……クラヴィス・クラインの『水平線の向こうから朝は来る』ではないですか?』
『クララ様のご実家は王宮図書館の管理をされていますから』
『お姉さまはよく、即興で物語を作って語り聞かせてくれたんですよ』
クララにまつわる、様々な情報が思い出される。
クラヴィスをよく知り、膨大な知識を得られる環境にいて、即興で物語を編めるほど発想が豊かなクララ。
(――いや、これで決めつけるのは早計だ)
オスカーは雑念を振り払うように、軽く頭を振る。
目の前の彼女がクラヴィスであるなんて、オスカーにとってはあまりにも突飛すぎる話だった。
「オスカー様」
オスカーの様子がおかしいことに気付いたのか、クララが声を掛けてくる。
「……どうした?」
何もなかったかのように、オスカーは努めて平静な声を出す。
「舞台は、楽しかったですか?」
「……もちろん」
「……良かった」
クララはそう言って、柔らかく顔を綻ばせる。
(――ああ、そういうことか)
花が綻ぶようなその表情に、オスカーの目は釘付けになった。
この数カ月、クララのことを見てきたオスカー。
その脳裏には、様々なクララの表情が浮かんでいく。
聡明で大胆な発想を提案するクララ。両親やベアトリスに立ち回るクララ。本のことを話すときに、少しはにかむような笑顔を見せるクララ。
そのひとつひとつを思い出すたびに、オスカーの心臓は騒がしくなる。
(クララが何者だとしても、関係ない)
クララが契約結婚を受け入れた理由を、オスカーはまだ知らない。
それでも、オスカーの中でひとつ、はっきりと分かったことがあった。
なぜこんなにも、クララのことが知りたいのか。なぜ無意識に、彼女を目で追っていたのか。
その答えはーー。
(やはり、私はクララを――愛している)




