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王都:宴の失敗

 座席表の草稿が、空白だった。


 名前は全部埋まっていた。来賓が百十四名、外交府の書記が十二名、王家席——そこまでは書けた。問題は配置だった。誰をどこに座らせるのか。その根拠が、一つも持っていなかった。


 夜の外交府は静かだった。蝋燭が二本。外交府書記官のクレマンは一人、書記官室に残っていた。補佐役が王都を去ってから、一月近くが経っていた。羽ペンを持ったまま、草稿を見た。


 引き出しを開けた。去年の親善宴の記録を探した。


 あった——昨年の座席表の写しが入っていた。前の年も、そのまた前の年も。五年分が束になっていた。しかし説明がなかった。なぜこの配置なのか。どの来賓をなぜ誰の隣に座らせたのか。一枚も書かれていなかった。


 五年間、「完成品」として届いていた書類だった。


 クレマンは写しをめくった。名前と席番号だけが整然と並んでいた。誰かが毎年この配置を決めていた。しかし誰がどういう根拠で決めたのか——今、この瞬間まで、考えたことがなかった。




 翌朝、古参書記のターレに確認した。


「座席配置の根拠となる資料はどこにありますか。来賓ごとの派閥関係や、同席を避けるべき組み合わせの一覧です」


 ターレは少し間を置いた。


「……資料は、ございます」


「どこにありますか」


「各所に」とターレは言った。「来賓ごとの出身家の記録は外交文書の綴りに。家同士の係争記録は書記局の旧台帳に。今年の来賓であれば、春の農地紛争の記録が農政局にあります。また十二名は通商交渉の当事者でもありますから、商務記録も参照が必要です。水利権の問題が絡む家が七家、婚姻による縁戚関係が変わった家が今年だけで十一家——それだけではなく、来賓の中に前回の宴で不興を買った家が三家あり、宗教上の席順の禁忌が絡む家が五家——」


 ターレは一度言葉を止めた。


「……今挙げただけで十種類を超えています。来賓百十四名について、これらの情報を全て把握した上で誰と誰を隣に座らせてはいけないか、誰と誰を引き合わせると話が動くかを同時に考えながら席順を組む。それを——」


 クレマンは止まった。


「資料は全部ある」


「全部あります。補佐役様は何一つ隠していませんでした。記録は丁寧に、誰が読んでも理解できるように残されています。ただ——それを一度に処理して座席表一枚に落とし込むには、書記官が何人いても足りません。私が試みたとき、三種類目の記録を照合した段階で、すでに前の二種類との整合が取れなくなりました」


「何人いれば」


「わかりません」とターレは言った。「担当を分けて情報を持ち合わせれば、矛盾が出るたびに全員で調整する必要があります。何週間かかるかも——」


 ターレは言い切らなかった。


「補佐役様は、この作業を毎年一人でされていました」とターレは静かに言った。「翌朝には完成した配置表が書記局に届いていました。一晩で」


 クレマンは手元の草稿を見た。


 今年の宴まで、あと一日だった。




 親善宴は夕刻から始まった。


 大広間に蝋燭が百本以上灯された。天井の高い石造りの空間に、橙の光が満ちた。料理の匂いが来賓の衣服の香りと混ざった。肉の焼ける香草、赤ワイン、白粉と油の匂い。入口近くの壁際にクレマンは立ち、記録用の書板を持った。


 エドワードが来賓を迎えた。


 一人ずつ、名前を呼んで、短く言葉を交わす。その笑顔に乱れはなかった。七年間見てきた光景だった——どんな相手に対しても同じ温度、同じ距離感。王太子の社交というのはそういうものだと、クレマンは覚えた。


 来賓が席に着いた。


 グレーフェン侯爵家の使節ブランドが、第三卓の端に座った。


 隣に、ラントシュタイン伯爵が着席した。


 クレマンにはわからなかった。その配置が何を意味するのか。名前は知っていた——二つとも、西部の古い貴族家だという記録はある。だがそれだけだった。




 使節ブランドが席に着いた。隣を見た。


 一拍があった。


 使節は口を開かなかった。杯を手に取り、視線を前に向けた。卓の向こうで誰かが話しかけてきた。返事はした。しかしその返事は最初の一言が終わると、続かなかった。


 会話が止まった。杯が止まった。笑いが止まった。


 クレマンは壁際から見ていた。第三卓だけが、周囲の賑わいと少し異なる速度で動いていた。隣の卓から笑い声が来た。第三卓は、それに応えなかった。それが何かはまだわからなかった。ただ——違和感は確かにそこにあった。




 蝋燭が一本分短くなった頃、使節が席を立った。


 側近を一人連れた使節が、エドワードの方へ歩いていった。クレマンは書板を持ったまま一歩近づいた。


 会話は聞こえなかった。エドワードが笑顔で話し、使節が何かを言い、エドワードが頷いた。使節が一礼して広間を出た。


 退席だった。


 大広間は止まらなかった。料理が次の皿に変わった。別の卓で笑い声が上がった。エドワードが次の来賓の方へ向いた。その笑顔は変わっていなかった——しかしクレマンには、変わっていないことの不自然さが、この夜初めて見えた。




 来賓が引き揚げた後、エドワードはクレマンを執務室に呼んだ。


 机の蝋燭が三本。窓の外に夜の王都の静けさがあった。


「グレーフェン侯爵家とラントシュタイン伯爵家」とエドワードは言った。「三代前から水利権の係争がある。今年、農地開発計画で再び表面化した。宴席で同席させるのは——」


 言葉が途切れた。


「誰がその配置を決めた」


「私です」とクレマンは言った。「根拠となる資料が各所に分散しており、全て把握した上で席順を組む時間がありませんでした。昨年の写しを参考に並べましたが、照合できていない家が複数残っていました」


「資料は確認したのか」


「確認しました。ただ——来賓百十四名分を整合させるには、複数の書記で当たっても宴の前日までに間に合いませんでした」


 沈黙が来た。


 クレマンは書板を胸の前に持ったまま、エドワードの机の端を見た。指が置かれていた。動かなかった。


「七年間、問題がなかった」とエドワードは言った。「毎年この宴は回っていた。なぜ今年に限って」


 答えられなかった。


 答えは一つしかなかった。今年は、今年だけ、あの人間がいなかった。それが答えだった。しかしエドワードはそれをすでに知っていた。クレマンが言うべきことではなかった。


「……他に管理できる人間を探しております」とクレマンは言った。「ただ、記録は全て残されているのですが——その量と複雑さを、現在の人員では処理しきれていません。複数の書記で分担を試みましたが、整合を取り直すたびに時間がかかります」


「全容が、把握できていない」


「はい」


「ルイーゼを探せという件は、どこまで進んでいる」とエドワードは言った。


「まだ見つかっておりません」


 エドワードは机の端から指を離した。


「急げ」とエドワードは言った。


「他に何か確認することはございますか」


「今夜はない」




 急げ、という言葉が残った。しかし何を急ぐかが、クレマンにはまだわかっていなかった。


 翌日の朝、クレマンは補佐役の執務室の跡を確認した。


 書記局の端にある小部屋だった。南向きの窓。机。棚。机の引き出しを開けた——空だった。棚を確認した。台帳が数冊残っていた。しかし日付は五年前で止まっていた。直近の記録はなかった。


 この部屋に七年間、人がいた。


 毎日、何かを書いていた。何かを管理していた。その仕事が何だったか——この部屋に来て初めて、確認しようとしていた。


 クレマンは部屋を出た。廊下に戻った。




 書記局の書棚に戻ったとき、昨年の外交文書の綴りを引き出した。条約の写し、覚書、来賓への書簡——一年分の外交記録がそこにあった。


 一通ずつ確認した。


 筆跡が、同じだった。


 条約の写しにも。覚書にも。来賓への書簡にも。七年分の書類の端に、一人の筆跡が通っていた。


 クレマンは最後の一通を手に持ったまま、止まった。


 この筆跡が誰のものか——一人しか思い当たらなかった。しかし宴の座席を決めていたのと同じ人間だとすれば、社交界の人脈を管理していたのと同じ人間だとすれば、魔法陣の維持を一人でやっていたのと同じ人間だとすれば——


 七年間、この部屋に何があったのか。


 書類は薄かった。中身は空だった。しかしこの廊下の壁の向こうに、今もわかっていないことが積まれているような感触が、クレマンにはあった。


 綴りを棚に戻した。


 廊下の先で、誰かが歩いていく音がした。



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