夕暮れに呼ばれる
薪を割る音がした。
リムノの朝は、その音から始まった。ヘンリクが毎朝決まった時刻に裏手で薪割りをすると、ルイーゼはこれで三度目になって気づいていた。
窓を開けた。朝靄が畑の端から低く這っていた。遠くの山の稜線が滲んで、その向こうに空の白さがあった。王都の朝は建物と建物の間から覗く空だった。ここの空は——遮るものがなかった。
台帳の四冊目を開いた。
三日で三冊が終わった。農地記録を区画ごとに整理し、収穫記録を年別に並べ直した。単純な作業だったが量が多く、「三年間止まっていた」という意味がよくわかった。誰かがずっと記録し続けて、誰もそれを整理しなかった——そういう台帳だった。
手が動いた。数字を見ると、自然に整理が進んだ。七年間でそういう身体になっていた。
午前のうちに、外で子供が泣いていた。
ルイーゼは台帳を置いて扉を開けた。七歳か八歳の子供が小屋の前の石垣の端に腰かけて、膝を押さえていた。血が出ていた。
「見せてください」
子供はルイーゼを見た。少し考えた。膝を差し出した。
擦り傷だった。石に当たって皮が剥けていた。ルイーゼは室内から水と布を持ってきて洗浄した。縫合が必要な深さではなかった。
「この村に薬草は生えていますか」とルイーゼは聞いた。
「川の土手にいっぱいある」と子供は答えた。
「場所を教えてもらえますか。あとで」
「……うん」
子供はしばらく間を置いて、また走っていった。先ほどより速かった。
「この村に薬師はいませんか」
夕食の際、ルイーゼはヘンリクに聞いた。
「いない」とヘンリクは言った。「隣村まで半日かかる。急ぎのときは薬草を煎じて対処する。それで足りないときは——まあ、そうなる」
「そうなる、というのは」
「死ぬこともある」とヘンリクは言った。淡々と、事実として。「子供が熱を出したとき、間に合わなかったことが一度ある。十年前だ」
ルイーゼは椀を置いた。
「薬草処方なら、私が少し知っています。七年間、疫病対策の調薬記録を管理していました。辺境でも代用できるものがいくつかある」
「いい知識だ」とヘンリクは言った。「台帳整理と、どちらを優先する」
「両方できます。午前に台帳、午後に薬草採取と整理を」
「無理をするな」
「無理ではありません」とルイーゼは言った。「できることを、できる範囲でやります」
ヘンリクはカップを持った。それ以上は言わなかった。
それだけで十分だった。
翌日の午後、子供に川の土手を案内してもらった。
子供の名前はラウルといった。昨日の擦り傷の子だった。友人が二人ついてきていて、三人は川沿いを走りながらルイーゼの少し前を行った。
「あれはオシバナ」とラウルが白い小花を指した。
「止血に使えます。覚えておきましょう」
「知ってるの?」
「少し」
「村の大人は知らないよ」
ルイーゼは何も言わなかった。
一時間ほど歩いて、十二種の薬草を確認した。王都で処方に使っていたものの六割が、ここでも育っていた。品質は良かった。日当たりと水量がいい土地だった。
採取しながら、頭の中で代用表を組み立てた。王都の精製薬草と辺境の生薬——どちらが何の代わりになるか。七年間の調薬記録が、初めて別の場所で使い道を持った。
リムノには、自分の知識が届く場所があった。
小屋に戻ると、扉の前に女性が立っていた。
三十代か四十代、日焼けした農婦だった。手に布を持っていた。
「ルイーゼさん」と女性は言った。
ルイーゼは少し止まった。
ヘンリクではなかった。ラウルでもなかった。「補佐役様」でも「補佐役」でもなかった。この村で、ヘンリク以外の人間が名前を呼んだ。しかも——「さん」がついていた。
七年間、それがなかった。
「昨日、うちのラウルの膝を見てもらって」と女性は言った。「あの子が転んで泣いていたのに、私が気づいてやれなかったから——ありがとうございました」
「大したことはしていません」とルイーゼは言った。
「大したことです」と女性は言った。「これ、うちで焼いたパンです。受け取ってください」
ルイーゼは布を受け取った。温かかった。
名前を聞こうと思った。七年間、名前ではなく役割で相手を把握してきた。しかし今、聞くことが自然にできる気がした。
「……お名前は」とルイーゼは言った。
「ミナです」と女性は言った。「ラウルの母です。よろしくお願いします、ルイーゼさん」
もう一度、名前が届いた。
夕暮れが来た。
空は橙だった。
昨日の橙と同じ色だった——そう思ってから、少し違うかもしれないとも思った。昨日は「広い」と感じた。今日は「静かだ」と感じた。空の色は変わらなくても、見る自分が変わっていたのかもしれなかった。
四日で、二回。
ヘンリクとミナに、名前を呼ばれた。
七年間、ゼロ回だった。
台帳を閉じた。受け取ったパンの残りを一口食べた。小麦の素朴な味がした。
空の端に薄い三日月が出ていた。
外交府の廊下に夜が来た。
クレマンは魔法師評議会からの書簡を抱えて、エドワードの執務室へ向かった。午後に届いた報告を上申する時間が、ようやく来た。
扉を叩いた。「入れ」という声がした。
エドワードは机の書類に目を落としていた。蝋燭が三本、机の上に並んでいた。
「魔法師評議会からの報告です」とクレマンは言った。「王都北部の街灯陣について、第一の異常が観測されました」
「街灯の陣?」
「先週から、北区画の魔法灯が夜間に複数回点滅したとの報告が住民から上がっています。評議会が確認したところ、維持補充が切れていると」
「維持補充が、切れた?」
「最後の補充は二ヶ月前です。以前は毎月定期的に行われていました。担当は——」
「補佐役か」とエドワードは言った。
沈黙が来た。
「はい」とクレマンは言った。「評議会が確認したところ、この七年間、王都の主要魔法陣の維持補充は全て——彼女一人が行っていました。評議会附属の術師が予算削減で削減されたのが十年前で、以降、補佐役が独自に引き継いでいたようです」
「他に誰も担当がいなかったのか」
「いませんでした、殿下」
エドワードはペンを置いた。
「評議会は対応できないのか」
「陣の設計が独自記法で書かれています。解読に六ヶ月以上かかると評議会は言っています。それまでの間は段階的に機能低下が進む見通しで——街灯だけではなく、水路の保存陣、城門の警戒陣も同様の状態と」
部屋が静かになった。蝋燭の火が少し揺れた。
「……補佐役を探せ」とエドワードは言った。
クレマンは一拍置いた。
「名前は——なんだったか」
クレマンはその問いに、すぐに答えられなかった。七年間、廊下で「補佐役様」と声をかけ続けた。名前を知っていた——知っていたはずだった。しかし今、すぐには口から出てこなかった。
「ルイーゼ、です」とクレマンは言った。「外交補佐役、ルイーゼ」
「ルイーゼを探せ」とエドワードは言った。「どこにいても構わない。連れ戻せ」
扉を閉めて廊下に出た。北区画の方向の天井の魔法灯が——また、微かに揺れた。
リムノの夜は静かだった。
三日月が、白かった。




