報告の手紙
羊皮紙の封蝋が、指先に当たった。
堅かった。表面が少し凹凸していた。王太子の私印が押された蝋の端は、ここ数日でわずかに欠けて、欠片が紙の裏に張り付いていた。六日間、机の上で同じ向きに置かれていた封書だった。ルイーゼは親指の腹で封蝋の縁をなぞり——それから、ゆっくりと蝋を剥がした。
音が一つした。小さく、乾いた音だった。
朝の光の入り方が変わっていた。
十二月に入り、窓から射す光の角度が低くなった。朝の最初の一時間、薬棚の一段目だけが白く浮かんで、下の段はまだ薄暗いままになる。ルイーゼはその光の中で、封書を膝の上に置いていた。
開けてもいい朝が来たと思ったのは、起き抜けではなかった。薬草の乾燥具合を確かめ、処方記録の昨日の続きを書き、朝の仕事を一通りこなした後だった。ふと机の端の封書を見て——今日だと、思った。理由を言葉にしようとはしなかった。ただ、今日だった。
折り重なった羊皮紙が、二枚あった。
ルイーゼは静かに広げた。
読み始めた。
書き出しは、こうだった。
報告する。
クラウゼル慈恵院について。今月、グレデル商会からの寄付が届いた。銀クロン六十枚。院長のリルカという人物と先月初めて話した際に、七ヶ月分の不足を把握した。フェルナン伯爵とヘーゼル夫人にも書状を送り、月内に目処がついた。子供は二十三名いる。来月の食料を先に手配した。
外交府について。イリェス国との条約更新が今月一件、決着した。書記官の草稿に七点の確認事項があり、うち三点はイリェス側の書式に関するものだった。外交府前長官の遺族ヘーゼル夫人が過去の書式の写しを持っていた。夫人から借り受けた記録を参照して、書記官と三日かけて修正した。条約更新は先方に送付済み。返書待ちの状態にある。
農業試験場について。三列目の畝に、今週、芽が出た。計画書の写しから種を選んで播いたものだった。試験場の担当者に確認したところ、計画書の分析欄に「この品種を三列目に」という記載があったと言った。誰が書いたかは記録に残っていないが、分析欄の筆跡は七年間変わっていなかったとも言った。
ルイーゼは紙から目を離した。
窓の外で、風が一度鳴った。薬棚の端にある乾燥束が、かすかに揺れた。
謝罪の言葉は、どこにも書かれていなかった。
そのことに、ルイーゼは少し驚いた——驚いた、というより、何かを確かめた、という感覚に近かった。封を開ける前に想定していた言葉は、いくつかあった。謝罪。弁明。説明。「戻ってきてくれ」という一文。そのどれでもなかった。ただ、報告があった。
慈恵院の食料。外交の書式。農業試験場の畝の芽。
ルイーゼはもう一度、紙に目を落とした。
二枚目に移った。
補佐役を三名採用した。ヴァレリ、レオン、ソーニャという。引き継ぎを進めているが、六割か七割にしか届かない。残りの三割から四割については、担い手がまだいない。調薬の処方については特に。記録帳に骨格はあるが、配合の最終工程が書かれていなかった。
魔法陣について。評議会が記法の分析を続けている。七年以上、台帳に記録がない術師が王都の封印塔を管理していたという結論が出た。評議会は「何者か」と問いを立てている。私はその問いに対して、今の段階では何も答えていない。評議会が自力で記法を解読するには、まだ時間がかかる見込みだと聞いている。
これだけのことが、一人の人間によって動いていた。
七年間、そうだったということを——私は先月まで、数えたことがなかった。
ルイーゼは手の中の羊皮紙を、静かに持ち直した。
「これだけのことが、一人の人間によって動いていた」という一行が、視野の中で少し長く残った。謝罪ではなかった。しかし謝罪でない言葉が、時として——謝罪よりも重く届くことがある、ということを、ルイーゼは今日初めて知った気がした。
手がわずかに冷えていた。炉の薪が沈む前の静かな時間だった。ルイーゼは視線を紙に戻した。
続きがあった。
一つ、聞いていいか。
名前で呼んでいいか。
ルイーゼは紙を持ったまま、止まった。
止まった、というのは正確ではなかった。息はしていた。炉の低い音が聞こえていた。ただ、何かが一点で静止した——頭の中の、どこか一番静かな場所が、止まった。手の中の羊皮紙を、知らないうちに少し強く握っていた。
一つ、聞いていいか。
名前で呼んでいいか。
ルイーゼは手紙を読み直した。一枚目から。慈恵院。外交。農業試験場の芽。三人の補佐役。評議会の問い。「数えたことがなかった」という一行。そして最後の二行。
読み直しても、同じだった。
謝罪ではなかった。詫びではなかった。頼みでもなかった——問いだった。「呼んでいいか」という、ただ一つの問いだった。
炉の薪が、一度ゆっくりと沈んだ。
ルイーゼは羊皮紙を膝の上に置いたまま、しばらく正面を見ていた。窓の外の光が、薬棚の二段目まで届き始めていた。朝が少し進んでいた。
七年間、名前で呼ばれなかった。
七年間呼ばれなかった名前を、今、手紙の最後の一行が問うている。「呼んでいいか」と。「呼ぶ」でも「呼ぶことにした」でもなく、「呼んでいいか」と問うている。
それが、何を意味するかは——ルイーゼには分かった。
七年前、十五歳で王都に入ったルイーゼは、一度も名前を問われなかった。問われないから、名乗らなかった。名乗る場がなかった——というよりも、名乗るという行為そのものを必要とされなかった。補佐役という役割が先にあり、人間としてのルイーゼはその後ろに畳まれていた。
今、封書の最後に、問いがある。
「呼んでいいか」。
問うている。
戸を叩く音がした。
「ルイーゼさん、いる?」
コラの声だった。ルイーゼは羊皮紙を静かに折り、「入ってください」と言った。
コラが扉を開けた。外の冷気が少し入ってきた。コラは部屋の中を見て、ルイーゼの手元に目をやった。
「……封、開けた?」
「はい」
コラが靴の雪を戸口で払って、中に入った。炉の前の椅子を引いて、腰を下ろした。ルイーゼの顔を一度見て、それから炉の方を見た。
「どうだった」
「……謝罪ではありませんでした」
「そっか」
コラが膝の上で手を組んだ。火の低い音が続いた。
「何だったの」
「報告でした」
ルイーゼは手の中の羊皮紙を見た。折り目が一本できていた。
「孤児院のこと。外交のこと。農業試験場に芽が出たこと。——最後の一行が、一つだけ問いでした」
「何を聞いてきたの」
ルイーゼは少し間を置いた。
「名前で呼んでいいかと」
コラが黙った。長い沈黙ではなかった。ただ、答えを急がない間があった。
「……それで、どう思う」
「……構わないと、思っています」
「うん」
「呼ばれることと、呼ばれない頃のこととは——別々に在ります。七年間が消えるわけではない。ただ」
ルイーゼは言葉を探した。すぐには見つからなかった。
「問われたことが——今日、初めてでした」
コラが炉の方から視線を戻して、ルイーゼを見た。
「問われた、ね」
コラは膝の上の手を、すこしだけ組み直した。炉の音が一度低く鳴った。
「はい」
「それで十分な気もするけど」とコラは言った。「十分かどうかは、ルイーゼさんが決めることだけど」
コラが帰ってから、ルイーゼは机に戻った。
羊皮紙を広げ直した。二枚目の最後を、もう一度読んだ。
「名前で呼んでいいか」。
九文字だった。報告の羊皮紙二枚の末尾に、九文字だけ書いてあった。
ルイーゼは紙を机に置いた。引き出しから便箋を取り出した。インク壺を引き寄せた。ペンを持った。
書くことは決まっていた。書き始める前に、一度だけ止まった——七年間、自分の手で無数の手紙を書いた。外交文書。報告書。寄付依頼の書状。どれも、自分の名前が入っていなかった。
今書く手紙は、自分の名前で書く手紙だった。
ペンの軸が、指の間に馴染んだ。七年間書き続けた同じ重さだった。それでいて、今夜の重さは少し違った。
ペンが動いた。
「構いません。ルイーゼと呼んでください。」
それだけを、書いた。
書き終えてから、ペンを置いた。インクが乾くのを待つ間、炉の薪が低く鳴った。その音が、決断を確かめるように聞こえた。ルイーゼはもう一度エドワードの手紙を手に取った。一枚目の書き出し——「報告する」という二文字。
謝罪ではなかった。ルイーゼはこの手紙が謝罪でなかったことを、今は不思議と正確に受け取ることができた。謝罪が来たとしたら——返す言葉を、ルイーゼは持っていなかっただろう。しかし報告は違った。報告には、受け取ることができた。孤児院の銀クロン。外交書式の写し。三列目の畝の芽。
芽が出た、という一文が、ルイーゼの中のどこかに届いていた。
農業試験場には、七年間行き続けた。毎月、報告書の分析欄を書いた。三列目の畝にその品種を指定したのは、三年前の冬だった。霜が降りた後の土を、棒で深さを測った。日当たりの角度を確かめて、区画を決めた。土の深さと日当たりを測って、播種の最適時期を計算した。その記録が——今年の秋に芽を出した。
自分がいなくなった後も、計画書の写しが残っていた。誰かがそれを読んで、種を播いた。芽が出た。
ルイーゼは羊皮紙を元の向きに畳んだ。
夕方近く、返信の封をした。
便箋を折り、封筒に入れた。蝋を溶かして封をした。蝋が固まる前に、何も押印しなかった。印章を持っていなかった——七年間、自分の印章がなかった。王太子の名義で送る手紙を書き続けた。
封筒の宛名を書いた。「エドワード殿下へ」と書いた。それから少し止まり、もう一行書いた。「アルヴェイン王都クラウゼル、王宮気付け」と。
書いてから、ルイーゼは封筒を持ったまま、しばらくその宛名を見た。
七年間、ルイーゼを「道具」と呼んだ人間に宛てた、初めての手紙だった。
怒りではなかった。恨みでもなかった——そういう感情が、今はすでにどこにあるかが分からなかった。あったことは確かだった。しかし今夜、手紙を手にしているルイーゼの中にあるのは、もっと静かな何かだった。
「呼んでいいか」と問われた。
「呼んでください」と答える。
それだけが、今日起きたことだった。それだけで、十分だった。
夜になった。
コラが「明日、ドネルのおじさんから薬草の束が届くって言ってたよ」と戸口から声をかけていった。「分かりました」と答えると、足音が遠くなった。
ルイーゼは炉に薪を足した。薪の端が赤い核に触れて、細い煙が上がった。小屋の中が、わずかに明るくなった。
机の上に、二つのものがあった。
エドワードからの手紙——畳まれて、重ねて置いてある。それから、返信の封筒——宛名を書いて、封をして、明日の朝に村の集会所へ持っていく予定の。
二つを見比べることは、しなかった。ただ、どちらも今夜ここにあった。
炉の前に戻り、ルイーゼは記録帳を開いた。今日のことを書いた。「封を開けた。返信を書いた。明日、集会所に持参する」と書いた。それから一行空けて、もう一行だけ書いた。
「農業試験場の三列目の畝に、芽が出たと書いてあった」。
ペンを置いて、記録帳を閉じた。
炉の薪が沈む音がした。ルイーゼは顔を上げて、炉の中を見た。薪が一つ、ゆっくりと崩れて、底の方の赤い核が外に出た。炉の中で、しんと光っていた。
ルイーゼは机に戻った。返信の封筒を持ち上げた。宛名の文字が、炉の光の中で少し白く浮いた。
明日、届けにいく。
それだけのことが、今夜は、少し——重かった。重い、という言葉が正しいかどうか分からなかった。ただ、手の中の封筒が持つ重さは、便箋一枚と蝋の重さだけではなかった気がした。
蝋燭を吹き消した。
炉の明かりだけになった部屋の中で、ルイーゼは封筒を机に置いた。
明日、持っていく——と、もう一度思った。
封筒の白が、炉の赤の中でゆっくりと沈んでいった。




