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文字にできないこと

 指先が、薬の重さを知っていた。


 ルイーゼは小さじを持ち上げた。粉末がその上に盛られていた。量を目で確認する前に、手の傾きで分かった。多すぎる。指が、重さを記憶していた。


 「ここが、今日の話の核心です」とルイーゼは言った。




 クレマンはペンを握っていた。エドワードは椅子に座って、机の上の薬草の粉末を見ていた。昨日から、エドワードの座り方が変わっていた。背をあまり立てなくなっていた。前に少し傾いて、聞く姿勢になっていた。


「昨日の第三段階は、標準の処方量の話でした」とルイーゼは続けた。「今日はその応用です。同じ処方でも、患者の体格、年齢、体調によって量を変えます」


「変え方に決まりはあるか」とクレマンが聞いた。


「骨格はあります。子供には成人の三分の一から半分。老人には成人量から一割から二割を引く。体格が大きい成人には少し増やすことがある。ただ——それだけでは足りません」


 クレマンが書き取った。エドワードは動かなかった。


「足りない理由は」


「状態が変わるからです」とルイーゼは言った。「同じ患者でも、昨日と今日で体調が違う。解熱の薬なら、熱の高さによって量を変えます。三十八度の熱と四十度の熱では、同じ量を出しません。また、複数の薬を同時に使う場合、一つずつの量はそれぞれ通常より減らします。混ぜると効果が重なる。重なりを計算に入れないと、多すぎる」


「それをどう覚えているのか」とエドワードが言った。


「覚えていません」


 エドワードが少し止まった。「……?」という間があった。


「覚えていない、ということですか」


「基準は覚えています。でも判断は、毎回その場でします。患者の顔を見て、手首の脈の強さを確認して、昨日との変化を照らし合わせて、その日の量を決めます。昨日と同じ処方でも、今日の量は違うことがある。それは手が決めます。頭が計算する前に、手が先に答えを出していることがあります」


 クレマンのペンが止まった。書き取ろうとして、止まった。「手が先に」という部分を、どう文字にするかを迷っている顔だった。




 エドワードが腕を組んだ。


 指が指を押す動きを、今日はしていなかった。ただ、組んでいた。考えている形だった。


「それを文字にできないか」


 ルイーゼは少し、間を置いた。


「文字にすると固まります」とルイーゼは言った。「判断は固めてはいけません」


 エドワードが動かなかった。


 固まる、という言葉が、小屋の中に置かれたまま宙に浮いた。クレマンはペンを持ったまま、書かなかった。ルイーゼも、次の言葉を急がなかった。


「文字に書いた通りにしか動けない人間が出てくる。患者は一人ひとり違います。書かれた量を守ることが正しいと思いこんだとき、目の前の人間が見えなくなります。目の前の人間に合わせることが先で、文字はその補助です。文字が主になった瞬間に、判断は死にます」


 エドワードは、しばらく黙っていた。


 長い沈黙ではなかった。ただ、考えている間だった。何かを受け取って、その重さを確かめている間だった。


 クレマンが小さく、ペンで机を叩いた。考える仕草だった。それから、今まで書き取ったものを一度見直した。


「……続けてください」とエドワードが言った。




 体格による量の変え方を、ルイーゼは具体的な例で話した。


 昨年の秋に診た猟師の話。身長も体重もある男で、通常の成人量では夕方にはもう一度必要になった。逆に、隣村から来た細身の老婦人。同じ症状でも半量から始めて、様子を見ながら増やした。増やす必要はなかった。


「判断の基準に、体重を使わないのか」とクレマンが聞いた。


「使えれば使います。ただ、体重を量る手段がない家がほとんどです。手段がないときは、見た目の体格、筋肉の張り方、手の大きさで近似します」


「それが精度的に正しいのか」


「正確ではありません」とルイーゼは言った。「ただ、何もないよりは近い。精度が低い判断でも、していない判断より患者に近づきます。精度は経験で上がります。最初の頃は見誤ることがありました。今は少ない」


 エドワードが言った。「最初の頃、とは」


「王都で覚え始めた頃です。十六の年から」


 クレマンのペンが走った。エドワードは何も言わなかった。




 昼を過ぎた頃、一家が来た。


 村の南に住む農家の夫婦で、夫の方が咳をしていた。ルイーゼは脈を取り、喉を見て、背に手を当てた。肺の奥にはまだ届いていなかった。上気道だった。


「二日分の薬を出します。咳止めと、少し喉を楽にするもの。お湯で飲んでください。冷たい水は避けて。外仕事は今日明日は控えてください」


「控えられるかどうか」と夫は言った。


「雪が積もる前に、やることがある。分かっています」とルイーゼは言った。「できるなら、午前中は休んで昼から短時間だけ。それが難しければ、途中で手を止める判断をしてください。咳が深くなったらすぐ来てください。深くなる前の方がいい」


 夫が頷いた。妻が薬の小袋を受け取った。


 二人が出て行った後、エドワードは入り口の近くに立っていた。今日は壁から少し離れた位置にいた。観察の目で見ていた。


「控えられないかもしれない、と分かっていて、控えてほしいと言うのか」


「分かっています。でも言います」とルイーゼは言った。「言うのと言わないのでは、彼の判断の材料が変わります。言った上で彼が決める。言わなければ、彼は言われなかったと判断します。言葉は残ります」


 エドワードは短く、「そうか」と言った。




 夕方前になって、最後の患者が帰った。


 ルイーゼは薬棚の前で、明日の分の準備をした。引き出しを閉めながら、今日使った量を確認した。冬草の残りがそろそろ少なくなっていた。明後日に採りに行く必要があった。


 クレマンが今日の書き取りを整理していた。ページを重ねて揃える音がした。


 エドワードは窓の外を見ていた。雪は昨日に続いて今日も降っていた。積もるには薄すぎたが、石畳が少し白くなっていた。


「一つ聞いていいか」


 ルイーゼは薬棚に向いたまま、「はい」と言った。


「王都で疫病が広がり始めたとき——あなたは何をしていたか」


 手が、止まった。


 引き出しを押し込もうとしていた手が、途中で止まった。押さなかったわけでも、引いたわけでもなかった。ただ、そこで静止した。


 クレマンのペンの音が聞こえなくなっていた。




 ルイーゼは引き出しを最後まで閉めた。


 それから振り返った。エドワードはまだ窓の外を見ていた。ルイーゼの方を向いてはいなかった。向かないで聞いている声だった。


「処方を配っていました」


 エドワードが、少しだけ動いた。振り返りかけて、止まった。


「一人で?」


「はい。私が行ける場所に行きました」


 部屋に沈黙があった。


 クレマンは書き取っていなかった。ペンを持ったまま、紙の上に置いていなかった。


 エドワードが窓から離れた。机の前に来て、椅子に座った。ルイーゼの方を見た。ルイーゼはエドワードを見ていた。


「行ける場所、とは」


「王都の東区の市場から、外縁の住居区まで。医者が行かない場所です。貧しい区画は医者が来ませんでした。処方を知っていて、歩ける者が行く必要がありました」


「何日、かかったか」


「広がり始めから収束まで、二十三日です」


 エドワードは何も言わなかった。


 何も言わない間が、長かった。長い間だった。その間の中で、エドワードが何を考えているかを、ルイーゼは読もうとしなかった。読めなかったのではなく、読む必要がなかった。


「……そうか」


 それだけだった。


 その一言の中に何があったか——ルイーゼには分からなかった。分からないまま、ただその声は小屋の中に残った。




 クレマンが今日の書き取りを片付けた。


 紙を重ねて、革の綴じ紐で束ねた。それを鞄に入れる音がした。エドワードが立ち上がった。


「今日はここまでにする」


「はい」


「明日、また来る」


「はい」


 二人が出て行った後、小屋の中に静けさが戻った。


 石畳の上を歩く足音が遠くなった。一人分の足音が重く、もう一人の足音が少し早かった。やがて両方が聞こえなくなった。


 ルイーゼは薬棚の前に立ったまま、しばらく動かなかった。


 引き出しの感触が、手のひらにあった。今日一日触れ続けた木の感触だった。




 夜になって、ルイーゼは帳面を開いた。


 炉の前に座って、いつも通り今日の記録を書いた。来た患者の名前、診断、出した薬、量、指示。書き終えてから、ペンを置いた。


 なぜ、あれを聞いたのか。


 王都の疫病の話。ルイーゼが一人で処方を配り歩いていた話。エドワードが何のためにそれを聞いたのかを、ルイーゼは考えた。


 自分が知らなかった、と確認したかったのか。

 知っていた、と言いたかったのか。

 あるいは——ただ、知りたかっただけか。


 答えは出なかった。


 エドワードの声の調子を思い返した。咎める声ではなかった。説明を求める声でもなかった。ただ聞いている声だった。向かないで聞いていた。窓の外を見たまま、ルイーゼの方を向かないで。


 向かなかったのは、なぜか。


 それも分からなかった。


 炉の火が、静かに燃えていた。小屋の中の温度が、昨日より一段低かった。冬が深くなっていた。帳面の表紙に手を当てた。冷えた革の感触が、指の腹にあった。


 ただ——聞かれたことは、どこかに重さとして残っていた。


 答えを言ったことが残るのではなかった。聞かれたこと、そのものが残っていた。「王都で疫病が広がり始めたとき、何をしていたか」という問いが、夕方の小屋の空気の中に置かれたまま、夜になっても消えていなかった。


 七年間、王都での仕事についてルイーゼに問いを立てた人間はいなかった。処方を知りたい者はいた。方法を知りたい者もいた。ただ——「何をしていたか」と聞いた者は、いなかった。


 なぜエドワードが今それを聞いたのかは、分からなかった。


 ただ、聞いた人間がいた、という事実だけが残っていた。


 ルイーゼはペンを取った。帳面の余白に、今日の薬草の在庫を書いた。冬草の残りが少ない。明後日に採る。雪が続くようなら翌日に前倒しする。判断は、翌朝の空気で決める。


 書き終えてから、帳面を閉じた。




 翌朝、戸を叩く音が来た。


 まだ朝の早い時間だった。石臼の音より前だった。ルイーゼは薬棚の前にいた。昨日と同じ時間に、同じ人間が来た。


「エドワードです」


「入ってください」


 扉が開いた。朝の冷気が少し流れ込んできた。エドワードが入ってきた。顔に、また昨夜考えた跡があった。影というより——何かを決めた後の顔だった。


 ルイーゼは薬棚の前から動かずにいた。エドワードは今朝は椅子に座らなかった。立ったまま、少しの間、言葉を選んでいた。


「昨日の続きを聞いていいか」


「処方の話ですか」


「……そうではない話です」


 小屋の中に、朝の静けさがあった。


 炉はまだ温まっていなかった。石壁の冷えが、空気の中に残っていた。ルイーゼは引き出しに当てていた手を下ろした。


 昨夜の問いが、まだそこにあった。帳面の余白に書き収めることのできなかった問いが、朝の小屋の中で、また動き始めていた。



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