留まる王太子
帳面を開いた瞬間、インクの古い匂いが立ちのぼった。
乾いた薬草と、皮脂と、細かく砕いた木灰——何度もめくってきた紙の、積み重なった匂いだった。指先にその感触が伝わった。薄く固くなった紙の端が、爪の付け根に当たった。
エドワードは椅子を引いていた。机に向かう音がした。
クレマンがいた。
ルイーゼが帳面を広げたとき、戸の外から足音が来た。一人ではなかった。エドワードの靴底の音と、もう一つ——軽い、乾いた音だった。
「失礼します」
入ってきたのは細身の男だった。三十前後。旅装に墨のついた右手。王都から来たとき以来、ルイーゼは何度か遠くで見ていたが、話したことはなかった。
「書記のクレマンといいます。殿下にお供しております」とクレマンは言った。「今日からお許しいただければ書き取りを」
ルイーゼはエドワードを一度見た。
「連れてくるつもりだった」とエドワードは言った。「話が聞けるなら、書き取る人間がいた方がいい。邪魔ならば——」
「邪魔ではありません」とルイーゼは言った。「椅子をもう一つ出します」
クレマンは壁際に腰を下ろした。膝の上に平板を置き、その上に紙を敷いた。インク壺を取り出した。羽根ペンを一本、耳の後ろから抜いた。
ルイーゼは帳面を机の上に開いたまま、二人を前にして立っていた。
こういう形になるとは思っていなかった。「ここで話す」と言ったのは自分だった。エドワードが書き取ることも、想像していなかったわけではなかった。ただ、もう一人いる。二人の人間が、自分の言葉を受け取るために来ている。
帳面のページを見た。
最初に何を話すか、昨夜から考えていた。「春の初発症」から入る、と決めていた。
「話します」とルイーゼは言った。「書き取りながら聞いてください。途中で質問があれば止めてください」
クレマンがペンを持つ手を整えた。エドワードは頷いた。
「疫病は、冬の終わりから春の初めにかけて最初の感染者が出ます」
ルイーゼは帳面を開いたまま、しかし帳面を読んでいるわけではなかった。目は二人に向いていた——いや、どこかに向いていた。七年間の記憶の方に。
「症状の最初は高熱と喉の痛みです。三日で下がることもあれば、一週間続くこともある。ここで判断が要ります——この熱が疫病の初期なのか、ただの冬の風邪なのか」
「どう見分けるのか」とエドワードが言った。
「気温と、感染者の分布です」とルイーゼは言った。「一人の熱だけ見ていても分かりません。同じ日に、同じ地区で三人以上の発熱があれば、疫病の初発を疑います。王都は東地区から始まることが多いです。水路が東から来ているから」
クレマンのペンが止まらなかった。
「予防薬は、その段階で配布し始めます。全快を待たない。疑いの段階で動く。それが七年間やってきたことです」
「台帳の骨格には書いてあったか」とエドワードが言った。
「書いてありません」
エドワードが少し止まった。
「なぜ」
「毎年、初発の時期が違います」とルイーゼは言った。「その年の冬の明け方が早ければ初発も早い。水路の修繕が秋に入ったかどうかでも変わります。去年の東地区は修繕が入った後でした。だから発症が一週間遅かった。その判断の仕方は、骨格には書けません。書いても翌年には使えないから」
沈黙が一瞬、部屋に落ちた。
クレマンのペンだけが動いていた。紙の上を羽根が走る音が、乾いた部屋に細く響いた。
エドワードは何も言わなかった。
ルイーゼは帳面のページを一枚めくった。紙の端が指の腹に当たった。冬の空気の中で、少し冷えた感触だった。
「第二段階は、三日目以降の症状の分岐です」と続けた。「熱が三日で下がったとき、その後どちらに進むかで処方が変わります。下がった後に咳が残るか、腹痛に移るか——」
「それも、台帳には書かれていなかったのか」
エドワードの問いではなかった。クレマンの声だった。
ルイーゼはクレマンを見た。書き取りの手が止まっていた。聞かずにはいられなかった顔だった。責めているのではなかった。ただ、分からなかったのだろう。
「書いていません」とルイーゼは言った。「前年の症状の傾向を参照するから、毎年の記録が判断材料になります。その年の記録がなければ使えない。台帳は、骨格だけを書ける場所でした」
「では」とクレマンは言った。「七年間、台帳に書き続けたことは——」
「処方の骨格と、その年の観察記録です」とルイーゼは言った。「骨格は変わらない。観察記録は毎年積み上がる。両方が揃って、初めて次の年に役に立ちます」
クレマンが再びペンを走らせ始めた。
エドワードは少しの間、黙っていた。
黙ったまま、机の上の帳面の方を一度見た。帳面の字が見えるわけではない距離だった。見ているのは帳面ではなく、その向こうにある何かだった。
指が膝の上で動いた——いつもの動きだった。考えがまとまるときの、指が指を押す動き。ルイーゼは視野の端でそれを確かめた。
「なぜ」とエドワードは言った。「台帳に書き留めなかったのか」
ルイーゼは答える前に、一拍置いた。
「毎年変わるものは、書いても翌年には使えません」と言った。「判断の仕方を教えなければ意味がない」
エドワードが、今度は黙った。
さっきより長い沈黙だった。質の違う沈黙だった。何も返せない、という黙り方ではなかった。——言葉の重さを、量っている沈黙だった。
クレマンは書き取った。ペンの音だけが続いた。
戸が、二度叩かれた。
強い叩き方ではなかった。ただ、急いでいる音だった。
「はい」とルイーゼは言った。
「失礼します」
入ってきたのは、女だった。四十近い、農家の体格をした女だった。息が少し上がっていた。額に汗があった。冬の朝に走ってきた顔だった。
「ドネルの家の妻です。子供が——熱がまた上がって」
ルイーゼは帳面を閉じた。
「今行きます」と言った。「少し待ってください」
薬棚の前に立った。引き出しを三つ、順番に開けた。迷わなかった。三日前から子供の状態を診ていた——何が要るかは分かっていた。熱が下がらないなら、次の段階だった。
小袋に薬草を量った。麻布で包んだ。短い紐で結んだ。それを手の中に収めた。紐の結び目が、指の腹に当たった。
エドワードがその様子を、黙って見ていた。
立ち上がったわけではなかった。ただ、椅子から身体が少し前に傾いていた——ルイーゼが薬棚に向かう動きを、無意識に追っていた。
クレマンのペンが止まっていた。
薬草を小袋に入れる手が止まらなかった。引き出しを開けてから三十秒も経っていなかった。三日前から、何が要るかを分かっていた手の速さだった。
ドネルの妻が扉の前で待っていた。腕の中に子供はいなかった——急いで来たから、来るだけで来た、という立ち方だった。
「昨日の昼から飲ませた薬は、朝まで続けましたか」とルイーゼは聞きながら薬を取っていた。
「はい、言われた通りに。でも朝になって急に上がって」
「何度あったか分かりますか」
「手を当てると、前より熱い気がして——」
「分かりました」とルイーゼは言った。「今日のものを持っていきます。下がらない場合はまた呼んでください」
女は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。ありがとう——」
「行きましょう」
外は白い光の中だった。
冬の晴れた朝の光だった。石の家の壁が白く光の中にあり、地面に薄い霜が残っていた。足で踏むと、乾いた音がした。
エドワードが出てきていた。
ルイーゼは振り返らなかったが、後ろに足音があった。いつもの靴底の音だった。ドネルの妻が先に歩いていた。ルイーゼはその後を歩いた。エドワードは一拍遅れて続いていた。
何も言わなかった。来ていいかと聞かなかった。来るな、とも言わなかった。そういう状況だった。
ドネルの家は広場の東にある石造りの家だった。
入ると、炉の前に子供が横になっていた。七歳か八歳の、痩せた子だった。薄い額に汗があった。布団の端を握っていた。
ルイーゼは子供の傍らに膝をついた。
額に手を当てた。手のひらにじわりとした熱が移ってきた。三日前より高かった。思ったより上がっていた。咳が出るか、と子供に聞いた。子供がこくりと頷いた。
肺まで来ている。
判断は一秒だった。
昨日の薬から変える必要があった。今持ってきた薬草では足りない。もう一種類追加する。
「一度戻ります」とルイーゼはドネルの妻に言った。「すぐ来ます」
小屋に戻ると、クレマンが立っていた。
帳面の前でまだ書き取りの体勢のまま、立ち上がっていた。どうすれば良いか分からない立ち方だった。
「続けていいか、と聞こうと思っていました」とクレマンは言った。
「少し待ってください」
薬棚の前に立った。引き出しをもう一つ開けた。昨日の薬との相性を確かめた——頭の中でそれをやった。頭の中に処方の地図があった。今日の状態に合わせてその地図の一点を動かした。
小袋にもう一種加えた。
エドワードが戸口から入ってきた。外の光が一瞬広がって、また細くなった。
「子供は」とエドワードは言った。
「咳が出ています。肺まで来ているかもしれない」とルイーゼは言った。「今日は薬を変えます」
「それが——さっき話していた、三日目以降の分岐か」
ルイーゼは手を止めなかった。小袋の口を結びながら「はい」と言った。
「熱が三日で下がらず、咳に転じた場合は肺への移行を考えます。今日がその判断の日です」
エドワードは何も言わなかった。
ドネルの家に二度目に行って戻ったのは、昼を過ぎた頃だった。
霜は溶けていた。石畳が少し濡れていた。足の裏を通して、冷えた湿気が伝わってきた。
小屋に入ると、エドワードとクレマンはそこにいた。二人とも待っていた。クレマンは帳面に何かを書き足していた。エドワードは窓の外を見ていた——子供の声が今日もしていた。広場の方の声だった。
ルイーゼは手を洗った。
盥の水が冷たかった。指の間から水が落ちた。その冷たさが朝から続く熱の感触を押しのけた。手拭きで水を拭いた。
「続きを話せます」とルイーゼは言った。
その後、二刻ほど話した。
第三段階の処方。薬草の品種によって変わる濃度の調整。水の質が処方に影響する場合のこと——辺境と王都では水の硬さが違う、王都の水は石灰が多い、それが薬草の溶け方を変える。そういう話だった。
クレマンのペンが止まりそうになる瞬間があった。「少し待ってください」と言った。ルイーゼは待った。クレマンが書き終えてから続けた。
エドワードは途中で二度質問した。「それは去年も同じだったか」「薬師が一人で対応できる量か」——二つとも、的確な問いだった。正直に答えた。「はい」と「できます。ただし一地区ずつです」と。
帳面の二ページ分が埋まった頃、ルイーゼは言った。
「今日はここまでです」
クレマンが紙を整えていた。
インクが乾くまでの間、紙を風に当てていた。書かれた文字を確かめる顔だった。読み返している顔だった。
エドワードは椅子に座ったまま、ルイーゼを見ていた。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「判断の仕方を——教えてもらうことはできるか」
ルイーゼは少し、止まった。
「処方の骨格と、観察の積み方は話せます」と言った。「ただし、判断の仕方そのものは——話すだけでは伝わらないものがあります」
「どうすれば伝わるのか」
ルイーゼはエドワードを見た。
「見るんです」と言った。「実際の患者を見て、今日の子供のように、熱の質と咳の出方と汗の量を自分の手で確かめて——そこで初めて分かることがあります。それを話で代えることは、私にはできません」
エドワードは少しの間、黙った。
「それを——教えてほしい」
「判断の仕方を、ということですか」
「そうだ」
窓の外で、子供の声が上がった。
誰かが転んだのか、驚いたのか——一瞬だけ声が跳ね上がって、また笑い声に戻った。広場の声だった。今日も昼を過ぎると子供が集まる広場の声だった。
ルイーゼは窓の方を一度見た。
「それには時間がかかります」と言った。
「どのくらい」
少しの間があった。
「……冬が終わるくらい」
エドワードは何も言わなかった。
クレマンが紙から目を上げた。エドワードを見た。エドワードはルイーゼを見たままだった。
答えなかった。肯定も否定もしなかった。
ただ、膝の上の手が、今日は動かなかった。
夕方、二人が帰った後、ルイーゼは机の前に座った。
帳面を閉じたままにしていた。朝に開いて、ドネルの子供の熱の話が来て、昼を過ぎて続きを話した。二ページ分。まだ話していない部分が多かった。
冬が終わるくらい。
自分でそう言った。
言ってから気づいた——「冬が終わるくらい」は日数ではなかった。冬の間に診る患者と、冬の薬草の変化と、その年の疫病の気配を、一緒に見なければ分からないことがある。だから冬が終わるまで、と言った。
それを、エドワードは黙って受け取った。
机の上の帳面の表紙に、指を当てた。薄く固くなった紙の感触があった。長く使った紙の、使い込まれた固さだった。
朝に開いたときの、インクと薬草の古い匂いが、まだ部屋の底に残っていた。




