何のために
五日目の朝、石臼を握る前に手が止まった。
昨夜、眠る前に気づいていた——「頼み」の中身が何であるかを、自分はまだ知らないということに。知らないのに、すでに受けるつもりでいる自分がいることに。布団の中で、その事実を天井に向かって確かめていた。冬の夜の布地の重さが、胸の上にあった。
石臼の冷たさは、今日も夜の冷えを残していた。指の腹に伝わる硬い感触が、一拍おいて暖かくなった。握ればそこに熱が移る。それだけのことだった。
エドワードが来たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
今日は戸の前で足音が止まった。二秒か、三秒か——止まっていた。それから二度叩かれた。ルイーゼは手の中の薬草を置いてから、戸に向かった。
「入ってください」
エドワードが入った。昨日と同じ服だった。正装ではなかった。辺境に来てから四日目に変えていた。旅装の上着に、王都の仕立ての靴。靴だけが今も変わっていなかった。
椅子に腰を下ろす前に、エドワードは一度ルイーゼを見た。
「頼みを話していいか」
「はい」とルイーゼは言った。「聞きます」
エドワードは少しの間、膝の上で手を組んでいた。
組んだ手の指先がわずかに動いた。指が指を押す——ルイーゼはそれを視野の端で捉えた。七年間、同じ手が同じ動きをするのを見ていた。考えがまとまるときの動き方だった。
「王都で疫病が出ている」とエドワードは言った。「去年の秋から、東地区を中心に感染が広がっている。今は落ち着いているが、春になれば再燃する。医師たちは押さえ込もうとしているが——処方が、間に合っていない」
ルイーゼは何も言わなかった。
「台帳がある」とエドワードは続けた。「骨格は書いてある。毎年、疫病の初期対応から予防薬の配合まで——骨格だけは、残っている」
「骨格だけ、ですね」とルイーゼは言った。
「そうだ」
エドワードは手の組み方を変えた。「骨格に、肉付けをしてほしい。薬師たちが実際に使えるように——工程を、具体的に教えてほしい。連れ戻すつもりで来たわけではない。お前が王都に戻る必要はない。ここで教えてもらえれば、それを持って帰る」
部屋が静かになった。
子供の声は今日はまだ聞こえなかった。広場の方から風の音がした。冬の乾いた風、窓の外の音だった。
ルイーゼは机の端に手を当てた。使い込まれた木の、固く滑らかな感触だった。
骨格に肉付けを。
言葉の形は分かった。七年間自分がやってきたことの中身が、そのまま問われている。毎年秋になると王都医師から下ろされてくる疫病報告を読み、気温・感染者の分布・症状の経過を照合して、その年の配合を決めていた。台帳には手順の骨格を書いた。最終配合は書かなかった——その年の状況によって変わるから、書けなかった。骨格は残っている。肉付けは自分の頭の中にある。
それを教えろと、エドワードは言っている。
連れ戻すためではなく。教えを乞うために来た。
ルイーゼは机の端の感触を確かめたまま、少しの間何も言わなかった。
沈黙の中で、エドワードは部屋をひと目見た。
意図したわけではなかったと思った——ただ視線が動いた。棚の薬草。道具の並び。窓際に干した小袋。今日ルイーゼが作業していた、選別途中の束。
ここはルイーゼの場所だった。
七年間、補佐役の部屋には行ったことがなかった。いや、部屋があったはずだった。自分は一度も行ったことがなかった。必要がなかったから。必要がなかったから、行かなかった。補佐役がどこにいて何を使って仕事をしているかを、一度も考えたことがなかった。
ここには、小屋がある。
棚がある。薬草がある。道具がある。窓がある。
王都には書類と台帳があった。台帳は処方の骨格を記す器だった——誰かが使うための、機能の場所だった。ここには薬草がある。道具がある。それを使う手がある。機能ではなく、人間が働く場所だった。ここは、人間の場所だった。
エドワードはその観察を、ルイーゼに言わなかった。言葉にならなかった。言葉になる前に、観察のまま残った。
ルイーゼは手を机から離した。
「少し、考えさせてください」と言った。
「時間を取らせる気はない」とエドワードは言った。「今日でなくていい。明日でも——」
「明日でも構いません。ただ、考えます」
エドワードは少し止まった。「理由を聞いていいか」
「……何のために教えるのか」とルイーゼは言った。「それを、整理したいです」
「疫病が広がっている。それだけでは理由にならないか」
「なります」とルイーゼは言った。「でも、それだけではないような気がします」
エドワードは何も言わなかった。
「何のために七年間やってきたのかと、昨日聞いていただきました」とルイーゼは続けた。「消えないようにするためです、と答えました。今の頼みも——同じ理由でできるのか、別の理由でするのか。自分でも、まだ分かっていません」
長い沈黙があった。
エドワードが、ゆっくりと息を吐いた。
「それは」と言いかけて、止まった。
指がまた膝の上で動いた。組んでいた手が解けた。膝に手のひらを置いた。
「お前が整理するまで、待つ」とエドワードは言った。「急かすつもりはない。ただ——一つだけ言っていいか」
「はい」
「疫病で死ぬ人間がいる。今も、春を越えれば増える」とエドワードは言った。「私が王都を出てここまで来たのは、最初は連れ戻すためだった。だが台帳を読んで——連れ戻すという言葉の意味が変わった。何に変わったか、私自身がまだ分からない。ただ今は、命令ではなく頼みとして言っている」
ルイーゼは聞いていた。
エドワードが「命令ではなく」と言った。それが何を意味するか——七年間のことを知っている耳で聞けば、小さくはなかった。小さくはなかったが、軽くなるわけでもなかった。
台帳を読んだ、とエドワードは言った。白い台帳を、王都で読んだと。その話はまだ詳しくは聞いていなかった。白い台帳に何が書いてあったかを、ルイーゼは知っていた。七年間書いたのが自分だから。ただ、エドワードが読んだという事実は、今ここにあった。
戸の外から、声がした。
子供の声だった。広場の方ではなく、小屋の近くだった。ヘンリクの声が続いた。「こっちじゃない、薬師のところに行ってどうする」という声だった。子供が笑って返す声がした。それからまた足音が遠ざかっていった。
エドワードがその声の方を向いた。
「村長と子供、か」
「ヘンリクさんは顔が厳しいですが」とルイーゼは言った。「子供に好かれています」
「そうか」とエドワードは言った。少し間があった。「お前はここで、どう呼ばれているのか」
「ルイーゼです」とルイーゼは言った。「薬師と呼ぶ人もいます。名前で呼ぶ人もいます」
「名前で」
「はい」
エドワードは少しの間、黙った。それから「そうか」ともう一度言った。今度は先ほどと少し違う声だった。何かを確かめた後の、静かな声だった。
エドワードが帰ったのは、夕暮れ前だった。
扉を開ける前に、今日は立ち止まらなかった。昨日は扉の前で「一つ頼みがある」と言い残した。今日は言い残すことがなかった。頼みは言った。あとはルイーゼが整理するのを待つ、と言った。その言葉どおり、足音は扉の前で止まらず、そのまま外に出ていった。
足音が遠ざかった。
石畳の音が、今日も均一だった。急いでいなかった。昨日より少しだけゆっくりとした音だった。急く必要がなくなった分、ではないと思った。何か別のものが、歩調を変えていた。
ルイーゼは机の前に座った。
何のために教えるのか。
疫病が広がっている。それは理由になる。自分の頭の中にある知識が、使われれば死なずに済む人間がいる。それは分かった。分かっていた。七年間も、そのために書き続けた。消えないように書き続けた。使われるために書いた。
では、エドワードに教えることと、ただ知識が使われることは、同じか。
答えが出なかった。
王都を去る朝のことを、今は考えなかった。宴席の翌朝、無言で荷物をまとめたときの話だった。考えないように、ではなかった。考えても変わらない事実だったから、今考える必要がなかった。「不要だ」と言われた事実は消えない。「道具として」七年間機能してきた事実も消えない。だから怒っていたわけでも、傷ついたわけでもなかった。立つ場所がなくなったから去った。それだけだった。
ただ、今。
今、エドワードが「命令ではなく頼みとして」と言った。「何に変わったか、私自身がまだ分かっていない」と言った。
それが本当かどうかを、判断する必要はなかった。
本当かどうかに関係なく、疫病で死ぬ人間がいる。知識が使えれば助かる命がある。それは今でも変わらない。
問いは「何のためにエドワードを助けるか」ではなかった。
問いは「何のために、自分の知識を出すか」だった。
夜になった。
ルイーゼは記録帳を開いた。今日の患者の欄は短かった。朝に一人、熱の下がり具合を確認した。午後はエドワードが来た。それだけだった。
ペンを持った。しばらくそのまま止まっていた。
書きたい日とは、エドワードに聞かれた。分かりません、と答えた。気づいたら書いている日があります、と。今日は気づいたら止まっていた。書かない日ではなかった。書けない日でもなかった。書く前に、止まっている日だった。
ペンを置いた。
机の端の木の角に、指の腹を当てた。固かった。使い込まれた木の、滑らかな固さだった。
この硬さは、朝に石臼を握ったときの冷たさとは違う感触だった。同じ机だった。同じ小屋の中の、同じ材質の木だった。朝と夜で、温度が違った。昼間は自分の手が触れていたから、木が暖かかった。夜になって冷えた。
朝また来れば、また暖かくなる。
それだけのことだった。それだけのことが、今夜はあった。
翌朝。
石臼を握る前に手が止まった。
昨日と同じ場所で、昨日と同じように止まった。今日は冷たさより先に——答えが出ていることに気づいた。眠っている間に出ていた。どこで出たかは分からなかった。ただ、握る前から、もう決まっていた。
冷たい石の感触が、指の腹に伝わってきた。握った。そこに熱が移った。
エドワードは今日も昼を過ぎた頃に来た。
今日は戸の前で足音が止まらなかった。来る前から分かっていたのかもしれなかった。止まる必要がないと、足音がそう言っていた。二度叩かれた。
「入ってください」
エドワードが入った。椅子に向かう前に、ルイーゼを見た。昨日と同じ目だった。ただ、今日は聞く前から待っていた目だった。
ルイーゼは石臼を置いた。机の前に立ったまま、エドワードの方を向いた。
指先に、まだ石の冷たさが残っていた。朝から何度も握った石臼の、固く丸い感触が掌の中にあった。
「整理がつきました」と言った。
エドワードは何も言わなかった。続きを待っていた。
「疫病で死ぬ人間がいる」とルイーゼは言った。「私の知識が使えれば助かる命がある。それが、教える理由です。それ以上でも、それ以下でもありません」
少しの間があった。
「……分かりました」とエドワードは言った。「それで十分だ。感謝する」
ルイーゼはエドワードを見たまま、少しだけ間を置いた。
「ただし、ここでやります」
エドワードが、わずかに目を動かした。
「王都には戻りません。ここで、私が話せる範囲を話します。それを書き取って、持って帰ってください。それが条件です」
エドワードは少しの間、何も言わなかった。
指が膝の上でまた動いた。それから止まった。
「……分かった」とエドワードは言った。「ここで聞く」
窓の外から、広場の子供の声が聞こえてきた。
今日の声はいつもより多かった。風が弱まったのかもしれなかった。晴れた冬の日の、明るい声だった。ルイーゼはその声を背後に聞きながら、机の引き出しを開けた。
中に、記録帳とは別の帳面があった。細かい字で埋まっていた。ここに来てから書き始めた、薬草の記録だった。王都の台帳の写しではなかった。辺境の薬草で王都の処方を組み替えるとどう変わるか、自分で試しながら書いてきたものだった。
帳面を取り出して、机の上に置いた。
手のひらに、帳面の表紙の感触があった。長く使った紙の、薄く固くなった感触だった。指の腹でひと撫ですると、王都の台帳と同じ白さがあった——使い込まれた白。書き続けてきた白。
エドワードが椅子を引いた。机に向かう音がした。
ルイーゼは帳面を開いた。




