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七つの数え方

 霧が薄くなっていた。


 足の裏が痛かった。七年間、石畳の上しか歩かなかった足が、土道の凸凹に戸惑っているようだった。それでも脚は前へ進んだ。振り返らなかった。


 後ろには王都がある。あの廊下がある。七年間、誰かが「補佐役様」と待っていた廊下が。


 誰も来なかった。


 追いかける足音もなかった。呼び止める声もなかった。それが、奇妙なほど静かだった。




 道に音がなかった。


 霧の密度が音を吸っているのか、自分の息だけが耳のそばで思いのほか大きく聞こえた。七年間、この種の静けさはなかった。廊下を歩けば書記官が待ち、部屋に戻れば扉をノックされ、眠る前の一時間も翌日の段取りを頭の中で確認することに費やしていた——それも誰かのためだった。


 今は、霧と土の匂いだけがある。


 ルイーゼは歩き続けた。




 後ろから荷馬車の音が来たのは、蝋燭ろうそくが一本燃え尽きるほどの時間が過ぎた頃だった。


 老いた馬が一頭、亜麻布あまぬのを積んだ荷台を引いている。御者台の農夫は五十がらみの、日に焼けた顔をした男だった。ルイーゼの横を通り過ぎかけて、馬を緩めた。


「リムノへ行くかい」


「……はい」


「乗っていきな。途中まで同じ道だ」


 辞退する理由がなかった。ルイーゼは荷台の端に腰かけた。積まれた亜麻布のざらりとした感触が、手のひらに届いた。


 馬車が動き出すと、土のわだちの揺れが膝から背骨まで通ってきた。石畳の振動とは違う——不規則で、少し乱暴で、それが不思議と嫌ではなかった。


「亜麻布を運んでいるんですか」とルイーゼは聞いた。


「ああ」と農夫は答えた。「リムノの先の村に持っていく。何年も取引してる相手だ」


「質がいいですね」


 農夫が少し振り向いた。意外そうな顔をした。


「わかるかい」


「……少しだけ」


「王都で布を扱う仕事でもしてたのかい」


「いいえ。農業の試験場で、少しだけ繊維作物を見ていたので」


 農夫はまた前に向き直った。今度は「ふうん」ではなく、少し考えるような沈黙があった。


「試験場、か。王都にあるやつだな」


「はい」


「あそこの成果、去年まで辺境まで届いてたよ。種麦の配り方が変わって、収量が上がった」


 ルイーゼは答えなかった。


 その種麦の配給は、自分が計画したものだった。マクベル主任が実行してくれたが、数値目標も配布地域の優先順位も、ルイーゼが作った。農夫は知らない。知らなくていい。


「来年はどうなるかな」と農夫は独り言のように言った。「前に、補佐役が変わるって話が出てたが」


「……そうですか」


「変わったんじゃなくて、いなくなったって話もある。どっちが本当かは知らんが」


 ルイーゼは膝の上で両手を組んだ。




 揺られながら、ルイーゼは数え始めた。


 七つある。七つの、崩れていく順番が。


 最初に止まるのは外交文書だ。クレマン書記官は今頃、七時の約束の相手を待っているだろう。午後には上官へ「補佐役様が来ない」と報告する。一週間で下書きが止まり、隣国との条約更新が滞る。


 二番目は社交界の人脈だ。ヴァルム伯爵家とニーア侯爵家の席次の根拠は、記録に全部ある。農地係争の経緯、縁戚の変化、今年の通商交渉との関係——どれも文書化してある。ただし、それを全部同時に参照して一夜で席を組める人間が王都に何人いるか。三週間後の宴席で、誰かが間違える。


 三番目は魔法陣だ。一ヶ月目は誰も気づかない。二ヶ月目に水路が細くなり、三ヶ月目に照明が点滅し始める。崩壊まで半年。緩慢に、確実に。


 四番目は農業試験場の配給計画だった。来月、マクベル主任が種麦を配給する。手順書は整っている。ただ去年から改良を重ねた方法があった。結果は良かった。文書化はこれからだった。主任には再来月会って話すつもりだった——その約束は果たせない。今年の配給は一年古い手順で動く。


 農夫が「去年の収量が上がった」と言った種麦は、その計画で配布したものだった。ルイーゼは荷台の揺れに任せながら、その一致の静けさを確かめた。うまくいったのだ、七年間の計画が。ただ——続かなくなった。


 五番目は疫病の処方だった。季節の変わり目に毎年小さな流行がある。薬草の配合比と処置の手順は、調薬台帳に全部書いてある。ただし——流行の規模と症状の変化を読みながら、どの薬草をいつ、どの順で動かすか。記録を参照しつつ夜通し判断を続けることが、今の王都の調薬士に何人できるか。それがわからなかった。


 六番目は孤児院の資金調達だった。今月末が締め切りで、三人の貴族に声をかけるつもりだった。三人それぞれへの接触記録は残してある。ただし記録を読んだだけで動ける人間が、今の王都にいるかどうか。記録は地図だ。地図を読める人間がいなければ、辿り着けない。孤児院が閉鎖に近づく。


 孤児院には、名前を知っている子が三人いた。


 六つ、順番通りに並んだ。


 七番目は、数えなかった。


 荷台が大きく揺れた。深い轍を越えた。ルイーゼは揺れに任せて手のひらを布に押しつけた。


 六つを数え終えて、ルイーゼはひとつのことを確かめた。


 もう、できることがない——という事実だった。


 七年間、崩れないようにし続けたのは、雇ってもらっていたからだった。十五歳のとき、行き場のない自分に仕事を与えてもらった。場所を与えてもらった。それは恩だった。崩れないように全力を尽くすことが、その恩の返し方だった。


 「不要だ」と言われた。もう来なくていいと言われた。


 なら、もうルイーゼには何もできない。したくないのではなかった。立つ場所が、もうなかった。


 足が前を向いていた。それだけだった。




 昼過ぎに霧が消えて、空が青くなった。


「疲れてないか」と農夫が前を向いたまま言った。


「大丈夫です」


「慣れない道は疲れるよ。特に足が」


「……はい」


「王都からずっと歩いてきたのかい」


「今朝から」


「ということは夜明け前に出たな」と農夫は言った。「急いでたの」


「……そういうわけではないですが」


 農夫はしばらく黙って馬を進めた。向こうから荷を担いだ旅人が一人やってきて、農夫と軽く手を挙げ合った。それだけのことが、ルイーゼには少し奇妙に映った。七年間、廊下で誰かとすれ違うとき、こういう目の合わせ方をしたことがなかった気がした。


「字は読めるかい」


「はい」


「書けるかい」


「はい」


「賢いんだな」と農夫は素直に言った。「名前は?」


 ルイーゼは少しの間、荷台の縁に手をついて、流れていく麦畑を見ていた。


「旅の者です」


 農夫は黙った。変な返しだとは思っただろう。しかし何も言わなかった。しばらくして、「そうかい」とだけ返した。


 その「そうかい」が、しばらく耳の中に残った。詮索しない、という意志を含んだ一言だった。七年間、「そうですか」と言って去った人間はいなかった。皆、何かを求めてきた。


「リムノに知り合いはいるかい」と農夫がまた言った。


「いないです。門番の方に、村長さんに声をかければと聞きました」


「ヘンリクさんか。知ってる、いい人だよ。訳ありでも、まあ何とかしてくれる人だ」


 訳あり、という言葉は、ルイーゼに向けられていた。農夫はそれを知っていて言った。


「ありがとうございます」


「礼を言うほどのことでもない」と農夫は言った。「道を一緒に行っただけだ」




 陽が山の向こうへ傾き始める頃、農夫は手綱を引いた。


「ここで曲がるから」と彼は言った。「リムノはまっすぐ、橋を渡ったとこだ。あと半日くらいかな」


「ありがとうございました」


「気をつけてな。一人だと心細かろ」


 心細い。


 ルイーゼは荷台を降りながら、その感覚を少しの間だけ探した。


 うまく見つからなかった。心細さがないのではなく——何か、名前のわからない静かな何かが、その場所を占めていた。恐れでも安堵でも、どちらとも少し違う何かが。


 農夫の荷馬車が曲がり道を折れていった。馬の蹄の音が土に吸われ、消えた。




 橋のたもとに小さな集落があった。旅人が一晩休む農家の宿だった。


「お一人で?」と宿の主人が言った。五十がらみの女だった。


「はい」


「リムノまでですか」


「はい」


「明日の昼前には着きますよ」と主人は言った。「橋の向こうはもうすぐです。お食事は召し上がりますか」


「いただけますか」


「スープと干し肉くらいしかありませんが」


「十分です」


「どちらから来られたんですか」と主人が火を起こしながら言った。


「王都から」


「遠いところから」と主人は言った。声に驚きがあった。「お一人で歩いてきたんですか」


「今朝から」


「……そうでしたか。疲れましたね」


 その言葉は、問いではなかった。確認でもなかった。ただ、そうでしたか、と受け取られた。ルイーゼはその言葉を一度、静かに聞いた。


 ルイーゼは干し草の匂いのする一間を借り、薄いスープと干し肉をもらった。金貨一枚がいくらか戻ってきた。




 横になった。


 故郷には戻らなかった。


 父は財政難の頃に死んだ。ルイーゼが十歳の冬だった。家の土地は債権者に渡り、母は遠縁の家に身を寄せた。ルイーゼが王宮に上がったのは十五歳——残った借金の清算条件として、宮廷奉公が組まれた。七年間の「補佐役」でそれは終わった。ただ、戻るべき場所は残らなかった。


 だからリムノだった。誰もルイーゼという名前を使ったことのない場所。


 目を閉じると、また数え始めていた。


 外交文書。社交界の人脈。魔法陣。農業試験場。疫病の処方。孤児院の資金。


 六つが順番通りに並んだ。


 七番目は——。


 暗闇の中で、ルイーゼはそこで止まった。


 七番目だけは、どう崩れるかを自分でも知らなかった。六つはいつか誰かが気づく。補修するかもしれない。新しい誰かが代わるかもしれない。でも七番目は——それは「崩れる」という言葉が正しいのかどうかも、わからなかった。


 七年間、それだけを一人で持ち続けた。今、それを知っているのはルイーゼだけだった。


 亜麻布のざらつきが、まだ手のひらに残っていた。


 その頃、王都の外交府では——



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