馬車が出る
石臼の冷たさが、手のひらに残ったままだった。
朝になっても消えなかった。昨夜、薬草を挽いていた間に体に入り込んだ冷えが、指の節の奥にあった。ルイーゼは水を汲みながら、右手の指を少し曲げた。冬が深くなる前の空気が、桶の縁から上がってきた。
男が来たのは、朝の仕事が終わった頃だった。
昨日と同じ時間に、昨日と同じ場所に立っていた。水場の手前、石畳が始まる角。旅装束も変わっていなかった。ただ——昨日より少し、立ち方が違った。背が一寸ほど、前に傾いていた。
「今日も、お仕事があるのですか」
昨日より声が低かった。問いかけではなかった。確認だった。
「あります」とルイーゼは言った。「ヤヌシュの熱の経過を見に行かなければなりません」
男は一拍置いた。
「昨日の——子供ですね」
「はい。今日が四日目です。薬を変えてから初めての朝の状態を確かめます」
「好転していますか」
「昨夜から汗が出ています。おそらく」とルイーゼは言った。「確かめに行きます」
「……四日で下がるものですか」と男は言った。
「薬が合えば」とルイーゼは言った。「合わなければ、もう少しかかります」
「都の医師でも同じことをするのですか」
「薬草の種類は違います」とルイーゼは言った。「でも、熱を見て、薬を調えて、経過を確かめる。それは変わりません」
「……なるほど」と男はつぶやいた。
男はまた黙った。昨日とは違う沈黙だった。昨日の沈黙は計算だった。今日の沈黙は——何か別のものだった。ルイーゼにはそれが何かまだ分からなかった。
「一緒に行っても」と男は言った。
「どうぞ」
ミナの家は広場から三軒先だった。
男は昨日より少し近い距離についてきた。ルイーゼは気づいたが、何も言わなかった。石畳の上で二人分の足音が交互に鳴った。
ミナの扉を叩くと、すぐに開いた。
「ルイーゼさん——昨日より下がってる」とミナは言った。声が違っていた。昨日の声には水底のような重さがあった。今日は少し浮いていた。
「額を触らせてください」
子供は目を開けて、ルイーゼの顔を見た。薬草の匂いがした。布団が温かかった。ルイーゼは指の腹で額の皮膚に触れた。昨日より柔らかかった。体の中の熱が水になって外に出始めている——そういう柔らかさだった。
「今日の昼から、薄い粥に変えてください。飲み薬はあと二日続けます」
「水は飲めていますか」
「少し」とミナは言った。「さっきも少し飲みました」
「それでいいです」とルイーゼは言った。
「粥でいいの」とミナは言った。「薬草の汁をまぜてもいいですか」
「入れなくていいです。今は消化を助けることが先です」とルイーゼは言った。「お腹が受け付ける量だけ、少しずつ」
「分かりました」とミナは言った。それから声を落として続けた。「昨夜、何度も起きたんです。熱がまだあったから」
「夜は少し高くなることがあります」とルイーゼは言った。「今朝の状態が続けば、今夜は楽になります」
「そうですか」とミナは言った。少し息を吐いた。
「ありがとう」とミナは言った。「本当に、ありがとう」
子供がルイーゼの手元を見ていた。何かを言いたそうな顔をして、それからやめた。眠そうだった。
「もう一度だけ来ます。あさって」
外に出ると、男がまだそこにいた。
空は曇っていた。山の向こうが白かった。雪が降りているかもしれなかった。
「……あなたは本当に、行かないつもりですか」
男の声が変わっていた。
ルイーゼは振り返った。男は顎を少し下げて、ルイーゼの顔を見ていた。昨日までの確認の目ではなかった。何か別のものを探している目だった。王命を持ってきた男が、今は王命を忘れたような顔をしていた。
ルイーゼは少し間を置いた。
「行かない、ではありません」と彼女は言った。「今日も、薬を届けなければなりません」
男は黙った。
「しかし——」と男は言いかけた。「都には、あなたを必要としている方がおられます」
「ここにも、必要としている人間がいます」とルイーゼは言った。「熱を下げる薬を待っている子供が。膝の腫れを抱えている老人が」
男はまた黙った。口を閉じたまま、何かを飲み込んだようだった。
「……それが、あなたの答えですか」
「今の仕事の話をしています」とルイーゼは言った。「それだけです」
男は何かを言いかけた。口が開きかけた。
それから閉じた。
二人の間に、遠い山の風の音が入ってきた。葉が少なくなった枝が鳴った。子供の家の煙突から煙が上がっていた。麦藁を燃やしている匂いがした。
男の右手が、わずかに前へ出た——何かを差し出そうとした動作のように見えた。しかしその手はすぐに自分の腰のあたりに戻り、布地を一度握った。視線がルイーゼの顔から、子供の家の煙突へ移った。煙が風に流されるのを、少しの間だけ見ていた。
「……承知しました」と男はようやく言った。今日も従います、という意味ではなかった。何かを諦めた、というよりは——何かを受け取った、という声だった。
昼を過ぎてから次の仕事に向かった。
男はついてこなかった。村の外れの方へ戻っていった。ルイーゼはそれを確かめてから、薬草の束を持って老人の家へ向かった。男がいない午後だった。
バルタ婆さんの膝の腫れは昨日より落ちていた。外に塗った薬草が効いていた。
「昨日の旅の若者は、もう帰ったのかい」と婆さんは言った。
「まだ村に」
「都から来た人間にしちゃ、妙な目をしてたね」と婆さんは言った。「あんたをずっと見てたけれど、何かしたわけでもなかった」
「仕事の話をしただけです」
「そうかい。それならよかった」と婆さんは言った。「帰り道、気をつけなよと伝えてやって」
「はい」
帰り道、空が少し暗くなっていた。午後の光が早く落ちる季節だった。
夕方、ヘンリクが来た。
珍しく戸を二度叩いた。いつもは一度だった。
「入ってください」
ヘンリクは戸口に少しの間立っていた。中に入って、椅子を引かずにそのまま立ったまま話した。それもいつもと違った。
「あの若者が、今日の夕刻に何かを受け取ったらしい」と彼は言った。「鳩かもしれない。村の外れで鳥が降りたとドネルが見ていた」
「指示ですか」
「かもしれない」とヘンリクは言った。「明日は来ないかもしれない」
ルイーゼは臼を持ったまま止まった。
来ない。男が来ない。
それはこの数日の緊張が終わる、ということだった。終わる——ただし、その先に何があるかは別の話だった。密偵が引き上げるということは、次の手が来るということでもあった。
「分かりました」
「怖いか」とヘンリクは言った。
ルイーゼは少し考えた。怖いか。
「次が来るまでは、少し静かになります」とルイーゼは言った。「怖いというより——待つ気持ちです」
「そうか」とヘンリクは言った。「村にいる間は、何があっても一人にしない」
「ありがとうございます」
「礼はいらない」とヘンリクは言った。「ヤヌシュはよくなりそうか」
「あさってまでに確かめます」とルイーゼは言った。「今日の状態は悪くありませんでした」
「何か困ったことはないか」とヘンリクは続けた。
ルイーゼは少し考えた。困ったこと。困ったことは——なかった。今日も仕事をした。明日も仕事がある。あさってはヤヌシュの最後の診を届ける。
「今のところ、ありません」
「あの男があなたに何か言ったか」とヘンリクは言った。
「仕事の話をしました」とルイーゼは言った。「それだけです」
ヘンリクはそれ以上聞かなかった。
「そうか」とヘンリクは言った。「明日も来る」
それだけ言って出ていった。扉が閉まった。ヘンリクの足音が遠ざかった。石畳の上を踏む、確かな音だった。
王都を出る朝のことを、エドワードは後から記憶として持つことになった——今はまだ、記憶になっていなかった。
馬車の内側の木の壁が冷えていた。腰掛けの革が硬かった。窓は薄い布で仕切られていて、外の光が白く透けた。クレマンが向かいに座っていた。
「出発します」と声が外から聞こえた。馬車が揺れた。
エドワードは窓の布を少し持ち上げた。
王都の屋根が見えた。石の屋根が連なっていた。朝の光が低い角度から石の上に落ちていて、影が長かった。照明魔法が落ちた区画が、朝になっても薄暗いままだった。その区画の輪郭が、高い場所から見るとよく分かった——魔法の光がないと、石の色が違うのだと今頃知った。
馬車が動いた。屋根の連なりが後ろに流れ始めた。
連れ戻す——その言葉が、内側にあった。
処方書の不在を知ったあの夜、初めて口にしたとき、その言葉は王国のためだった。処方書が必要だった。七つの役割が止まっていた。道具を取り戻す、という意味だった。
今は——違った。
どう違うのか、エドワードには言葉がなかった。ただ、白い表紙の台帳を読んだ夜から、言葉の中身が変わった。道具を呼び戻す言葉ではなくなった——では何の言葉になったのか、それはまだ分からなかった。分からないまま、馬車に乗った。
クレマンが何かを言いかけた。エドワードは窓から目を離さなかった。
「……殿下」とクレマンはようやく言った。「辺境まで四日かかります。準備は整っております」
「分かっている」とエドワードは言った。「何も聞くな」
クレマンは静かになった。
屋根が尽きた。王都の外壁が見えた。城門を過ぎた。石の道が土の道に変わった。馬の蹄の音が少し変わった。
エドワードは布を戻した。
窓の外はもう、野原だった。
夜が深くなっていた。
臼は今日は早く終えた。ヘンリクの話を聞いてから、頭の中が少し静かだった。明日、男が来ないかもしれない。その静けさが、今夜は早く来た。
ルイーゼは記録帳を開いた。
日付を書いた。今日の仕事を書いた。ヤヌシュの熱が下がり始めたこと。バルタ婆さんの腫れが引きつつあること。明日の薬草の仕込みの予定。あさってヤヌシュを最後に診ること。
書きながら、男の声を思い出した。
——あなたは本当に、行かないつもりですか。
その声に、怒りはなかった。命令もなかった。ただ——確かめたかっただけのような声だった。何かを探している人間の声だった。王命を持ってきた男が、最後には王命を忘れた声で話していた。
ルイーゼは答えを思い出した。
行かない、ではありません。今日も、薬を届けなければなりません。
拒絶の言葉ではなかった。今日もここにいる、という言葉だった。明日もここにいる、という言葉だった。ここが、今のルイーゼの場所だった——追われてもなく、逃げてもなく、ただここにいた。
ペンが止まった。
しばらく、ページの白いところを見ていた。
手のひらの指の節が、今日もまだ少し冷えていた。朝から続いていた。石臼の冷たさが一日かけて体に入り込んだ、その感触が、夜になっても指の奥にあった。
ルイーゼはページの末尾に、一行書いた。
記録ではなかった。備忘でもなかった。以前の夜と同じように、ただ書いた。
——ここに、いる。
インクが乾くのを待った。乾く間、指先の冷えがあった。朝から続いていた冷えが、今夜も指にあった——それが、今夜はなぜか証明のように感じた。この手がここに在る。今日も動いた。今日も届けた。今日も、ここにいた。
蝋燭の炎が静かだった。
小屋の外、遠くに何かの気配があった。密偵が村の外れにいる気配か、あるいは別の何かか——ルイーゼには判断がつかなかった。ただ今夜は、それを確かめに行かなかった。
帳を閉じた。
今夜の仕事は終わった。
翌朝、男は来なかった。
ルイーゼは臼を引きながら待った。来るとしたら朝の仕事が始まる頃だった。水を汲みに行った。石畳の角に誰もいなかった。村の外れの廃屋を遠くから確かめると、煙が出ていなかった。火を入れた痕跡が消えていた。
男は引き上げた。
水場の近くで、ドネルが薪を割っていた。
「今朝は来なかったな」とドネルは言った。振り向かずに言った。
「そうですね」とルイーゼは言った。
「ヘンリク村長が言ってた通りだ」とドネルは言った。「しかし次が来るんだろう」
「そうかもしれません」
ドネルは斧を振り下ろした。木が割れる音がした。それ以上何も言わなかった。
ルイーゼは桶を持ち直した。水の重みが両手にあった。空が白かった。山の向こうの雪がまだ遠かった。
静かだった。
密偵が来なくなった静けさが、今朝の空気の中にあった。ただ——その静けさは昨日の静けさとは違った。昨日の静けさは「今夜か」という予感の静けさだった。今朝の静けさは——何かが始まる前の静けさだった。
水場から村の入り口の方へ、道が続いていた。その先に山越えの道があった。王都方向からの道だった。
音がした。
最初は風の音かと思った。木の枝が鳴る音に似ていた。ただ、一定だった。周期があった。遠かった。まだ山の向こうか、あるいは山を下り切った手前か——車輪が地面を叩く音が、そこにあった。
ルイーゼは立ち止まった。
桶を両手に持ったまま、村の入り口の方向を見た。建物の陰で、その先の道はまだ見えなかった。音だけがあった。馬の蹄の音ではなかった。車輪の音だった。一台——いや、二台か。
村の犬が一度だけ吠えた。
ルイーゼは動かなかった。
手のひらの中に桶の取っ手があった。冷たかった。朝から続いていた冷えが指の節にあった。
音は近づいていた。
ゆっくりと。確かに。
桶の取っ手の冷たさが、急に指の奥まで戻ってきた。朝からそこにあった冷えが、今この瞬間だけ、くっきりと感じられた。




