終ー2
夏。
クイは、詰め所の一階にいた。
魔草集めに行きたかったが、今日の外界は霧が出ていて、危なくて近寄れない。
クイは、久しぶりに暇を持てあましていた。
こんな時は、ちらりとでもオレリアスの姿が見られれば嬉しいのだが、先ほど憤慨したスフィアが会議室に入っていったところを見ると、なかなかそれもできそうにない。
そこで、クイは、縄抜けの練習をすることにした。
椅子と縄を引っ張り出してきて、ホールの一角を陣取ると、これまた暇そうな古参の兵士が寄ってきて、
「なんだ、またやるのか。じゃ、ちょっくら手伝ってやるよ。」
と、自分も椅子を持ち出してきた。
「ありがと!」
古参の兵士が、向かい合ったクイの両手を、縄で縛ってくれる。
すると、次第に、クイの周りに兵たちが集まりだした。
「姫さん。何をやるんだ?」
「ふふふ、縄抜けだよ~。」
「あはは、本気かよ?」
「うん! 絶対、会得するもんね!!」
相変わらず、クイは、妙なことばかりする。
けれど、兵たちも、そんなクイを見慣れてきたようで、クイの練習を楽しそうに眺めている。
すると、兵の一人が言った。
「あ! もしかして、脱出ショーでもやるつもりか?!」
「脱出ショー?」
クイは、ん?と考えた。
見たことはないが、聞いた事はある。
たしか、両手を縛られた状態で鍵つきの箱に入れられ、池に落とされたり箱ごと燃やされたりしながら、なぜか無事に脱出するイリュージョンだ。そういう興行をする旅芸人がいると、何かの噂で聞いたことがある。もちろん、そのイリュージョンには、何かしらのトリックがあるのだが、クイは、そのトリックまで知っている訳ではない。
「そんなことされたら、死んじゃうよ~。」
すると、兵たちは、どっと笑った。
「あはは、姫さんなら、やりかねないと思ったのにな~。」
やりかねないって……、クイは、ため息をつくと、縄に視線を落とした。
「違うよ、……嫌だったんだ。」
あれから一ヶ月。
マーティンに誘拐された記憶は、まだ新しい。
あのとき、クイの不注意が、ウテリア領を危機にさらすことになった。
それまで、故郷アムイリア領の最強剣士だと自負していた自分が、ヨシュアに解放されるまで、どうすることもできなかったのだ。それが、どんなに悔しかったか。だから、クイはもう同じ手は食うまいと、縄抜けの練習を始めたのだ。これも、クイの名誉を取り戻す修業のようなものだった。
すると、クイの周りは、しんみりとした空気に包まれた。
その中で、古参の兵士が、クイに同情して涙ぐむ。
「……そうか、かわいそうにな。……軍将に、変な性癖があったばっかりに。」
「え? 何の話?」
何の脈絡もなくオレリアスの名前が出てきて、クイは、顔を上げた。
が、そのとき、
ばん!
と、一陣の風がクイの前を通り過ぎた。
クイが驚いて振り返ると、先ほどまで前に座っていた古参の兵士が、椅子ごと壁に激突している。
「え?!」
見上げると、そこには、怒り心頭のオレリアスが立っていた。
オレリアスの体からは、湯気のように殺気が立ち上っている。
それは、まるで、怒り狂った熊のようだった。
(な、何があった?)
クイは、青ざめて、もう一度気を失っている兵士を見た。
どうやらオレリアスが、この兵士を蹴り飛ばしたらしい。
オレリアスは、古参の兵士が動かなくなると、その怒りの矛先をクイに向けた。
「クイ! お前、何をしているんだ?!」
「あ? え? な、縄抜けだよ。」
「縄抜け?!」
「う、うん。もう大抵の結び方なら抜け出せるよ。だから、また誘拐されても、絶対、自力で返って来るからね。」
「誘拐?!」
すると、オレリアスは時間をかけて、その言葉の意味を理解した。
「あ? ん? そうか、……そうだな。」
納得できても、怒りは消えない。
オレリアスが周りをぐるりと見回すと、それだけで、とばっちりを恐れた兵たちが、クモの子を散らすように、ちりぢりに逃げていく。
「お前ら、仕事しろ!!」
「は、はいっ。」
ホールに誰もいなくなると、オレリアスは、怒りを静めるようにゆっくりと深呼吸をした。オレリアスの顔には疲れの色があり、クイは、その苦労を察して、
「あ、あのね、私、大丈夫だから。」
と訴えた。
「いっぱい迷惑をかけた分、オレリアスとウテリア領は、この私が守るから!」
すると、オレリアスは、長くため息をついた。
壁際に転がっている椅子を引き起こして、
「まあ、程ほどにしてくれよ。」
と、どしりと腰を下ろす。
「うん、分かった。」
「それより、……お前……。」
オレリアスは、さらに長く溜息をつくと、ちらりとクイを見た。
「……どう思った?」
「なにが?」
「う~ん、あれだ、あれ。お前、マーティンに会っただろう?」
「うん。」
「あいつ、どんなだった?」
どうもマーティンの話らしい。
「そうか、オレリアスは、マーティンには会っていないんだったね。」
オレリアスが会ったのは、ヨシュアだけだ。
マーティンとは、十三年前に別れたきり。
オレリアスも、古い友人の事が気がかりなのだろう。
クイは、少し考えてから、
「う~んとね、……オレリアスの旧友を悪く言って申し訳ないんだけど、正直に言うと「最悪のダメ人間」になっていたよ。」
と答えた。
「ん? ああ、そうか。……大丈夫だ、マーティンは、昔からそんな感じだ。」
「そっか~。昔からか~。」
すると、オレリアスは、じっとクイを見つめながら、
「男としてはどうだ?」
と問いかけた。
「男? ああ、すごい美形ではあるよね~。でも中身がダメ人間だからね~。」
その言葉に、オレリアスはさらに鋭く、クイを見つめた。
「……じゃあ、俺はどうだ?」
「え? オレリアス?」
途端、クイは、パッと赤くなった。
「オ、オレリアスは最高だよ! 王国一強いし、優しいし、かっこいいし。剣士としても最強なら、将としても領主としても超一流!! 私、こんな素敵な男性が実在するなんて、未だに信じられないんだ!」
すると、オレリアスは、妙に納得したように、
「……そうか。お前は、人を見る目があるな。」
と、クイを褒めた。
「えへへ、そうかな~。」
照れまくるクイに、オレリアスは、続けてこう訊いた。
「お前、俺が好きか?」
「うん! 大好き!!」
即答すると、オレリアスは久しぶりに微笑んだ。
「なあ、クイ。」
こんな優しい顔はいつ以来だろう。
オレリアスは、ふいに真剣な顔をすると、
「お前、……この先ずっと。」
と言って、押し黙ってしまった。
「なあに?」
クイが問いかけても、オレリアスは、それ以上何も言ってくれない。
「う~、分かんないよ~。」
思わせぶりな事を言って、その先を教えてくれないなんて。
すると、オレリアスは、照れくさいのか、そっぽを向いてしまった。
が、次の瞬間には凍り付いていた。
「?」
青ざめているオレリアスの視線をたどると、その先に、腕組みをしたスフィアが立っている。
「私が教えてあげましょうか?」
焦るオレリアスを無視して、スフィアが髪をかき上げた。今日は一段と機嫌が悪い。
「オレリアスはね、この先ずっ~と、マーティンより自分の方がカッコいいって言われたいのよ。」
「え? そんなの、当たり前じゃん。」
そんな周知の事実を、毎日挨拶のように言ってほしいのか。
「そ、そんな事、俺が、言われたい、訳、ないだろう。」
切れ切れの言葉で否定するオレリアスを、スフィアはふんと鼻で笑った。
「図体ばかりでかくても、ガキよね。バッカみたい。今度からは、イチャイチャするときは、場所を選びなさい! 目障りだわ!」
イチャイチャなんてしてないし、それに、オレリアスをクイとひとまとめにして「バカップル」扱いするのは、クイはともかく、オレリアスが可哀想だ。
クイがオレリアスを見ると、オレリアスはなぜか、頭を抱えていた。
「オレリアス?」
呼びかけると、オレリアスはゆっくり顔を上げた。
「……ああ、……帰るか。」
「え? 帰れるの?!」
「ああ、さっきスフィアが長老議会と掛け合ってくれたから、当面はあれでいい。お前は今日も、外界に行くのか?」
「ううん。今日は霧が出てるから行かないよ。」
すると、オレリアスは、疲れた顔で少し笑むと、わしゃわしゃとクイの頭をなぜた。
「そうか、じゃあ、一緒に帰るか?」
その誘いに、クイは跳びあがるほど喜んだ。
「うん!」
(終わり)




