第96話:未消化案件_残務委任編②
ーーめぐみフェーズ
私のスマートフォンに、一通のメールが届いていた。
差出人の名前を見た瞬間、指が止まった。
井口おさむ。
特別行政大臣。
そして、私たちの敵。
件名はなかった。
本文も、長くはない。
『君の母はデポルだろう。脅したいわけではない』
『その記録は、この階層にある。消すなり、残すなり、君がケジメをつけるといい』
その下に、庁内システムの古い参照番号が並んでいた。
市の戸籍関連。
保護記録。
医療照会。
行政相談。
普通なら、ひとつずつ別の部署に眠っているはずの記録が、細い糸で繋がれていた。
母の名前。
加藤英子。
そして割り当てられた戸籍。
旧姓、間口英子。
その横に、人間としての記録ではない注釈が残っていた。
私は、その画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
母を問いただし、直接確認した。
母がデポルであること。
その血が、自分にも流れていること。
元々、恒一と井口の会話を盗聴したから、私は確かめに行った。
今さら驚く話ではない。
それでも、行政の記録として母の名前を見た瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。
人間として生き、父を失って壊れ、私に手を上げ続けた母。
その名前が、分類されていた。
まるで、処分待ちの資料のように。
私は息を吐いた。
消そうと思えば、消せる。
私は大阪市長だ。
みずきもいる。
表と裏の両方から手を入れれば、母の記録くらい潰せる。
恒一なら、合理的に言うかもしれない。
『敵に使われる前に、消しておいた方がいい』
それは正しい。
でも、私は画面を閉じなかった。
消さない。
そう決めるのに、長い時間はかからなかった。
母がデポルだったこと。
私の中にある血。
なかったことにはしない。
私はただの選別する側にならない。
これは、多大なリスク。
それと同時に、場面によっては切り札になる。
だから残す。
(いずれケジメはつける。あなたに、しのごの言われなくとも)
私はメールを最後までスクロールした。
井口が残したものは、母の記録だけではなかった。
相馬郁人と接触していた議員。
相馬側の支援者名簿に何度も出てくる職員。
短期賃貸の審査に関わった外郭団体。
市の相談窓口を通り抜けたあと、行方が途切れた未成年の記録。
一つ一つは、偶然で済む。
同じ名前が何度も出てくるまでは。
私は机の上に資料を広げた。
井口は、私にだけ送ってきた。
その意味を考える。
相馬郁人。
その名前は、すでに何度も見た。
議員としての顔。
デポルとしての顔。
その周囲には、いつも違う名前が並ぶ。
一見すると繋がっていない。
けれど、支援団体、短期賃貸、福祉窓口、少年弁護、外郭団体を重ねると、同じ人間が浮かんでくる。
審査に触れた職員と、紹介元の名前が重なっていた。
匿名流犯の中継点。
デポル実行役の待機場所。
盗品やスマートフォンを一時的に寝かせる場所。
それが、市の記録、契約名義、支払い元から、一本の線になっていく。
(なるほど。この関連団体から全部洗え。怪しい箇所をすべてピックアップしろ。そういうことね)
私は、みずきに短いメッセージを送った。
『この関連団体、契約名義と支払い元を洗って』
みずきは、これだけで十分伝わる。
私は、次の資料を開いた。
井口の情報だけでは足りない。
市から見える線だけでは、榊原までは届かない。
使えるものは全部使う。
真壁、ひとみの資料。
最近、恒一がつるんでいる鷹宮という男。
(自称、公安なんて胡散臭い……)
しかし、今わかる情報で、地図にアジトらしき場所に印をつけていく。
匿名流犯の中継点は、いくつも浮かび上がった。
これを全部繋げて恒一に渡そう。
「潰し終わった後……ひとみとの決着だな」
思わず口走り、少し切なくなる。
初めてひとみとあった時を思い返す。
恒一が死にかけた高校での事件。
恒一は、自分が死ぬ直前、ひとみへ一番に連絡した。
(今思えば、あれが何となく気に入らなかったのに、今まで一緒にいたんだな)
感慨深くはなるが、不思議と悲しみはない。
『さすがのお前も、友人がもうじき死ぬとなると悲しむのか?』
「久しぶりだね、アステリア。メルの事件以来かな」
アステリアは、相変わらず脳内で話しかけてくる。
「友人、かあ。確かにそうなのかもね。ずっと疑ってきたけど」
『ひとみは哀れだった。しかし、魔法を見せられては仕方がない。同情するよ』
(まだ死んでないけどね)
久々のアステリアとの会話もそこそこに、目頭を抑え、天井を仰いだ。
走馬灯のように、ひとみとの付き合いを振り返る。
「人は、あっけなく死ぬんだね。デポルの血を持つ私は、どうなんだろう」
アステリアは答えない。
私はゆっくりと目を閉じ、ひとみの寿命を数えた。




