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第97話:履行期限_残務委任編③

ーー久世フェーズ


俺が榊原冬馬と対峙してから、三週間。


その日、俺はめぐみに呼ばれ、ひとみの部屋へ向かった。


事務所や居住区画を一つにまとめた、俺たちの拠点。


ひとみの部屋も、その中にある。


扉を開けると、ひとみはリビングのソファーに横になっていた。


以前よりも、明らかに痩せている。


頬から肉が落ち、首元の骨が浮いていた。


それでも、目だけはいつもと変わらない。


人を値踏みするような、生意気な目だ。


めぐみは窓際に立っている。


俺が入っても、普段のような軽口はなかった。


「来たか」


ひとみが顔だけをこちらへ向けた。


「はい」


俺はソファーの前に置かれた椅子へ座った。


全身には、榊原たちから受けた傷が残っていた。


ひとみの姿を前にすると、自分の痛みはそれほど気にならなくなった。


「先に言うとくわ」


ひとみは息を整えた。


短い言葉を出すだけで、胸が苦しいらしい。


「私の寿命は、今日で終わる」


言葉の意味は理解できる。


「わかるものなんですか」


「わかる。私はここまでや」


言葉とは裏腹な鋭い眼光。


「ではなぜ、もっと早く教えてくれなかったんですか」


「言うたら、お前、止まるやろ」


「止まりませんよ」


反射的に答えた。


ひとみは、わずかに笑った。


「せやな。止まる奴と私は組まへん」


めぐみへ視線を向ける。


目が合っても、めぐみは逸らさない。


「めぐみは知ってたのか」


「知ってた」


「いつから?」


「二年前から」


短い返事だった。


「ふーん……二年前から?」


「うん」


言い訳もしない。


謝りもしない。


めぐみが悪いわけではない。


そう分かっていても、胸の奥に濁ったものが残った。


俺だけが知らなかった。


十年以上一緒にいたのに、気づくことすらできなかった。


「何の病気ですか。俺も含め、何度も病院へ行けと言ってきましたけど」


「もうええやろ。今さら病名なんか聞いても、何も変わらへん。それから、めぐみを怒るなよ。黙らせたんは私や」


ひとみが言った。


「それより久世。一つ聞きたい」


呼吸が一度、浅く途切れる。


それでも、ひとみは笑っていた。


「お前は、女神の存在を信じるか?」


質問の意図は分からない。


「信じたくはないですね」


間髪を入れずに答えると、ひとみの眉が動いた。


「なんでや。女神は神様やろ」


神がどういう存在なのか、俺は知らない。


ただ、多くの人間は神に救いや慈悲を重ねる。


俺も、昔はそう考えていた。


だが、現実は違う。


「この世界には、デポルも犯罪も蔓延っています」


事故や病気なら、誰にも止められないことはある。


けれど、人が故意に人を傷つけ、奪い、殺す。


その加害者が正しく裁かれず、被害者だけが苦しみ続ける。


そんな現実を、何度も見てきた。


「神様がいるなら、なくしてくれと思いますよ」


俺は、ひとみの目を見ながら続ける。


「何でもできる存在じゃなくても、奪った人間に正しい罰を与えるくらいはしてほしい。それすらしないなら、俺は信じたくありません」


ひとみはしばらく黙り、天井へ目を向けた。


「確かにな」


その顔に、わずかな寂しさが浮かんだ。


すぐに、いつもの笑みに隠れる。


「それでええ。お前は女神が目の前に現れても、疑い倒すんやろな」


「当然でしょう」


「可哀想にな。自称女神も、お前に尋問されたら泣いて逃げるで」


弱った声で、ひとみは笑った。


俺には分からない何かを、思い返しているようだった。


ーー私と違って。


そう続きそうな、奇妙な間があった。


だが、ひとみは口にしなかった。


「久世」


笑みが消える。


「お前は、お前の力でデポルを殺しきれ」


その言葉には、いつもの悪ふざけがなかった。


「これは契約や」


俺が生きる目的は、最初から変わっていない。


法律を使うことも。


会社を作ったことも。


政治へ入ったことも。


すべて、デポルを根絶するため。


「誰に言われるでもない。俺がやりますよ」


俺は答えた。


「そのために生きていますから」


ひとみは俺の顔を見つめた。


めぐみは外を見たまま、何も言わない。


「口だけやと信じられへんな」


ひとみの口元が、わずかに上がった。


「私にキスでもして、本気度を示してくれへんか」


最後まで、この人はこの調子らしい。


俺が答えるより先に、めぐみが窓際から離れた。


「ひとみ」


声は穏やかだった。


目だけが笑っていない。


「私も、あなたとの付き合いは長い」


ひとみは笑顔のままだ。


「残り少ない寿命、私に削らせないで」


部屋に短い沈黙が落ちた。


「冗談やん」


「私もだよ」


「寿命が短い人間をいじめる趣味はない」


「目が笑ってないねん、ガンギマリ女が」


ひとみは肩をすくめようとして、途中で諦めた。


呼吸がまた乱れる。


笑う体力すら、もう残っていない。


その時、玄関の扉が開いた。


足音が近づく。


かなが、リビングの入口に立った。


顔色は悪い。


目元も赤い。


それでも、無理に口角を上げていた。


「ひとみ」


かなは、それだけ言った。


ひとみも、かなを見る。


先ほどまで俺たちへ向けていたものとは違う、柔らかな目だった。


「おう」


かなは頷き、ソファーの横に椅子を運んだ。


俺たちがいることに、何も言わない。


だが、ここから先は俺たちの時間ではなかった。


俺は立ち上がった。


「また来ます」


いつ来るつもりなのか。


次があると思っているのか。


自分でも分からない。


それでも、別れの言葉は口にできなかった。


めぐみも扉へ向かう。


途中で一度だけ、ひとみを振り返った。


「またね、ひとみ」


「ああ。またな」


かなは暗い顔を隠すように、ソファーのそばへ座った。


ひとみの手へ、自分の手を重ねる。


俺とめぐみは、部屋を出た。


扉が静かに閉まった。


ひとみは最後まで、俺たちの前では笑顔を崩さなかった。


ーーめぐみフェーズ


扉が閉まった瞬間、私の顔から笑みが消えた。


隣にいる恒一も、黙ったままだ。


同じ人の死を前にしている。


でも、怒りの向いている先は違う。


恒一の怒りは、黙っていたひとみと、十年以上そばにいながら気づけなかった自分へ向いている。


私は違う。


ひとみから寿命を奪い、約束を果たさず消えた女神。


メルに腹が立っている。


人の願いを利用し、力を見せ、契約させた。


そのくせ、ひとみが望んだものは何一つ与えなかった。


奪った寿命だけは、律儀に回収する。


私は自分の中にいるアステリアへ問いかけた。


(メルは、本当に消えたの? 私も、消えるところを見たはずなのに)


返事はない。


都合の悪い時は、いつもこうだ。


恒一が壁へ拳を振り上げた。


けれど、殴らなかった。


寸前で止め、ゆっくりと腕を下ろす。


「恒一」


声をかけても、こちらを見ない。


「あの人のことは、ある程度分かってるつもりだった。何があっても、勝手に何とかする人だと」


その言葉は、自分を責めるためだけに吐かれている。


私は慰めなかった。


恒一は、慰められて怒りを捨てられる人間ではない。


私も、怒りを手放すつもりはなかった。


「ひとみは、勝手だから」


私は言った。


「最後まで、自分で決めたかったんだと思う」


「……そうですね」


廊下に、私たちの声だけが残る。


扉の向こうからは、何も聞こえない。


かなとひとみ。


幼い頃から共にいて、恋人になり、傷を抱えながら生きてきた二人。


残された時間を、私たちが奪う理由はない。


私は扉を見た。


もう一度開けたいとは思わなかった。


「行こう、恒一」


恒一はしばらく動かなかった。


やがて、扉に背を向ける。


私たちは並んで廊下を歩いた。


ひとみは、もう二度と自分の足でこの部屋から出てこない。


それでも、振り返らない。


扉の向こうで。


ひとみとかなの、優しい時間を私たちに邪魔する権利はないのだから。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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