第93話:不本意な共闘_匿名流動編⑦
真壁が、扉の前で手を上げた。
背後には、真壁の部下が四人。
全員、無言だった。
古い雑居ビルの三階。
看板には、廃業した人材紹介会社の名前が残っている。
だが、中で動いているものは人材紹介ではない。
匿名流犯の中継点。
デポル実行役の待機場所。
榊原冬馬の指は、直接ここにはない。
だが、ここから先へ線が伸びている。
真壁が小さく言った。
「逃がすな」
部下たちが頷く。
「殺すな。喋れる形で残せ」
扉が破られた。
中から怒号が跳ねた。
赤黒く濁った腕が伸びる。
真壁の部下が、真正面から受け止めた。
俺は横から入り、机に置かれていたスマートフォンを踏み砕く。
逃げようとした若い男の膝を蹴り抜いた。
男が床へ崩れる。
「まだ終わりじゃない」
真壁が言った。
「知ってますよ」
三日前。
相馬側のスマートフォンから、榊原側へ短い連絡を送った。
『久世側の情報を掴んだ』
『三日後の夜、指定場所で待つ』
『情報とともに私を回収してほしい』
文面は、相馬の癖に寄せた。
榊原なら罠だと気づくだろう。
気づいたうえで、放置できない。
その間に、俺たちは指定場所から離れた匿名流犯グループを叩いた。
スマートフォンを追ったのは、みずき。
そして、もう一人の協力者。
最初に潰した部屋では、机の下からスマートフォンが十数台出てきた。
どれも同じ安いケースに入っていた。
電源が入った瞬間に開く画面は、どれも同じだった。
いわゆる闇バイト用に準備された端末。
次の倉庫では、鍵束が出た。
短期賃貸やレンタルスペース。
デポルを隠す場所であり、盗品を寝かせる場所でもある。
鍵の数だけ、逃げ道があった。
三つ目の部屋で、ようやく指示役が泣いた。
赤黒く濁った男二人が倒れた後だった。
男は、自分は連絡係で、上は知らないと繰り返した。
知らないのではない。
知らされていない。
榊原の作り方は、徹底している。
だから、切れる場所から全部潰すしかない。
俺のスマートフォンが震えた。
「次だ」
俺たちは、三日かけて小さな水路を一斉に潰し続けた。
だが、それでも本命は残る。
三日後の夜。
相馬の回収場所。
そこに、俺と真壁は向かった。
・
・
・
指定場所は、港湾近くの古い物流施設だった。
表向きは改修工事中。
中には、誰もいないはずの夜間倉庫。
榊原が好きそうな場所だ。
人目につきにくい。
俺は入口の前で、身なりを整えた。
いつもの警棒や短剣は持っていない。
いや、必要ない。
真壁も同じだった。
武器になるものは、全部置いてきた。
「本当に素手で行くのか」
真壁が聞いた。
「何を今更。話し合いに行くのに、武器は不要でしょう」
「デポル絡みの皮肉だけは上手いね」
「ありがとうございます」
「……皮肉だよ」
耳の奥で、通信が小さく鳴った。
『配置はついている。問題ないよ。榊原もちゃんと来ているようだ』
軽い声だった。
真壁がこちらを見る。
「今のが今回の協力者か」
「ええ。訳あって今は話せません」
真壁は息を吐いた。
「井口さんが聞いたら、嫌な顔をするな」
真壁の皮肉には答えず、俺たちは中へ入った。
倉庫内は薄暗い。
天井の高い空間。
鉄骨。
古いコンベア。
その奥に、榊原冬馬がいた。
白いシャツ。
黒い上着。
場違いなほど整った姿。
その周囲に、男たちがいる。
二十人以上。
何人かは、すでに首筋から赤黒い濁りを滲ませていた。
デポル。
榊原は、こちらを見て少し笑った。
「ほら、やっぱり。相馬議員がいないじゃないですか」
「それはそうでしょう。あなたが撃たせたデポルに、相馬は殺されたんですから」
俺が言うと、榊原は首を傾けた。
「面白いことを言うね。証拠はあるんだろうね」
真壁が一歩前へ出る。
「まあ待てよ。井口大臣への狙撃を命じたのも、あんただろ」
真壁の声が低くなる。
榊原は笑みを消さない。
「私が直接殺したわけではありません」
「認めるんだな」
「必要な整理でした」
真壁の肩がわずかに動いた。
俺は横目でそれを見る。
まだだ。
まだ足りない。
榊原に、勝ったと思わせる必要がある。
榊原は俺を見た。
「久世恒一。あなたも、ずいぶん偉くなりましたね」
「あなたほどではありませんよ」
「私は流れを整えているだけです」
「人を殺して?」
「人は、流れの中で死にます。そしてあなた方も同じくね」
榊原が片手を上げた。
その瞬間、周囲のデポルたちが動いた。
俺は避けなかった。
一人目の拳が腹に入る。
息が詰まる。
二人目の膝が脇腹を抉った。
視界が揺れる。
真壁も同時に殴られていた。
壁に背中を打ち、床へ膝をつく。
だが、反撃しない。
榊原は、俺たちを殺せない。
(奴は確認したいことだらけだからな)
大阪で消えたデポル。
井口が特別行政省で何を隠したか。
狙撃を指示したデポルの所在。
相馬からどこまで聞いているか。
それを吐かせたいはずだ。
だから、殴る。
殺さない。
その隙を作るために、俺たちは素手で来た。
赤黒い拳が頬を打った。
口の中が切れる。
血の味が広がった。
真壁が床に倒れ、すぐに起き上がろうとしてまた蹴られた。
榊原がゆっくり近づいてくる。
「不思議ですね」
俺は床に片手をついた。
「何がですか」
「あなたほどの人間が、ここまで愚かな罠を仕掛けるとは思わなかった」
榊原は俺の前に立った。
「だから、返しに来ました」
俺は顔を上げる。
榊原は、勝った顔をしていた。
「あなたを捕まえれば、大阪のデポル狩りが表に出る」
榊原は得意げに言い放つ。
「元大阪市長。弁護士。現職の衆議院議員。その男が、裏でデポルを消していた」
「そんな話を、誰に信じさせるつもりですか」
「証拠は作るものです。あなたも、それは分かっているでしょう」
真壁が血を吐いた。
「井口さんも、井口大臣もそうやって殺したのか」
榊原は、真壁を見る。
「井口おさむは惜しい人でした」
「質問に答えろ」
「邪魔だったから殺した」
倉庫の中が、一瞬だけ静かになった。
榊原は続ける。
「彼は管理と言いながら、被害者の顔を見ていた。あれでは国は動かせない」
真壁の目が、暗く沈んだ。
「相馬も、お前が育てたのか」
「相馬郁人程度なら、また作れます」
榊原は淡々と言った。
「言葉を与え、戸籍を与え、肩書きを与える。あとは、相馬のようなものが政治家の顔をする」
俺は、腫れた頬で笑った。
「ずいぶん喋りますね」
「あなたたちは、ここで消えますから」
榊原は俺を見下ろした。
「久世恒一。あなたには、まだ使い道がある。死ぬ前に、大阪で何をしたのか話してもらう」
「大阪では必死に大阪を変えるために奔走していましたよ。ご存知かと思ったのですが」
「口は動くようですね。では、そろそろ別の話を聞きましょう」
榊原の手が伸びた。
その手には、小さな刃があった。
トドメではない。
まずは動けなくするつもりだろう。
真壁が立とうとする。
デポルの一人が、その背中を踏みつけた。
榊原の刃が、俺の肩へ向かう。
その瞬間。
銃声が鳴った。
榊原の右腕が跳ねた。
刃が床に落ちる。
一拍遅れて、血が散った。
榊原の顔から、初めて余裕が消える。
「な……」
二発目はなかった。
だが、それだけで十分だった。
狙撃されている。
榊原がそれを理解した瞬間、倉庫の外で複数の足音が響いた。
「警察だ!」
扉が破られる。
ライトが一斉に差し込んだ。
「動くな!」
「武器を捨てろ!」
「床に伏せろ!」
デポルたちがざわめく。
何人かが逃げようとしたが、出口はすでに塞がれていた。
真壁の部下ではない。
正真正銘の警察だ。
榊原は撃ち抜かれた腕を押さえながら、周囲を見る。
久世と真壁。
素手。
二十数名のデポル。
刃物。
暴行。
自白。
警察の突入。
榊原の目が、細くなる。
脳内で整理しているのが分かった。
俺と真壁だけではない。
外に、もう一つ目がある。
榊原はそれに気づいた。
だが、遅い。
警察官が榊原を押さえ込む。
「榊原冬馬。殺人未遂の現行犯で逮捕する」
榊原は黙っていた。
腕から血が床に落ちる。
それでも、目だけは死んでいない。
俺は立ち上がろうとして、膝から崩れた。
痛い。
全身が痛い。
思ったより、ずっと痛い。
真壁も同じように床で息をしていた。
「久世君」
「はい」
「ここまで殴られて我慢する必要、あったか」
「俺も同じことを考えていました」
俺はイヤホンに触れた。
「もっといい方法、あったんじゃないですか。鷹宮さん」
少し間が空いた。
それから、耳の奥に軽い声が返ってくる。
『まあまあ。上手くいったのだから、いいじゃないですか』
真壁が床に座り込んだまま、眉をひそめる。
鷹宮の名に、聞き覚えがあるのだろう。
『本当によく僕の作戦に乗ってくれました。お二方には感謝を』
真壁が、血の混じった唾を床に吐いた。
「なんで俺の周りには、嫌な奴ばかり集まるのか」
(あんたに言われたくねえよ、クソ真壁が)
警察官が、榊原を連れていく。
榊原はこちらを振り返った。
その顔には、怒りではなく、思考が残っていた。
まだ終わっていない。
そんな顔だった。
それでも今は、榊原冬馬が手錠をかけられている。
匿名流犯の流れに、初めて大きな杭が打ち込まれた。
逃げ場をなくすため、記者にも情報を流していた。
黒瀬に渡せば、勝手に広げてくれる。
警察の制止も聞かず、記者たちが現場へ入り込む。
写真を撮り、カメラを回し、榊原冬馬の名を叫んでいた。
得意げな黒瀬の顔が目に浮かぶ。
だが、使える。
俺は痛む体を起こし、真壁に手を差し出した。
真壁は一瞬だけその手を見て、それから掴んだ。
「彼とは二度と組まない」
「俺もその方向がいいです」
イヤホンの奥で、鷹宮が小さく笑った。




