第92話:流路_匿名流動編⑥
ーー榊原フェーズ
井口おさむ死亡。
相馬郁人、消息不明。
狙撃役、捕縛。
特別行政省、混乱。
久世恒一、介入確認。
私は、画面に並ぶ報告を眺めていた。
悪くない。
損失はある。
だが、流れは止まっていない。
井口おさむ。
面倒な男だったが、嫌いではなかった。
むしろ、評価していた。
自分がデポルでありながら、デポルを記録し、分け、管理しようとする。
国家に置くなら、便利な思想だ。
だが、井口おさむは被害者を見すぎた。
数字ではなく、顔を見ていた。
それでは線を引く手が鈍る。
国家運営に必要なのは、顔ではない。
人、金、怒り、恐怖。
それらがどこへ流れるかだ。
相馬郁人の資料を開いた。
衆議院議員。
共生派。
危険個体監視に反対。
デポル擁護。
そして、デポル。
相馬は最初から、ああいう思想だったわけではない。
育てた。
言葉を与え、戸籍を与えた。
被害者の怒りを、社会の不安と呼ばせた。
加害者の事情を、政治が受け止めるべき課題と呼ばせた。
そうすれば、相馬は勝手に大きくなった。
人は、綺麗な言葉を与えられると、自分の思想だと思い込む。
特に政治家はそうだ。
そして、相馬はよく働いた。
井口おさむを刺し、特別行政省の対策に疑惑を作った。
十分だ。
あとは相馬郁人の周辺で処理できる。
そういう配置だった。
だが、死亡確認はまだ届いていない。
相馬が生きている可能性がある。
そして今、相馬の端末から動きが出ている。
短い通信。
文面は、相馬側の言い回しに寄せてある。
刺して、撃たれ、逃げ場を失った人間が送る文章ではない。
焦りの中に、余白がありすぎる。
私は端末を机に置いた。
罠だ。
相馬は死んだか。
あるいは、喋れない状態にある。
少なくとも、この文面を自分で打ってはいない。
(特別行政省だけではないな。井口の腰巾着だけでは、仕掛けてこれまい)
思わず口ずさむ。
「……久世、恒一」
そこまでが、すぐに浮かんだ。
井口おさむは死んだ。
だが、ただ死んだわけではない。
死ぬ前に、久世恒一と繋がった。
真壁。
特別行政省と久世に繋がりができた。
面倒な展開だった。
罠だと分かっているなら、乗らなければいい。
相馬も、狙撃役も切れる。
匿名流犯の一部ルートも切れる。
しかし、それでも流れは残る。
少子高齢化。
労働力不足。
地方の空洞化。
介護、建設、配送、警備。
人手が足りない場所はいくらでもある。
そこに、デポルを流す。
表向きは支援。
共生。
地域再生。
名前を変えれば、入口はいくらでも作れる。
政治にさほど興味のない国民は、ルールを決めないまま受け入れれば、現場が先に壊れることを分かっていない。
だから、楽にことを運べた。
その繰り返しの中で作り上げてきたのが、相馬郁人のようなデポルや、扱いやすい人間たちだ。
相馬が死んでも、次の相馬を育てればいい。
この国をデポルで覆うのに、暴力はいらない。
不足を作り、不安を煽る。
善意の名前を貼る。
反対する者を差別主義者にする。
それだけで、人は入口を開ける。
久世恒一の資料を開いた。
衆議院議員。
元大阪市長。
弁護士。
企業の社長。
そして恐らくだが、大阪のデポル狩り。
写真の中の男は、表情が薄い。
怒りは深く見える。
だが、表面には出さない。
怒りながら、法を使う。
憎みながら、制度へ上る。
殺しながら、議員の顔をする。
処理に手間がかかる人間だ。
特別行政省と久世側の狙いは読める。
相馬が生きていることにする。
私に、相馬がまだ喋れると思わせる。
そして、引きずり出す。
単純だ。
だが、悪くない。
罠と分かっていても、放置はできない。
井口おさむが死に、真壁と久世恒一が繋がった。
それを測らずに放置すれば、こちらの水路を逆に辿られる。
ならば、乗る。
ただし、こちらも噛む。
相馬を餌にしているつもりなら、餌ごと針を奪えばいい。
久世恒一を生け捕りにする。
大阪で消えたデポル。
久世の周囲で途切れた記録。
証言できない加害者。
そのすべてを、久世恒一の口から引きずり出す。
弁護士。
元大阪市長。
現職の衆議院議員。
その男が、裏でデポルを狩っていた。
それが明るみに出れば、久世恒一は終わる。
英雄ではなくなる。
ただの私刑者になる。
どれほど法を語ろうが、血の臭いは消えない。
真壁も同じだ。
井口おさむの右腕として、あの男は長く動いてきた。
記録。
人事。
移送。
監視。
危険個体の選別。
綺麗な管理だけで済んだはずがない。
真壁を捕まえれば、井口おさむの死後にも疑惑を残せる。
井口おさむは、死んでもなお疑惑の中心。
そうなれば、特別行政省は止まる。
大阪市も揺れる。
法曹協会も動きづらくなる。
久世側が相馬を使うなら、私は久世と真壁を使う。
相手の罠に乗るとは、相手の盤面で戦うことではない。
相手が開けた扉から入り、内側から家ごと燃やすことだ。
私は別の端末を開いた。
特別行政省内部に残った協力者へ、真壁の動きを探らせる。
久世恒一を、生け捕りにする準備を整えさせる。
画面に、久世恒一の名前が残る。
その横に、小さく、真壁の名前を追加した。
標的は二つ。
どちらも、まだ使える。
生きたまま壊す方が、使い道がある。




