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第90話:横槍_匿名流動編④

ーー鷹宮フェーズ


撃てない。


僕は、向かいの建物の窓際から会議室を見ていた。


距離の問題ではない。


角度が悪い。


相馬郁人と井口おさむの距離が近すぎる。


相馬の腕は、すでに井口の喉へ伸びていた。


撃てば、相馬を止められる可能性はある。


だが、弾が抜け、井口に当たる。


あるいは、相馬の体が倒れ込んだだけで、井口の喉は潰れるかもしれない。


僕は銃口をわずかに下げた。


狙いを変える。


会議室の窓。


その奥にある扉の鍵。


真壁が外からこじ開けようとしているが、間に合わない。


本来、あの会議室にあんなロックはないはずだ。


誰かが仕込んだ。


なら、壊せばいい。


スコープ越しに狙いが定まる。


引き金を引く。


銃声は、夜の建物の中に薄く潰れた。


弾は会議室の窓を割り、そのまま扉の鍵を弾いた。


鍵穴が壊れるた同時に、扉が開いた。


真壁が飛び込む。


だが、それでも遅い。


相馬の赤黒い指は、井口の喉に触れかけている。


真壁の距離では届かない。


僕は二発目を構える。


その瞬間だった。


扉の方向から、黒い棒のようなものが飛んだ。


速い。


銃弾ではない何かが、会議室の中へ飛び込んだ。


相馬の頭に直撃し、その体が床へ崩れる。


井口の喉へ伸びていた指が空を切った。


真壁が井口へ駆け寄る。


腹を押さえた井口が、何かを言った。


ここからでは声は聞こえない。


ただ、笑っているように見えた。


笑う状況ではない。


それでも、井口おさむは笑っていた。


腹から血を流し、喉を潰されかけた男の顔ではない。


その視線の先に、一人の男が立っている。


久世恒一。


写真で見た政治家の顔ではなかった。


柔らかさも、焦りもない。


ただ、遅れてきた死神のように、会議室へ入ってくる。


久世は床に落ちた黒い棒を拾った。


恐らく特殊警棒だろう。


相馬は頭を押さえながら起き上がろうとしている。


その首筋から頬へ、赤黒い濁りが広がっていた。


久世は、何かを言った。


相馬が顔を上げる。


次の瞬間、久世の腕が振り下ろされた。


警棒が、相馬の頭を打った。


一度。


二度。


三度。


相馬の手が床を掻く。


久世は止まらない。


腕。


膝。


肩。


腹。


また頭。


狙いは、殺すためというより、動きを奪うためだった。


全く容赦がない。


「見事だな」


思わず漏れた独り言だった。


十発を超えたあたりで、相馬の体はほとんど動かなくなった。


真壁が井口に肩を貸している。


井口は腹を押さえたまま、久世の方を見ていた。


何かを言っている。


久世は返事をしたように見えた。


それでも、二人の間にあるものが、ただの敵意ではないことは分かった。


奇妙な関係だ。


デポルを管理しようとする男。


デポルを消してきた男。


思想は反対側にある。


それなのに、今は同じ場所を見ている。


久世は相馬の足を掴んだ。


そのまま、会議室の奥へ引きずっていく。


血の線が床に伸びる。


抵抗する力は残っていないようだ。


僕はスコープ越しに、一部始終を見ていた。


「……あれが久世恒一か」


同じデポル狩りでも、まるで違う。


それでも、目的地だけは同じだ。


人間のふりをしたものを、表から消す。


僕は窓から離れた。


井口は生きている。


相馬も、まだ死んではいない。


これで特別行政省の大臣と、大阪のデポル狩りが接続される。


榊原冬馬を追うには悪くない。


そう思った。


その直後、遠くで別の銃声が鳴った。


ーー久世フェーズ


真壁から連絡が来た時点で、嫌な予感はしていた。


『井口さんが危ないかもしれない』


真壁の声は珍しく乱れていた。


それだけで十分だった。


あの男が慌てるなら、井口おさむは本当に危ないのだろう。


最終的には、俺が葬ってやりたいところだが、今死なれるのはまずい。


あいつにはまだ政策をやってもらわなければならない。


俺はみずきに場所を洗わせた。


特別行政省周辺の防犯カメラ。


交通カメラ。


建物の出入り。


会員制ホテルの映像。


そこから別棟の会議室まで、線が繋がった。


榊原に気をつけろと、井口からは聞いていた。


それなのに、井口本人が狙われている。


(やきが回ったな、井口)


そう思いながら、車を走らせ、今に至る。


扉を力一杯殴りつける真壁を見つけた。


と、同時にドアノブが壊れた。


銃声は聞こえなかった。


相当な距離からの狙撃だ。


誰が撃ったのかは分からない。


だが、扉は開いた。


真壁が飛び込む。


それでも井口までは届かない。


(狙撃はない、と。味方なのか?)


井口を視界に捉えた時には、かなり余裕がない状況だった。


だから、俺は手に持っていた警棒を投擲した。


相馬の頭に直撃し、体が崩れた。


井口が腹を押さえながら、こちらを見る。


「遅いな、久世君」


「生きているなら十分でしょう」


「中々言ってくれる」


井口は小さく笑った。


血の量は多い。


だが、この時点ではまだ助かる可能性がある。


これは経験則だ。


真壁が井口に肩を貸そうとしている。


相馬は床で頭を押さえていた。


赤黒い肌。


議員の顔が剥がれ、デポルの顔が出ている。


俺は床に落ちた警棒を拾い上げた。


相馬が俺を見上げる。


「久世、恒一……」


「国会ではデポル擁護を続ける非国民だなと思っていましたが」


俺は言った。


「本物の非国民デポルだったとはね」


俺は、警棒を握り直す。


「だからこそ、心置きなく」


相馬が何かを言おうとした。


聞く必要はなかった。


俺は警棒を振り下ろした。


一度で終わらせない。


頭を揺らし、腕を潰し、膝を折る。


相馬の抵抗が消えるまで、十発以上叩き込んだ。


殺すつもりなら、もっと早く終わらせる。


だが、まだ殺さない。


こいつには、喋らせる価値がある。


真壁が井口を抱えるように支えていた。


「井口さん、すぐ搬送します」


「真壁。今ではない」


真壁の手は震えていた。


それを本人は隠そうとしている。


井口は腹を押さえながら、息を整えていた。


応急処置をして搬送すれば、まだ間に合う。


そう思った瞬間だった。


銃声が鳴った。


井口の体が跳ねる。


腹に、二つ目の穴が空いた。


続けて、もう一発。


床に転がっていた相馬の頭が、わずかに揺れた。


真壁の顔から血の気が引く。


「井口さん!」


井口の膝が崩れた。


俺は反射的に窓の方を見る。


向かいのビル。


恐らくそこからだ。


相馬はもう動かない。


口封じ。


そして、俺も狙えるという警告。


真壁は一瞬だけ井口を見た。


迷っていた。


井口を支えるか。


撃った相手を追わせるか。


井口が、血で濡れた手をわずかに上げた。


行け。


言葉はなかった。


だが、それで十分だった。


真壁は携帯を取り出す。


「絶対に捕らえろ。殺すな。吐かせる」


怒りを押し殺した声だった。


短い沈黙。


相手から返事があったのだろう。


真壁は井口を見る。


「必ず、捕らえます」


井口は笑って見せた。


真壁は一度だけ深く頭を下げ、走った。


会議室には、俺と井口だけが残る。


外では、真壁の部下たちが動き始めているはずだ。


井口は壁にもたれ、腹を押さえていた。


一つ目の傷とは違う。


二つ目は、深すぎる。


「もう、もたない」


井口は自分で言った。


声に焦りはなかった。


「最後に聞かせてほしい」


「……」


「デポルから生まれ、デポルの血を持つ加藤めぐみを、君は殺すのか」


俺は黙った。


昔も、この男は似たようなことを言った。


加藤めぐみがデポルなら、君は殺すのか。


そうでなければ、筋が通らないと。


その問いは、ずっと残っている。


山本誠の問いと同じように。


国をどうするのか。


根絶とは何なのか。


少し間を置き、俺は答える。


「殺さない」


井口は少し笑った。


「だから君も、管理する側になると言ったんだ」


「いいや。強がりではなく、あなたの真似でもない」


俺は思わず言った。


まだ直接的には、誰かに話したことはない思いを。


「前世で……三十五歳で死んだ時から、決めている」


井口の目が、わずかに動いた。


「前世、か」


「もう一度この世に生を受けた時から、デポルと呼ばれる奴らは必ず根絶すると決めた」


井口は、しばらく俺を見ていた。


血が口元に滲んでいる。


それでも、目は死んでいない。


「君が、つまらない嘘をつくタイプには見えない」


「そうでもないですけどね」


「それで。前世で、何を見た」


「デポルが蔓延る無法地帯です」


俺は答えた。


「あと七年もすれば、赤黒い肌の連中が、我が物顔でその辺りを練り歩きますよ」


井口の呼吸が、わずかに乱れた。


「それはもう、管理できないな」


「だから、管理するんじゃない」


井口の目が俺を見る。


「では、君はどうする」


俺は井口のそばに膝をついた。


周囲に人はいない。


真壁もいない。


相馬はもう動かない。


それでも俺は、井口にだけ聞こえる声で、まだ誰にも話していない法案の骨子を告げた。


井口の目が、わずかに見開かれる。


それから、血の混じった笑いが漏れた。


「素晴らしい」


井口は言った。


「傲慢で、選別が過ぎる」


咳が混じる。


血が唇から落ちる。


それでも井口は笑っていた。


「だが、君の信念からは外れていない。いい考えじゃないか」


「いい考えではありません」


俺は言った。


「苦肉の策ですよ。百歩、いや一万歩は譲っている」


「それを、国にやらせるつもりか」


「いいえ。俺がやるんですよ。でなければ気が済まない」


井口は、しばらく目を閉じた。


そして、かすれた声で言った。


「真壁を使え」


俺は黙って聞いた。


「特別行政省の中に、私が残した道がある。若い者も育てた。反対する者も、かなり出した」


「ずいぶん準備がいいですね」


「当然だ。私は、途中で死ぬ気などなかった」


それでも、井口は死ぬ。


夢半ばで。


道を作ったまま。


「久世君」


「はい」


「私の思想を継げとは言わない」


井口は目を開けた。


「だが、使えるものは使っておけ。そして、信念なき者に、国の舵は握れない」


「言われなくとも」


その言葉を最後に、井口の力が抜けていく。


「怒りの権化だな。久世、恒一」


表情は、妙に安らかだった。


俺は何も言わなかった。


ただ、血の中で動かなくなった井口おさむを見下ろしていた。


しばらくして、真壁が戻ってきた。


息が乱れている。


上着に血がついていた。


「井口さん、撃った者は捕らえました」


真壁は言った。


「デポルです。榊原の手下でしょうが、確証はまだありません」


真壁の視線が、井口へ落ちる。


そこで、言葉が止まった。


血の中で、井口おさむは安らかな顔をしていた。


その横で、俺だけが立っている。


感情の抜け落ちた顔で、死んだ井口を見下ろしている。


真壁は、その顔を見て理解したのだろう。


井口おさむが、最後に何かを渡したのだと。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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