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第87話:東のデポル狩り_匿名流動編①

ーー鷹宮フェーズ


二〇〇六年。


僕は、二十歳だった。


東京の夜は、音が多い。


車の音。


人の声。


店の看板から漏れる安い音楽。


水商売の女たちの客引き。


その全部が混じり合って、街そのものが大きな獣の腹の中みたいに揺れている。


僕は、雑居ビルの屋上から下を見ていた。


路地に、一人の女性が走って入っていく。


その後に、すぐ一人の男。


スーツ姿。


年齢は四十前後。


どこにでもいる会社員に見える。


だが、違う。


あの男は、三日前に女子高生を一人壊した。


壊した、という表現は正確ではない。


奪った。


泣き叫ぶ声を聞きながら、笑っていたらしい。


警察に届けは出ている。


しかし、証拠は薄い。


このままなら、恐らく不起訴だろう。


男には戸籍が、会社が、家族がある。


人間の顔をしている。


だから、社会は証拠不十分で逮捕されない男を、人間として扱う。


だが僕は、あれが人間でないことを知っている。


男が路地の奥で足を止めた。


僕は屋上から降りた。


非常階段を使わない。


古いビルの外壁。


配管。


非常用の細い足場。


そういうものを使えば、人の目を避けて移動するのは難しくなかった。


防犯カメラの向きも、死角も分かっている。


東京には目が多い。


だが、目が多いということは、目の向きさえ分かれば抜け道も多いということだ。


僕は必要以上に獲物に近づく必要がない。


音を消し、姿を消せばいい。


僕には金があった。


家の金だ。


高宮の金。


国の中枢にいる人間の家というのは、ここまで金があるものなのかと、当時は妙な感心すらした。


父は、この時点ではまだ総理大臣ではない。


だが、すでに国の奥に手を伸ばしていた。


その父が積み上げてきたものの一部を、僕は勝手に使った。


買えるものを買い、手に入らないものは別の形で揃え、隠せるものは隠した。


正規の手続きでは存在しない、自作の銃。


消音器。


高威力の弾。


夜の東京で、デポルを殺すには、それで十分だった。


僕は、懐から黒い銃を抜いた。


消音器を取り付けたまま、服の内側へ収まる長さ。


人に見せるものではない。


処理のための道具だ。


男が振り向いた。


「誰だ」


声は普通だった。


本当に、どこにでもいる男の声だった。


僕は答えない。


銃口を向ける。


男の目が細くなる。


獲物を見る目に変わる。


「若いな」


男が笑った。


その頬の奥で、肌がわずかに濁る。


赤黒く。


人間の皮の下から、別の色が滲む。


やはり、デポルだ。


男は笑いながら、手を広げる。


「お前もか」


「何が」


「俺たちを狩るやつが、最近増えてるらしい」


男は嬉しそうに言った。


「大阪にもいるって聞いたぜ」


その言葉に、僕は眉を動かした。


大阪。


その頃、僕はまだその名前を知らなかった。


久世恒一。


だが、この時の僕には関係ない。


東京には、東京の獲物がいる。


男が飛び込んできた。


速い。


だが、遅い。


軽く引き金を引く。


乾いた音が、消音器の奥で潰れる。


男の膝が砕けた。


体勢が落ちる。


二発目。


腹。


三発目。


胸。


男の笑い声が消えた。


それでもまだ動こうとした。


デポルはしぶとい。


だから、頭を狙う。


四発目。


男の体が壁にぶつかり、そのまま崩れた。


肌が赤黒く変わり、すぐに戻っていく。


死ぬときだけ、人間の皮を思い出したように。


僕は男に近づいた。


苦戦はない。


怒りしかない。


しかし忘れず確認する。


呼吸は完全に止まっている。


間違いない。


三日前の件。


さらに過去二件。


全部、この男だ。


路地の奥で、逃げ込んだ女性が声を殺して震えていた。


生きているなら、それでいい。


僕は携帯を取り出した。


写真を撮る。


記録は必要だ。


殺した数を数えるためではない。


この国に、どれだけ人間のふりをしたものがいるのか。


それを忘れないためだ。


背後で、足音がした。


振り向く。


そこに、父が立っていた。


高宮誠司。


僕の父。


のちに総理大臣の椅子へ手をかける男。


その頃から、父は国の中枢にいた。


黒いコート。


整えられた髪。


「何をしている」


父の声は低かった。


怒鳴らない。


だが、怒っていた。


僕は銃口を下ろした。


「見て分からないなら、政治家も父親も辞めた方がいい」


父は死体を見た。


顔色は変わらない。


「それは、国が把握している個体だ」


「把握していて、放置したのか」


「放置ではない。観察だ」


僕は笑った。


「観察されてる間に、人が壊された」


「犠牲は出る」


その言葉を聞いた瞬間、腹の底が冷えた。


「こんなのが僕の父親なのか」


父は、僕を見る。


「デポルは危険だ。だからこそ、管理しなければならない」


「殺して終わる問題ではない」


「国が使えるものを、お前は勝手に潰している」


使えるもの。


その言葉で、男の死体が急に軽く見えた。


父の目には、被害者も加害者も、人間もデポルも、同じ盤上の駒にしか見えていない。


僕は聞いた。


「人を壊して笑うものを、資源と言うのか」


「感情で国は守れない」


父の目が細くなった。


「お前は、自分が何をしているのか分かっているのか。戸籍がある人間を殺した。これは殺人だ」


「害虫駆除だよ」


父は初めて、わずかに表情を崩した。


「その考えは危険だ」


「危険なのはあれとあんただ」


僕は死体を指した。


「お前には視野が足りない」


「あんたには人が見えていない」


路地に沈黙が落ちた。


遠くで、サイレンが鳴っている。


近づいているのか。


遠ざかっているのか、分からない。


父は言った。


「家に戻れ。お前の行動は、高宮の名に傷をつける」


僕は銃を懐へ戻した。


「名前も、家も、父親も、もういらないさ」


父は僕を見ていた。


その目には、怒りよりも失望があった。


「後悔するぞ」


「こちらのセリフだよ」


僕は父の横を通り過ぎた。


その夜、僕は高宮を捨てた。


それからしばらくして、戸籍上の名前を変えた。


正面からできる手続きではない。


父の力を使ったわけでもない。


父に近い者たちが使っていた抜け道を、逆に使った。


高宮ではなく、鷹宮。


空から見下ろす名ではなく、獲物を見つけて落ちる名。


それでいいと思った。





二〇一九年・秋。


僕は、公安警察の中にいた。


高宮を捨ててから、東京でデポルを狩り続けた。


その過程で、公安へ入った。


表の警察では扱えないものがある。


報道に出せない事件がある。


戸籍のある化け物。


政治の奥に沈められた記録。


消えた被害届。


なかったことにされた被害者。


そういうものを追うには、表の制服より、裏の札の方が都合がよかった。


公安は正義の場所ではない。


綺麗な場所でもない。


だが、使える。


父が嫌うやり方で。


僕は、狩る。


その違いだけは、最後まで譲らない。


やがて、大阪の記録が目につくようになった。


二〇〇六年頃から、妙な消失が増えている。


戸籍はある。


生活記録もある。


しかし、ある日を境に消える。


死体は出ない。


事件化もしない。


関係者の証言は曖昧。


けれど、消えた者の多くに共通点があった。


デポル。


東京でも似たことはある。


僕がやってきたからだ。


だが、大阪は数が違った。


記録を繋げるほど、数字は膨らんだ。


三百を超える。


ありえない。


個人でやる数ではない。


組織か。


公安か。


警察か。


政治か。


違う。


線を追うと、一人の男の周りで影が濃くなる。


久世恒一。


二十九歳。


企業の社長。


弁護士。


法曹協会の理事。


大阪市長を経て、今は衆議院議員。


後に知ったことだが、久世恒一は仲間の情報支援でカメラを潰し、素手や刃物でデポルを消していた。


僕とは逆だ。


消えたデポルの数は大阪の方が多かった。


久世恒一が大阪市長になって以降、大阪のデポル絡みの事件は目に見えて減った。


ゼロではない。


だが、以前のように堂々と人を壊す個体は減っている。


その大阪で、最近になって匿名流犯が芽を出し始めた。


偶然ではない。


僕は、久世恒一の資料を閉じた。


画面には、別の名前が残っている。


榊原冬馬。


通信リスク管理会社の顧問。


特別行政省の匿名流犯対策アドバイザー。


表向きは、匿名流動型犯罪への対策を語る専門家。


だが実際には、頭の悪い高校生や、金に困った若者、そしてデポルを実行役として流している。


匿名流犯とくめいりゅうはん


つまり匿名の反抗グループだ。


匿名の指示役。


流動する実行役。


捕まるのは、いつも末端だけ。


東京と大阪で、同じ形の事件が増えている。


高校生やデポルは捕まる。


だが、指示役は消える。


大体がこの流れだ。


僕は、その流れの奥に榊原冬馬を見ていた。


だが、証拠が足りない。


榊原は中心にいない。


どこにもいないように見せている。


対策する側の顔をして、対策情報に触れる。


その情報を使って、匿名流犯の流れを少しだけずらす。


摘発より前に実行役を逃がす。


警察が踏み込む時には、末端だけを残す。


よくできている。


腹が立つほどに。


そして、榊原は大阪にも線を伸ばしている。


大阪市長、加藤めぐみ。


二十九歳。


法曹協会会長、水谷ひとみ。


三十四歳。


僕が見るに、この二人が久世にとってのキーマン。


彼らが揃った大阪は、匿名流犯にとって邪魔だ。


逆に言えば、榊原を追い込むなら大阪が使える。


僕は端末を閉じた。


窓の外に東京の夜が広がっている。


二〇〇六年から、ずっと似た夜を見てきた。


人間のふりをしたものを撃ち殺してきた。


父と決裂し、名を変え、公安に潜った。


それでも、流れは止まらない。


一人で狩れる数には限界がある。


東京だけでは足りない。


大阪のデポル狩り。


久世恒一。


もし本当に、三百以上を消した男なら。


危険だ。


だが、使える。


僕は立ち上がり、上着を取った。


大阪へ行く。


榊原冬馬を追うために。


匿名流犯の流れを詰まらせるために。


そして、久世恒一という男が、どこまで使えるのかを測るために。


父の盤面に乗るつもりはない。


だが、父を倒すには、駒がいる。


いや。


駒というには、あの男は大きすぎる。


ならば、契約相手だ。


信用はいらない。


友情もいらない。


目的が一致する間だけ、手を組む。


それで十分だ。


僕は、机の上に置いた資料を一枚だけ抜き取った。


久世恒一の写真。


表情の薄い、政治家の顔。


その裏に、どれだけの血があるのか。


確かめる必要がある。


僕は写真を内ポケットに入れ、部屋を出た。


東京の夜は、まだ音が多い。


だが、今日の音は少し違って聞こえた。


流れが、大阪へ向かっている。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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