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第86話:清算_大阪市長選・後編

ーー二階堂フェーズ


午後八時。


開票速報が始まった。


選挙事務所の中は、妙に静かだった。


支援者。


古い後援会の人間。


私に戻ってきた団体の関係者。


そして、表には出せない者たち。


多くの人間が集まっているはずなのに、空気だけが薄い。


私は椅子に座り、正面の画面を見ていた。


画面の中では、黒瀬麗奈が淡々と選挙情勢を伝えている。


加藤めぐみ。


二階堂傑。


大阪市長選挙。


開票率はまだ低い。


だが、最初の数字は予想より悪かった。


「序盤です」


播磨健二が言った。


「まだ判断する段階ではありません」


「分かっている」


私はそう答えた。


序盤の票は偏る。


地区によっても違う。


期日前投票の反映順もある。


組織票は後からまとまって見えてくることもある。


これまで大阪の行政に張り巡らせてきた根。


それらは、簡単には消えない。


加藤めぐみの票が伸びていることは分かっていた。


だが、それは一時的な熱だ。


久世恒一の人気。


山本誠の死。


法曹協会の炎上。


未来共生機構への怒り。


それらを受けた票が、加藤めぐみに流れている。


火が燃え上がれば、人はそちらを見る。


だが、火はいつか落ちる。


最後に残るのは、根だ。


私は根を持っている。


久世恒一も、それを知っている。


「開票率、二十七パーセント」


画面の下に数字が出る。


加藤めぐみの名前の横に、票数が積み上がっていく。


二階堂傑の票も伸びている。


だが、差が縮まらない。


むしろ、少しずつ広がっている。


支援者の一人が、小さく息を呑んだ。


私は画面から目を逸らさない。


「若年層の投票率が、前回市長選を大きく上回っています」


黒瀬の声が流れる。


「特に二十代、三十代の投票が増えており、加藤めぐみ候補への支持が強く出ていると見られます」


若年層。


普段、政治へ足を運ばない層。


久世恒一なら怖がる者たち。


私は、指先で机を叩いた。


一度。


二度。


「まだだ」


誰に言うでもなく、そう呟いた。


播磨が頷く。


「はい。まだ、後半があります」


だが、後半になっても流れは変わらなかった。


開票率五十パーセント。


差はさらに開いた。


開票率七十パーセント。


加藤めぐみの優勢は、ほぼ動かなくなった。


画面の中で、黒瀬が一瞬だけ間を置いた。


その間が、結果を告げていた。


「加藤めぐみ候補、当選確実です」


拍手が起きた。


画面の向こうで。


加藤めぐみの選挙事務所で。


支援者たちが立ち上がり、拍手をしている。


加藤めぐみは、深く頭を下げていた。


久世恒一の姿もある。


水谷ひとみもいる。


黒瀬のカメラが、明るい部屋を映している。


あの部屋だ。


久世事務所。


見慣れた配置。


そこに、彼らはいる。


七対三。


惨敗。


加藤めぐみは、票を散らすための候補ではなかった。


票を集める候補だった。


久世恒一が拾えない票まで拾った。


怒りや恐怖だけでは動かない層。


久世恒一を支持するには強すぎるが、加藤めぐみなら受け入れられる層。


私は、そこを読み違えた。


選挙は負けた。


しかし、盤面まで失ったわけではない。


「播磨君」


「はい」


播磨の声は震えていた。


「行こうか」


「……久世事務所へ、ですか」


「他にどこがある」


私は立ち上がった。


部屋の空気が変わる。


表の支援者たちは、何が起きるのか分かっていない。


だが、奥にいる者たちは理解している。


デポル。


四十体以上。


選挙に負けた時の保険。


久世恒一が約束を破った時の代償。


私は、最初から用意していた。


「久世君なら、分かっていたはずだ」


私は呟く。


ならば、こちらも動くだけだ。


夜の大阪を車列が走る。


敗北の報道が、スマートフォンに流れ続けている。


加藤めぐみ当選。


大阪初の女性市長。


被害者支援の新段階。


そんな言葉が踊っている。


私は画面を消した。


いらない。


見るべきものは、もう決まっている。


久世事務所。


久世恒一の心臓に近い場所。


そこを押さえれば、まだ揺らせる。


人質。


資料。


機材。


証拠。


新市長の初日から、泥を浴びせることもできる。


加藤めぐみの市政を、始まる前から傷つけられる。


久世恒一に、代償を払わせることはできる。


「中継は、まだ続いています」


播磨が端末を見ながら言う。


「久世事務所からの生放送です。黒瀬も入っています」


画面には、明るい部屋が映っていた。


加藤めぐみが、当選後の挨拶をしている。


久世恒一が横にいる。


水谷ひとみが奥に座っている。


私はそれを見て、少しだけ笑った。


「律儀だな」


彼らは、そこにいる。


そう見える。


事務所のビルには、明かりがついていた。


窓から光が漏れている。


選挙特番の中継で見たものと同じ。


播磨が案内した。


「こちらです」


裏口。


非常階段。


関係者用の出入り口。


播磨は迷わない。


まるで自分の家のように動く。


犬は、よく道を覚えている。


デポルたちが音もなく続く。


一階。


二階。


三階。


久世事務所のある階へ近づく。


人の声はしない。


だが、明かりはついている。


播磨が扉の前で止まった。


「中にいます」


「開けろ」


扉が壊される。


デポルたちが一気に中へ流れ込んだ。


私は少し遅れて入る。


事務所の中は、明るかった。


机。


椅子。


パソコン。


電話も棚もある。


配置も先日訪れたまま。


播磨の説明通りのままだ。


だが。


人がいない。


誰もいない。


「探せ」


デポルたちが散る。


机の下。


奥の部屋。


会議室。


配信に使っていた部屋。


資料棚。


扉という扉が開けられる。


何もない。


「中身がない」


播磨がファイルを掴む。


紙の束が、落ちない。


外見だけのファイル。


棚に詰まっていたのは、空の殻だった。


「どういうことなんだ……」


播磨が、かすれた声で言った。


その時。


電話が鳴った。


古い固定電話。


事務所の中央に置かれた電話。


誰も動かなかった。


私は歩いた。


受話器を取る。


「こんばんは、二階堂さん」


久世恒一の声だった。


静かだった。


あまりにも静かだった。


「久世君」


「残念でしたね」


「何がだ」


「選挙ですよ」


久世は白々しく言った。


「私は、あなたを勝たせるつもりでいましたよ」


「ですが、二階堂さんの地力が思ったより弱かった」


「まさかこんなことになるとは」


私は受話器を握る手に力を入れた。


「君は約束を破った」


「破っていませんよ」


「私を勝たせる方向で動くと言った」


「ですから動きましたよ」


久世は即答した。


「ただ、加藤めぐみの票が想像以上でした」


「政治の世界は、何が起こるか分からない。あなたがそう仰っていたのでは?」


周囲で、デポルたちが棚を荒らしている。


空。


空。


空。


どこを開けても、中身がない。


播磨の顔から血の気が引いていく。


「そこ、もう使っていませんよ」


久世が言った。


「昨日引っ越したんですよ。老朽化で解体予定のビルですからね」


「ただ、あなたたちが来るまでは、使っているように見せる必要があった」


私は周囲を見る。


明かり。


机。


電話。


空のファイル。


中身のないパソコン。


人間のいない事務所。


「いつからだ」


「そんなこと知って意味があるんですか?」


「久世……」


「私は片づけるつもりでいました」


久世の声が、少し低くなる。


「二階堂さん」


「あなたは、俺たちのことを知りすぎた」


遠くで、何かが鳴った。


重い音。


地下か。


下層階か。


建物の腹の底で、鉄が唸ったような音だった。


デポルたちが顔を上げる。


「俺がデポル狩りと呼ばれていることも」


久世は続ける。


「山本の件も」


「あなたは、知りすぎた」


また音。


今度は近い。


床が小さく揺れた。


播磨が叫ぶ。


「二階堂さん、これは」


「黙れ」


私は受話器を握ったまま、天井を見る。


照明が揺れている。


久世の声が続く。


「播磨さーん」


その声は、受話器越しでも部屋に響いた。


播磨が固まった。


「元の飼い主の元に戻れてよかったですね」


播磨の唇が震える。


「久世……!!」


「最後まで、しっかり働いてくれました」


久世は優しい声で言った。


だからこそ、冷たかった。


「これで、めぐみの情報を売った件はチャラにしてあげますよ」


「水に流す、いや」


一瞬、間が空く。


「瓦礫に流しましょう」


轟音。


床が跳ねた。


どこかで火が走った。


壁の奥から、爆発が連鎖する。


悲鳴。


怒号。


デポルたちが動く。


だが、遅い。


天井が割れる。


粉塵が落ちる。


コンクリートの塊が、棚を潰した。


電話線が揺れる。


久世の最後の声が聞こえた。


「さようなら」


そこで、音が切れた。


いや。


電話が切れたのではない。


天井が落ち、電話ごと押し潰された。


私は後ろへ飛んだ。


椅子が砕ける。


壁が崩れる。


デポルの一体が、梁に潰されて声もなく消えた。


別の者が逃げようとする。


出口は、もう塞がっている。


階段も。


廊下も。


火と煙と瓦礫に飲まれている。


私は立ち上がろうとした。


足に痛みが走る。


見れば、コンクリート片が太腿を裂いていた。


まだ動ける。


まだ。


私は周囲を見る。


播磨はどこだ。


苛立ちをぶつける相手を探した。


あの犬に、何か言ってやりたかった。


だが、横を見た瞬間、言葉が止まった。


播磨の頭があった場所に、瓦礫があった。


体だけが、崩れた机の脇に残っている。


首から上は見えない。


私は、少しだけ笑った。


「早いな」


轟音がまた響く。


天井がさらに沈む。


私は壁に背を預けた。


リスクヘッジが足りなかったのか。


違う。


久世恒一は十分に警戒していた。


播磨が情報を流していることも、あえて見逃していたと、その前提でこちらも動いていた。


では、誰がこの盤面を組んだ。


水谷ひとみか。


違う。


あの女は今、法曹協会の立て直しで手一杯のはずだ。


それに、これは法の手ではない。


もっと静かで、もっと悪い。


立花みずきか。


頭は切れる。


情報も扱える。


だが、こういう処分を最後まで設計するタイプには見えなかった。


久世恒一か。


違う。


久世なら、私を殺す。


もっと直接。


もっと怒りを持って。


もっと自分の手で。


では。


私は、崩れかけた天井を見た。


粉塵の向こうに、画面の中の笑顔が浮かぶ。


加藤めぐみ。


人前では、容姿以外で目立たないようにしていた。


久世恒一の後ろ。


弁護士。


取締役。


資金と事務を支える女。


そう見せていた。


違う。


「あれは、補佐役ではなかった……?」


私が見ていた派手な火は、久世恒一だった。


デポル狩り。


山本誠を敵視し、井口おさむとも歪み合う男。


暴力と怒りの中心。


私はそれを見ていた。


だが、その陰で、加藤めぐみが線を引いていた。


播磨が情報を流すこと。


私が保険として事務所を押さえに来ること。


久世事務所を捨てても、使っているように見せること。


選挙特番で、明るい部屋を映すこと。


生中継で映っていた部屋も、同じ配置で作った別の場所だったのか。


私たちが見ていた中継すら、餌だったのか。


それを、播磨はまんまと信じた。


いや、私が騙されたのだ。


全部。


全部、織り込み済みだったのか。


「……負けたよ」


声は、粉塵に消えた。


悔しさはあった。


怒りもあった。


だが、それ以上に、妙な納得があった。


敵を見誤った。


警戒すべきは、デポル狩りではなかった。


加藤めぐみの方だった。


上から、巨大な影が落ちてくる。


私は最後に、もう一度だけ笑った。


大阪は、私の街だった。


そう思っていた。


違ったらしい。


轟音。


視界が、瓦礫で埋まった。





翌朝。


大阪市長選挙の結果は、一面を飾った。


加藤めぐみ氏、大阪市長選挙で圧勝。


久世市政の継承へ。


一方で、別のニュースが朝から報じられていた。


大阪市内の老朽ビルで爆発。


数日後に解体工事を控えていた建物が倒壊。


建物は老朽化が進み、地下部分の補強工事も予定されていたという。


警察と消防によれば、ビルには工事準備のため、可燃性の薬剤や発泡ウレタン材、接着剤などが搬入されていた。


老朽化した配線の漏電により地下駐車場付近で火災が発生し、気化した可燃性ガスに引火した可能性があるという。


倒壊したビルは、かつて久世陣営が使用していた旧事務所だった。


現場からは、多数の遺体が見つかった。


その中には、選挙で敗れた二階堂傑氏。


元法曹協会関係者、播磨健二氏。


そして、身元確認が難しい者も含まれていた。


警察は、二階堂氏らがデポル四十名以上とともに旧久世事務所へ侵入した疑いがあるとして、事件と事故の両面から調べている。


加藤めぐみ新市長は、当選翌朝の取材に対し、短く答えた。


「まずは亡くなられた方の身元確認と、周辺住民の安全確認を最優先にしていただきたいと思います」


「その上で、旧事務所への侵入が事実であるなら、なぜそのような行動に至ったのか、関係機関と連携して確認します」


「大阪を、不安で揺らすわけにはいきません」


「そして、選挙で共に戦った二階堂氏には心からお悔やみ申し上げます」


画面の中の加藤めぐみは、静かに頭を下げた。


その表情は、穏やかだった。


柔らかく、丁寧だった。


毒の匂いは、どこにも見えなかった。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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