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第85話:票田_大阪市長選・前編   

ーー二階堂フェーズ


大阪市長選挙は、静かに熱を帯びていた。


山本誠は死に、法曹協会は大きく揺れた。


永田修一と丸川修司は、容疑者として勾留されている。


未来共生機構は、名前を出すだけで市民から眉をひそめられる団体になった。


解散も時間の問題だろう。


久世恒一は、大阪市長としての任期を終えようとしている。


次は国政。


衆議院議員へ向かう準備を進めている。


水谷ひとみは、法曹協会の会長に就き、デポル色の濃い連中を一掃し始めた。


火事場に飛び込むには、よほど腕に自信があるのだろう。


そして、特別行政省大臣、井口おさむ。


彼は今回の件に関して、沈黙を通している。


山本が死に、法曹協会が揺れ、大阪の地下に残っていた線が焼けても、表には出てこない。


それが不気味だ。


だが、今は井口ではない。


今、私の前にある椅子は一つ。


大阪市長の椅子だ。


一度、久世恒一に奪われた。


本来なら、私が座っているはずだった。


それを取り戻す。


そのために、私は戻ってきた。


「加藤めぐみ、ですか」


播磨健二が、控えめに言った。


机の上には、選挙情勢の資料が広がっている。


新聞。


ネット記事。


世論調査。


街頭演説の映像。


加藤めぐみ。


久世恒一の学生時代からの友人。


弁護士で、久世の会社の取締役。


山本が関与した拉致事件の被害者。


そして、今回の大阪市長選挙に出てきた女。


私は画面を見る。


駅前の広場。


多くの人が足を止めている。


加藤めぐみは、そこで話していた。


派手な言葉は使わない。


怒鳴らない。


拳も振り上げない。


久世恒一とは違う。


声は穏やかだ。


表情も柔らかい。


だが、聞いている人間は離れない。


「久世市政は、壊す仕事でした」


画面の中で、加藤めぐみが言う。


「私は、その後を整える仕事をしたいと思っています」


「被害者が泣き寝入りしない街」


「加害者を支える前に、被害者を支える街」


「皆さんの税金が、誰かを逃がすためではなく、守るために使われる街」


「大阪を、そういう街にします」


「そして——故人の戸籍を奪うような『違法住民』には屈しない」


拍手が起きる。


大きくはない。


だが、薄く広い。


私は映像を止めた。


「『違法住民』か。穏やかな表情からは考えられない強い言葉だな」


播磨が顔を上げる。


「警戒されますか」


「当然だ」


私は笑った。


「ただし、本命ではない」


「本命ではない?」


「票を散らすためだよ」


加藤めぐみの出馬。


それ自体は意外ではなかった。


久世恒一が直接、私を応援するわけにはいかない。


彼は大阪市長として、私を引きずり下ろした側だ。


その彼が、今さら私を公然と支援すれば、支持者は混乱する。


だから、加藤めぐみを立てる。


反二階堂票を一度、彼女に集める。


久世票。


被害者支援票。


法曹改革票。


反デポル票。


それらを加藤めぐみが受ける。


そして、最後に調整する。


久世恒一は、約束を破ればどうなるかを理解できない男ではない。


「久世さんは……いや、久世は本当に約束を守るでしょうか」


播磨が聞いた。


私は資料へ目を落とす。


約束。


あの夜、私は久世恒一に言った。


大阪市長選挙で、私を勝たせろ。


彼は答えた。


勝たせる方向で動く、と。


曖昧な言葉だ。


政治家らしくなったものだ。


彼自身を、信じているわけではない。


信じているのは、久世恒一の善意ではなく、理解力だ。


「播磨君」


「はい」


「君は、久世事務所のことをどれほど把握している」


播磨は姿勢を正した。


「出入り口、動線、部屋の配置、警備の癖、関係者の出入りは把握しています」


「選挙当日は?」


「久世陣営は、あそこを中心に動くはずです」


「確かかい」


「はい。少なくとも、表から見える動きに変化はありません」


播磨は自信を持って答えた。


その姿が、少し滑稽だった。


この男は、もともと私の犬だ。


一度、久世側へ尻尾を振った。


しかし、飼い主が元に戻っただけのこと。


水谷ひとみがトップになった以上、久世側に残っても播磨に席はない。


ならば、犬は、餌の匂いがする方へ戻るだけだ。


責める気はない。


そういう生き物だ。


「久世君なら分かっている」


私は言った。


「私を本気で裏切れば、何が起こるか」


播磨は黙っている。


「加藤めぐみを立てることは構わない」


「私を冷やすための演出も、まあいい」


私は世論調査の紙を手に取る。


現時点では接戦。


加藤めぐみが思ったよりも票を取っている。


だが、選挙は最後まで分からない。


組織票。


地盤。


過去に握った人脈。


行政の中に残した線。


古い支援者。


私の票は、まだ伸びる。


「今は競っている。だが、ここから私の票が増える」


「久世君も、そこは読んでいるはずだ」


播磨がうなずく。


「加藤氏の支持が、想定以上に広がっているという報道もあります」


「報道は火を見るのが好きだ」


私は言った。


「燃えそうなところに群がる」


「黒瀬麗奈も、そういう火を見せるのがうまい」


画面には、黒瀬が組んだ選挙特集が映っている。


加藤めぐみの街頭演説。


久世市政の三年間。


未来共生機構の問題。


山本誠の死と拉致問題。


法曹協会の混乱。


そして、次の大阪を誰に託すのか。


うまく作っている。


「黒瀬は加藤寄りでしょうか」


「そうかもしれないな。取引は久世君とだからな」


「では」


「使える火に近づいているだけだ」


黒瀬麗奈。


あの女も、決して信用できない。


だが、今はいい。


私は、負けるとは思っていない。


久世との約束。


そして、保険。


私には、まだ手がある。


「播磨君」


「はい」


「状況は、逐一伝えてくれ」


「もちろんです」


播磨は、深く頭を下げた。


その首輪は、もうこちらの手の中に戻っている。


私は窓の外を見る。


大阪の街は、まだ私の匂いを残している。


久世恒一は、国政へ行く。


水谷ひとみは、法曹協会に潜る。


なら、大阪を預かる者が必要だ。


加藤めぐみではない。


あの女は、久世恒一の後ろにいる者だ。


前に立つ器ではない。


画面の中で、加藤めぐみが笑った。


穏やかな笑みだった。


柔らかく、丁寧で、毒の匂いがしない。


私は、少しだけ笑う。


「よくできた候補だ」


だが、大阪は綺麗な言葉だけでは動かない。


この街には、古い根がある。


血管のように張った線がある。


私は、その線を知っている。


久世恒一も、それを知っている。


だから最後には、選ぶしかない。


誰を勝たせるべきか。


誰を大阪へ戻すべきか。


加藤めぐみの拍手が、画面の向こうで鳴っている。


その音を聞きながら、私は情勢調査の数字を見た。


接戦。


今は、まだ。


ここからだ。


ここから、私の票が伸びてくるはずだ。


妙な違和感が、胸の奥に残った。


私はそれを言葉にしないまま、選挙特番に目をやった。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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