第83話:問答_騒擾編⑨
山本誠からの連絡は、配信終了から二時間後に来た。
事務所の端末に、短い文面だけが届いた。
『久世恒一君。話をしよう』
『私は一人で行く』
記載された地図は、いつかの地下駐車場だった。
夜中。
事件が起きるには、都合のいい時間。
三年前と変わらぬ古い照明。
殺したデポルの血痕は綺麗さっぱり消えている。
靴音が広い空間に反響する。
人の気配はない。
ただ一つ。
奥に、山本誠が立っていた。
黒いスーツ。
白いシャツ。
細いネクタイ。
三年前と同じように整っている。
だが、顔色は悪かった。
頬は痩せ、目元に影がある。
それでも、目は濁っていない。
「一人で来たのか」
「ええ。あなたが一人で来ると記載があったので」
「礼儀がなっているな、しかし不用心だ」
山本の声は責めていなかった。
「前大阪市長、二階堂」
「これからも彼と協働していくのか?」
山本は少しだけ目を細めた。
どう答えるか迷う。
絞り出した答えを伝える。
「いいえ。その時使えるものを使っただけです」
山本は静かに笑った。
「悪くはない答えだな」
「もし二階堂君と本当に手を組む気なら、失望していたところだ」
「……」
「彼は多くの被害者を出した」
「君は、それを憎んでいたはずだ」
「今でも憎んでいます」
「なら、なぜ使う」
「あなたを表に出すためです」
「私を倒すためなら、二階堂君を使うのか」
「ええ」
「その先は?」
俺は黙った。
「彼に大阪を渡すのか」
答えない。
「君が暴いてきた事実はすぐに蓋をされるぞ」
答えない。
山本は、しばらく俺の顔を見ていた。
そして、ほんの少しだけ表情を緩めた。
安堵。
そう見えた。
「なるほど。何か手があるんだな」
山本は、ゆっくり息を吐いた。
「ならいい」
その直後、肩が小さく揺れた。
咳。
一度。
二度。
三度目で、音が変わった。
山本は口元を押さえる。
指の間から血が零れた。
赤黒い血が、床に落ちる。
咳が収まると、山本は手の血を見た。
「見苦しいところを見せた」
「……それは?」
「肺がんだ」
何でもないことのように言った。
「もう長くない」
静けさが増した気がした。
「だから、俺を放置していたと?」
「違う」
山本は顔を上げる。
「君を相手にしていなかった」
その言葉は、不快なほど真っ直ぐだった。
「残り時間を、君個人に使う理由はなかった」
「私は、国をどのように守るかだけに命を燃やした」
「デポルを社会へ侵蝕させ、罪なき人間に被害を被らせることに、でしょう」
「国を守る手段だ」
山本の声は掠れている。
それでも、言葉の芯は折れていなかった。
「人口は減る」
「外からの脅威は増える」
「地方は衰える」
「社会は老いる」
「君は、それにどう対処する」
「デポルを目の敵にして、この国をどう守る」
国がどうなろうと知ったことか。
「デポルは危険だ。被害を生んでいる。人間とは文化が違う」
「だが、危険なものは使える」
「兵器にも、抑止力にもなる」
「綺麗な国など存在しない」
「綺麗な法も存在しない」
俺は山本を見る。
理解はできる。
だが、受け入れる気はない。
「そのせいで被害者が後を絶たない」
山本は表情を変えない。
「犠牲は出る」
「制度で小さくするしかない」
油と水だ。
「国がどうとか関係ない。あんたの政策も知らない。デポルはこの世から消すだけだ」
山本は、血を拭った。
「では、デポルを消し切った後に何を作る」
「知るか」
俺は吐き捨てた。
「国がどうなろうが興味はない」
「俺は、俺の範囲の守るべき対象を守る。デポルは消す。これは決定事項だ。それ以外はどうでもいい」
山本の目が、少しだけ変わった。
「違う」
山本は言った。
「君は、もうその場所にはいない」
山本の言葉の意味がわからなかった。
「強き者は、弱き者を守る義務がある。君は国を背負え」
山本は一歩、俺に近づいた。
「力を持つ者は、持たない者のために尽力すべきだ」
「それが、力を持つ者の義務だ」
「説教ですか」
「激励だ」
山本は、掠れた声で続けた。
「君は国の舵取りに、必ず手をかける」
「その時も、そんな逃げの言葉を吐くのか」
俺は答えなかった。
答えられなかった。
山本の正義など、知ったことではない。
デポルを兵器にする思想など、反吐が出る。
犠牲を制度で小さくするという言葉も、虫唾が走る。
心は揺れない。
俺の中心は変わらない。
それなのに、言葉だけが出なかった。
俺がもう、ただの被害者ではないこと。
大阪市長であること。
法曹協会常任理事であること。
これから国政へ行こうとしていること。
そこだけは、否定できなかった。
山本は、もう一度咳き込んだ。
今度は長かった。
血が床に落ちる。
一滴。
二滴。
まとまった赤黒い塊。
山本は壁に手をついた。
それでも、膝はつかない。
「私は、デポルを国家の武器にすることが、この国を守る道だと考えた」
山本の声は、少しずつ細くなる。
「国を守るために、国を汚す。法を守るために、法を曲げる」
「矛盾していますね」
「だが、政治とは矛盾を引き受けることだ」
「あなたは政治家ではない」
「そうだ」
山本は頷いた。
「だから、私は表に立たなかった」
「表に立つ者を支え、動かし、汚れを引き受ける側に回った」
山本は、小さく笑った。
「君も、矛盾を抱え始めている」
「法を嫌いながら、法を使う」
「暴力を嫌いながら、暴力を使う」
「そしてデポルを嫌いながら、デポルを抱えている」
「……」
山本の声は、もうほとんど消えかけていた。
「その時が来る。君が、国の舵に手をかける時が」
「その時も、自分と周りだけでいいと、言えるかな」
山本は、そこで息を詰まらせた。
胸を押さえる。
肩が震える。
それでも、最後まで俺を見ていた。
「さあ、もう行きたまえ。私の話は終わりだ」
「総理大臣もあなたと同じ考えなんですか」
「そうでなければ、私の存在価値はなくなるな」
「……そうですか。では」
俺は踵を返した。
何度も死線を越えてきた。
命のやり取りを、この手でしてきた。
だから分かる。
山本は終わる。
治療をしていたのかは定かではない。
だが、自分の人生をかけて、自分の貫く正義を全うした。
俺の思想と反するこの男を、このデポルを、到底許せない。
しかし、一人の生物として、尊敬に値すると思った。
山本が呟く。
「君がやろうとしていることは、私がやろうとしたことより、はるかに難しい」
「そのことを、身をもって知り続けなさい」
座り込んだ山本は、静かに息を引き取った。
駐車場の出入り口で、黒スーツの男たちと入れ違った。
彼らは俺に目もくれない。
俺も横目で見るだけで、そのまま通り過ぎた。
『君は、どうするのだ』
山本の問い。
俺は答えなかった。
答えられなかった。
答える必要がないと思った。
それなのに、言葉だけが残った。
喉に刺さった小骨のように。
・
・
・
時間は流れた。
山本誠の死は、国を揺らした。
法曹協会は混乱した。
永田修一、丸川修司、未来共生機構。
その線は、山本の死によって一気に表へ引きずり出された。
報道は連日燃えた。
法曹協会の信頼は地に落ちた。
加害者更生団体への公金投入は、各地で見直しが始まった。
この機に乗じてひとみは、法曹協会のトップへ立った。
火消しの一番ひどいタイミングで。
それでも、ひとみの目の炎の方がはるかに燃えていた。
山本が消えた穴は大きい。
俺は、大阪市長として最後の仕事を進めた。
そして、国政へ向かう準備を始める。
次の場所。
次の戦場。
山本の言葉は、まだ消えない。
『デポルを消した後、君はどうするのだ』
俺は今でも、答えを持っていない。
持つ必要があるとも思っていない。
それでも、言葉は残っている。
そして。
大阪市長選挙が始まった。




