第82話:共犯_騒擾編⑧
配信開始まで、あと三分。
緊張ではない。
喫煙者がいる個室に、ぶち込まれたような不快感。
二階堂傑は、俺の向かいで水を飲んでいた。
こちらの椅子に座り、こちらの机に肘を置き、こちらのカメラを見ている。
それだけで、部屋の空気が少し濁った気がした。
「緊張しているのかい?」
「あなたがそこにいると、不快だなと」
「正直でいい」
いつもの配信用機材はない。
警察が持っていった。
昨日まで当たり前のように机の上にあったものが、今はない。
代わりにあるのは、簡素な三脚。
その上に固定されたスマートフォン。
照明も最低限。
部屋もいつもより暗い。
だが、それでいい。
綺麗な画面である必要はない。
今日必要なのは、綺麗な映像ではない。
消される前に、火を投げることだ。
みずきはスマートフォンの接続を確認している。
黒瀬は別回線で、報道側へ指示を飛ばしている。
ひとみは別室。
めぐみは、画面外で準備している。
今日は、切り札を出す。
正直、出したくはない。
しかし、出さなければ山本は燃えない。
これはめぐみからの提案でもある。
本当に強く、逞しく、強かな女だ。
画面の向こうへ投げる火種は、すでに揃っていた。
みずきが顔を上げる。
「始めるよ」
赤いランプが点いた。
俺はカメラを見る。
「大阪市長チャンネルをご覧の皆さん」
「いつもご覧いただき、ありがとうございます」
「現役大阪市長の久世恒一です」
「まず最初に、お詫びします」
「昨日、私の事務所に警察の捜査が入り、いつもの配信用機材の一部が押収されました」
「そのため、本日は簡素な三脚とスマートフォンだけで配信しています」
「いつもより画面が暗いかもしれません」
俺はそこで、少しだけ笑った。
「ただ、今日の内容は、画質より重要です」
「恒例となりました大阪市長チャンネルですが」
「本日は、これまでで最大級のスペシャルゲストをお呼びしています」
「正直に言えば、私としては、二度と同じ画面に映りたくなかった方です」
二階堂が横で小さく笑った。
俺はカメラに向かって手を向ける。
「前大阪市長、二階堂傑さんです」
二階堂が軽く頭を下げる。
「二階堂傑です」
コメント欄は、表示しなくても分かるほど騒がしかった。
”前市長?”
”二階堂www”
”これはさすがに意味分からん”
”デポル野郎やん”
俺は頷いた。
「はい。皆さんの反応は分かります」
「なぜ私の隣に、二階堂さんが座っているのか」
「私自身も、できれば座ってほしくありませんでした」
「久世さん、正直なのは良いことだが、話が進まないよ」
「失礼しました。視聴者の皆様には、私と二階堂さんが大の仲良しだと思われたくなかったものですから」
「まあ、否定はしない」
俺はカメラへ向き直る。
「ですが、今日は必要があって来ていただきました」
「昨日から報じられている未来共生機構」
「永田修一氏」
「丸川修司裁判官」
「そして、法曹協会」
「その奥にいる人物について話します」
コメントの流れがさらに速くなる。
みずきの指が、端末の上で止まらない。
俺は続けた。
「まず、昨日の市民監査の後、未来共生機構、永田修一さん、丸川修司裁判官に関する疑惑が大きく報じられました」
「その直後、私の事務所には警察の捜査が入りました」
「動画配信での拘束、脅迫、暴行の疑いなどなど」
俺は少しだけ間を置く。
「ずいぶん、動きが早かったですね」
二階堂が口を開いた。
「うん。早すぎる」
「あなたが言うと説得力がありますね」
「経験者だからね」
二階堂は、穏やかに言った。
「私は、久世市長に追い落とされた側だ」
「その私が、なぜ今ここにいるのか」
「それは、私を追い落とした構造と、今回久世市長を潰そうとしている構造が、同じ場所に繋がっているからだ」
「結論から言います。山本誠。この男こそ、今回の騒動の首謀者です」
二階堂がその名を口にした。
「法曹協会のトップ」
「そして、丸川修司裁判官、永田修一氏、未来共生機構へ指示を飛ばしていた人物」
コメント欄が跳ねる。
俺は黙って、二階堂に続けさせた。
二階堂はカメラを見る。
「もちろん証拠はあります」
(ああ。無ければ殺してる)
「裏取りも進めています」
(進めている、か。便利な言い方だ)
真実に嘘を混ぜる。
詐欺師の十八番。
「誰に、どの案件で、どう動けと伝えたのか」
「それを示す記録がある」
俺が続ける。
「その記録は、複数の報道機関、弁護士、そして捜査機関へ提出する準備を進めています」
「この動画で全てを出さないのは、改ざんや逃亡、証拠隠滅を防ぐためです」
「なので、今日ここで出せるのは一部です」
みずきが画面に資料を出す。
黒塗りされた資料。
通信日時。
案件番号。
名前は一部伏せられている。
だが、いくつかの単語は見えている。
永田。
丸川。
未来共生機構。
指示。
無罪方向。
受け入れ。
再配置。
俺はそれを指差した。
「これが、昨日の市民監査で話した構造です」
「永田修一さんが弁護する」
「未来共生機構が受け皿になる」
「丸川修司裁判官の関与した判断で、無罪、または極めて軽い処分になる」
「その後、加害者は支援対象として再配置される」
「そして、再犯、所在不明、または別の場所で使われる」
二階堂が頷く。
「大阪で、私は似た構造を作った」
「人間とデポルが同じ街で生きる」
「その理想を掲げた」
「だが、実際には、デポルの逃げ道と再配置の仕組みになってしまった」
「私は失敗した」
「いや、失敗と言うには、あまりにも多くの被害者を出した」
二階堂はそこで、少しだけ目を伏せた。
反省の演技。
やはり、場数が違う。
どの角度でどのように動けばいいか、理解している。
俺にはできていない。
二階堂は顔を上げる。
「山本誠は、その仕組みを国の側へ伸ばしていた」
「自ら取り仕切る法曹協会」
「繋がりをもたせやすい更生団体」
「そして行政」
「それらを繋いで、デポルを社会へ戻す」
二階堂は、静かに言った。
「これは更生ではない」
「デポルのリユースだ」
俺はカメラへ向き直った。
「皆さんに、もう一つ話があります」
部屋の空気が変わった。
みずきの手が止まる。
めぐみが、後ろで息を吸った気配がした。
俺は続ける。
「山本誠は、ただの法曹協会トップではありません」
「彼は、デポルです」
コメント欄が爆発した。
”は?”
”弁護士のトップが?”
”日本終わりやん”
俺は、反応を待たなかった。
「証拠の一部を出します」
みずきが映像を再生する。
暗い地下駐車場。
床に広がる血。
倒れたデポル。
壁際で震える播磨。
顔を強張らせた黒瀬。
そして、井口おさむの声。
『山本誠さん』
『あなたが加藤めぐみさんに何を話したか』
『デポルを使って、久世恒一を消そうとしたこと』
映像の中で、井口が一歩前へ出る。
『それから』
『あなた自身が、デポルであること』
そこで映像を止めた。
画面には、山本誠の顔が映っている。
否定しない顔。
驚きでも、怒りでもない。
ただ、そこまで来ていたか、と理解した顔。
俺はカメラを見る。
「これは三年前の映像です」
「この場で、山本に話しかけているのが、井口おさむ氏です」
「山本誠本人が、自分がデポルであることをその場で否定しなかった」
「そして、加藤めぐみを拉致、監禁、暴行し、私を消そうとしていた話も、この場で出ています」
「この映像は、全てではありません」
「ですが、山本誠があの場にいたこと」
「加藤めぐみの拉致に関わっていたこと」
「そして、彼自身がデポルである疑いが極めて濃いこと」
「その一部を示すには十分です」
俺は言った。
「この映像が録られた場所で、加藤めぐみが拉致されました」
俺は少しだけ息を吸う。
「加藤めぐみ」
「私の学生時代からの友人であり、現在は弁護士で、私が残した事業の取締役でもあります」
「このチャンネルでも、名前がよく出る人物です」
めぐみが、ゆっくり前へ出てきた。
コメント欄がさらに荒れる。
”めぐみさん出た、結婚してほしい”
”拉致監禁暴行って刑事事件じゃねぇか”
”学生時代からの友人?”
”にわかが、HPに書いてるやろ”
めぐみは、俺の隣ではなく、少し離れた位置に座った。
いつものように強い目ではなかった。
俯き気味で、両手を膝の上に置いている。
演技だ。
楽しんでいる。
気を遣っているのが馬鹿らしくなるくらいの豪胆さ。
三年前の記憶は、今でもめぐみの中にある。
俺はモニターへ合図する。
写真が映る。
だが、頬の腫れは分かる。
口元の傷も分かる。
服が乱れていることも分かる。
暴力のあとだ。
俺は言った。
「これは三年前、加藤めぐみが拉致された後の写真です」
「場所は、大阪市内の施設」
「その場に、山本誠がいました」
「デポルもいました」
「この件は、公にはしていませんでした」
「理由は、証拠が足りなかったからです」
めぐみが小さく息を吐いた。
「……あの日」
声は小さい。
だが、マイクは拾っている。
「私は連れて行かれました」
「事務所の近くで、男たちに囲まれて」
「車を乗り換えさせられて」
「知らない場所へ連れて行かれました」
めぐみは、ゆっくり言葉を選ぶ。
「そこで、私は暴行され、脅されました」
「久世恒一を呼び出すための餌だと……」
あの日を鮮明に思い出す。
封じ込めた怒りが、再来する。
画面の中では、表情を崩さない。
崩してはいけない。
ここで怒れば、山本ではなく俺の怒りが主役になる。
今日は違う。
山本を燃やす日だ。
めぐみは続けた。
「その場に、山本誠氏がいました」
「彼は、私や久世が籍を置く法曹の世界で、強い権限を持つ人物です」
「本来なら、法を守る側の人間です」
「でも、私を助ける側にはいませんでした」
「彼は、私を利用する側にいました」
しばらく沈黙。
コメント欄の速度が、さらに上がる。
めぐみ擁護のコメントに、一瞬笑いそうになるが、唇を噛んで抑えた。
一拍置いて、俺は口を開く。
「日本の法曹協会のトップが、デポルである」
「そのデポルが、加害者更生団体、裁判官、弁護士、行政を使って、デポルを社会へ戻している」
「その過程で、公金が使われている」
「裁判が歪められ、そして、被害者が黙らされている」
「都合の悪い者には警察の捜査が入る」
俺はカメラを見た。
「これが、今の国家です」
「これが、この国の法を司る者たちです」
「加害者を更生させると言いながら、被害者を黙らせる」
「公金を使い、法を使い、警察を使い、都合の悪い者を潰す」
「そして、その頂点にいる者が、デポルである」
二階堂が横で口を開いた。
「私は、久世市長の敵だった」
「今でも、味方だと言うつもりはない」
「だが、この件に関しては、同じものを見ている」
「山本誠を、このまま法の頂点に置いてはいけない」
俺はカメラへ戻った。
「皆さん」
「これを、許していいのですか」
「被害者の前で、加害者の未来を語る」
「再犯防止と言いながら、再犯する者を街へ戻す」
「公金を使い、法を曲げ、都合の悪い証拠を握り潰す」
「その仕組みに、あなたの税金が使われている」
「あなたの街が使われている」
「あなたの家族が巻き込まれるかもしれない」
「それでも、仕方がないと。関係がないと言えますか」
俺は、少しだけ声を落とした。
「少なくとも私は、言えません」
「だから、皆さんと共に戦うためにここまで来ました」
「永田修一」
「丸川修司」
「未来共生機構」
「法曹協会」
「そして、山本誠」
「これらを、全部表に出します」
「今日公開した資料と映像は、一部です」
「残りは、複数の場所へ渡します」
「どこか一つが潰されても、消えないようにします」
みずきが小さく頷く。
すでに走らせている。
報道機関。
海外サーバー。
黒瀬の手。
二階堂の手。
正義のためではない。
消されないためだ。
「最後に」
俺は言った。
「山本誠さん」
「見ているでしょう」
「あなたは、私を逃してやったと言いましたね」
「では、今度はこちらから伺います」
「あなたは、いつまで逃げるつもりですか」
部屋の空気が止まった。
めぐみが、ゆっくり俺を見る。
二階堂が、少しだけ笑った。
俺はカメラを見たまま続けた。
「法の中に隠れ」
「政府の影に隠れ」
「人間の顔をして」
「デポルを社会へ流し続ける」
「そんなことをしておいて、国民が許してくれるとお思いですか」
一拍置く。
「私は逃げません」
「大阪市長として、法曹協会常任理事として」
「そして、三年前に友人を拉致され、守りきれなかった一人の人間として」
これだけは、まごうことなき本音だ。
俺は軽く頭を下げた。
「本日の配信は、ここまでです」
「ご視聴ありがとうございました」
「この国の法が、誰のためにあるのか」
「皆さんも、どうか見ていてください」
配信が切れた。
画面の光が消える。
部屋に、沈黙が落ちる。
最初に息を吐いたのは、めぐみだった。
「えらいね。怒らなかったね」
「人を三歳児みたいに」
二階堂が椅子にもたれた。
「これで、山本は動く」
「動かざるを得ないでしょうね」
「君は本当に、火をつけるのが上手い」
「思ってるままを口にしただけですよ」
みずきが端末を見る。
「SNSも匿名掲示板もコメント欄も、もうめちゃくちゃだ」
「法曹協会トップがデポル」
「加藤めぐみ拉致」
「二階堂と久世」
「国家ぐるみ」
「加藤めぐみを守り隊」
おかしなものも入っている。
さて、ここまでしたんだ。
山本が黙って燃えるはずがない。
俺は椅子から立ち上がった。
身体が少し重い。
昨日の埠頭で受けた肩の痛みが、まだ残っている。
それでも、今日は立っていられる。
めぐみが俺を見た。
「あとは待ちだね。考えられる想定の準備をしておこう」
「そうだね」
俺は窓の外を見た。
大阪の夜が、画面の向こうで燃えている。
ネット。
テレビ。
新聞。
市役所。
法曹協会。
警察。
全部が、同じ火の中に入っていく。
山本誠。
ようやく、表へ出る時だ。
俺は拳を握った。
三年前、めぐみを攫った男。
法の奥に隠れ続けたデポル。
絶対に許さない。
誰がなんと言おうと。
あいつだけは、俺がこの手で終わらせる。




