第81話:捲土重来_騒擾編⑦
事務所に入った捜査は、夕方まで続いた。
令状。
差し押さえ。
照会。
警察官たちは、驚くほど丁寧だった。
パソコン。
外付け記録媒体。
書類。
動画配信に使った機材。
襲撃犯を拘束した時の映像。
それらが、ひとつずつ確認されていく。
ひとみは外部社という位置付けのため、弁護士として立ち会ってもらった。
みずきは何も言わず、必要なバックアップが既に外へ出ていることだけを俺に目で伝えた。
警察は、敵ではない。
少なくとも、現場の人間は。
だが、今ここで動いているものは、現場の意思ではなかった。
令状の向こう側に、山本がいる。
そう思うだけで、視界の色が一段暗くなる。
「市長」
捜査員の一人が、俺に頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました」
「終わりですか」
「本日は」
(本日は……か)
俺は頷いた。
「分かりました」
捜査員たちが事務所を出ていく。
扉が閉まると、部屋の中に変な静けさが残った。
荒らされたわけではない。
壊されたわけでもない。
それなのに、何かを踏み込まれた気がした。
机の上に残った跡。
空いた棚。
抜かれた資料の隙間。
それらが、山本の指紋のように見える。
「被害は?」
俺が聞くと、めぐみが答えた。
「持っていかれたものは想定内」
「問題は、向こうが何を作るか」
「証拠ではなく、疑惑を作られるということか」
「うん」
めぐみは頷く。
ひとみがソファに座り、足を組んだ。
「私の方にも来たで」
「倫理審査ですか」
「せや」
ひとみは笑っている。
「法曹協会副代表理事が、市長の私的制裁に加担した疑い、やと」
「笑えますね。ほぼ事実なので」
「笑うしかないやろ。山本の爪、思ったより長いわ」
みずきが画面を見ながら言う。
「報道も動いてる」
「久世市長に新疑惑」
「動画配信で拘束、脅迫か」
「関係先に家宅捜索」
黒瀬の仕込みではない。
これは、向こうの火だ。
俺たちが永田たちを燃やした。
山本は、その煙の中へ別の火種を投げ込んだ。
「二階堂の件は?」
めぐみが聞いた。
俺はスマートフォンを出す。
二階堂傑から届いた場所と時間。
大阪湾に近い埠頭。
夜。
罠です、と書いているような指定だった。
「行くよ」
俺が言うと、めぐみは眉をひそめた。
「一人で?」
「指定は一人だからね」
「盗聴するね」
「盗聴、監視が当たり前の日常だな」
いつもの流れで盗聴器を持たされる。
「山本に殴られた直後だからね。繋がりはあると見ておこう」
めぐみは正しい。
「了解」
「二階堂は何かを持ってる」
「でも、渡す理由がない」
「だから、条件を出してくると思う」
「それを聞くまでは、殺さないでね」
「……人を殺人鬼みたいに」
めぐみの目が見開く。
「えっ!?」
と、でも言いたそうな顔だ。
ひとみが笑う。
「信用ならんなあ」
俺は何も言わない。
・
・
・
夜中。
指定された埠頭は、人の気配が薄かった。
遠くで、クレーンの骨組みが黒く立っている。
海から湿った風が吹く。
鉄柵。
古い倉庫。
黄色い照明。
水面に揺れる光。
街の中心とは別の大阪だった。
荷物が通る場所。
捨てられたものが、見えなくなる場所。
俺は指定された地点まで歩いた。
足音が、コンクリートに響く。
スマートフォンは内ポケット。
通信は繋がっている。
位置情報も切っていない。
右手は空けている。
警棒や短剣は持ってきていない。
万が一、警察がいた場合に、言い逃れができないからだ。
到着と同時に、背後で靴音がした。
一人。
左のコンテナの陰から、もう一人。
右の倉庫脇から、二人。
海側に一人。
合計五人。
二階堂ではない。
全員、作業員のような格好をしていた。
上着。
手袋。
帽子。
顔は見えにくい。
だが、立ち方で分かる。
人を運ぶ者ではない。
人を壊す者だ。
「挨拶にしては物騒ですね」
正面の男が、首を鳴らした。
「久世市長」
「二階堂は?」
「さあ」
男の肌の奥に、黒いものが薄く滲む。
デポル。
一人だけではない。
全員だ。
「殺すなと言われてる」
男が言った。
「それは助かります」
「ただ、立てなくしてもいいらしい」
「どうぞご自由に」
男が踏み込んだ。
速い。
拳が来る。
俺は半歩ずらして避ける。
その瞬間、背後から衝撃が走った。
硬い何かが肩を打つ。
痛みが腕まで抜ける。
俺は前へ一歩出て、息を吐いた。
(情報を得るまでは殺さない)
めぐみの声が頭の中で鳴る。
面倒だが、武器もない。
正面の男の顎を、掌底で打ち抜く。
男の膝が崩れた。
左から来た男の胸骨へ、肘を入れる。
息が潰れ、男が倒れる。
右から来た女の手には、短い刃物。
俺は手首を取り、指を捻った。
刃物が床を滑る。
そのまま膝を腹へ入れる。
女が崩れた。
海側の男が背後へ回る。
俺は振り向かず、足を払った。
倒れたところへ、肩を踏む。
骨が軋む。
叫び声が上がる。
最後の男が、硬い棒を振り上げる。
俺は一歩踏み込み、拳を鳩尾に入れた。
男の背中がコンクリートを打った。
肺から空気が抜ける音がした。
五人。
全員、動けなくなった。
俺は肩を回す。
一発だけもらった。
痛みはある。
だが、それだけだ。
この程度のデポルでは、もう俺の敵にはならない。
いつでも殺せる。
足音がした。
今度は、ゆっくり。
倉庫の陰から、男が出てきた。
二階堂傑。
前大阪市長。
俺が引きずり下ろした男。
二階堂は、拍手をした。
乾いた音が、埠頭に響く。
「いや、見事だ」
「……」
「やはり、君がデポル狩りだね」
「……」
「そう警戒しなくていい。まだ誰にも漏らしてはいない」
俺は倒れている五人を見る。
二階堂は笑った。
「これは、市長から引きずり下ろされた仕返しでもある。そう考えると大したことではないだろう」
「そうですね」
「安心してくれ。こんな子供の仕返しのような真似は、もうしないさ」
二階堂は両手を軽く上げる。
「建設的に話し合おう」
「どの口で……」
「この口だ」
(ガキじゃねえか......)
俺は、二階堂を見る。
以前見た時より、顔つきが変わっていた。
追われた男の顔ではない。
負けた男の顔でもない。
隠れて、待って、盤面を見ていた男の顔だ。
「資料は活躍したようだ」
「ええ。おかげさまで」
二階堂は満足そうに続ける。
「だが、あれは入口だ」
「山本に繋がる証拠は?」
「君に渡した資料にはない」
二階堂は、海の方を見た。
「私が作った仕組みは、最初から山本たちの仕組みと相性が良かった」
「それで?」
俺は言った。
「山本に届く証拠を持っているんですか」
二階堂が笑う。
「持っている」
俺は目を細める。
「それは、どんな証拠ですか」
「山本誠と篠倉怜司が同一人物だという証拠、はない」
即答だった。
「山本は慎重だからな」
「顔すら出さない」
えらくもったいぶっている。
「では、何を持っているんですか? ハッタリですか?」
「山本が丸川や永田に指示を出した記録」
風が止まったような気がした。
「通信記録ですか」
「そうだ」
「どうやって」
「警察上層部に、多少顔が利く」
二階堂は、簡単に言った。
「私は大阪で、何年もかけて信頼を作ってきた」
「君が思うより、ずっと深くね」
「傍受した通信記録」
「中継番号」
「接触日時」
「指示内容」
「全部ではないが、十分な情報だ」
俺は二階堂を見た。
以前、二階堂を引きずり下ろした。
勝ったと思っていた。
共生都市を壊した。
二階堂は逃げた。
そう思っていた。
だが、違うのかもしれない。
あの時の二階堂は、油断していた。
大阪を自分の庭だと思い、俺をまだ小さく見ていた。
いや、認識すらしていなかったのかもしれない。
だから崩せた。
本気で潜った二階堂は、想像以上に深いところへ手を伸ばしている。
「警察の捜査も止められると?」
俺が聞くと、二階堂は口元を上げた。
「止められる」
「山本も警察に手を持っているでしょう」
「あるだろうが、私の方が根を張っているんだ。大阪ではね」
二階堂の声に、初めて熱が混じった。
「山本には、法曹協会と政府があるように。私には、大阪で作った線がある」
「警察も、行政も、地域も、団体も、企業も」
「君が表で燃やしたものの下に、まだ私の根が残っている」
よく言う。
大阪を腐らせた男が、信頼を語る。
だが、嘘ではないのだろう。
腐敗も、信頼の形をして根を張る。
「で、条件は?」
俺は聞いた。
二階堂は待っていたように笑った。
「来年の大阪市長選挙」
やはり。
「私を勝たせろ。君の人気を使えば楽勝だろ?」
「あなたを市長に戻せと」
「そう言っている」
「こんな口約束だけで、山本を一緒に倒すと?」
「口約束で十分だ」
二階堂は言った。
「君は約束を破る男ではない」
違う。
こいつは分かって言っている。
約束を守るメリット、デメリットがお前には分かるだろ。
そう言っている。
確かにその通りだ。
しかし、見誤っている。
俺云々の話ではない。
めぐみやひとみの判断は違う。
俺の何倍も上だ。
瞬間的に約束を守ったとしても、二階堂の思う約束を守るという定義には当てはまらないだろう。
俺は息を吐き、それらしく振る舞う。
「なぜそこまで市長にこだわる」
俺が聞くと、二階堂は海を見た。
「大阪は、私の街だ」
「私は、作ろうとした」
「人間も、デポルも、同じ街で生きる仕組みを」
この手の類の話は聞き飽きた。
「被害者を積み上げてか?」
「政治に犠牲はつきものだろう」
「その犠牲にされた側は、たまったものではないですね」
二階堂は俺を見る。
「だから君が必要だ」
「私を市長に戻す」
「君は国政へ行く」
「大阪は私が預かる。いや、返してもらう」
「そのかわりに、山本を倒す協力をしてやる」
なるほど。
筋は通っている。
「悪い取引ではないだろう」
最悪の取引だ。
だが、使える。
今の俺には、山本へ届く証拠がない。
二階堂にはある。
事務所には捜査が入った。
ひとみには倫理審査。
市役所には監査請求。
山本は、国の側から殴ってきた。
こちらも、毒を飲むしかない。
俺は一歩、二階堂へ近づいた。
倒れているデポルたちが、低く呻いている。
二階堂は逃げない。
「分かりました」
俺は言った。
「来年の大阪市長選挙」
「あなたを勝たせる方向で動きますよ」
二階堂の目が細くなる。
「方向で?」
「政治の世界は、何が起こるか分からない。俺よりあなたの方が詳しいのでは?」
二階堂は少しだけ笑った。
「いいだろう」
「今は、それで十分だ」
二階堂は懐から、小さな記録媒体を取り出した。
黒い。
指先ほどの大きさ。
それを俺へ投げる。
俺は受け取った。
「中身は?」
「一部だよ」
二階堂は笑った。
「君をまだ信用していない」
「お互い様ですね」
「残りは、約束が進んでから渡す」
「警察の捜査は?」
「すぐに終わるさ」
二階堂は、当然のように言った。
俺は、二階堂を改めて見る。
こいつは、前に倒した敵ではない。
倒せたと思っていた敵だ。
油断していたから倒れただけの男。
本気で潜った二階堂傑は、山本と同じくらい厄介な毒だった。
だが。
毒は、使い方を間違えなければ薬にもなる。
「では、″一時″共同戦線ですね」
俺が言うと、二階堂は楽しそうに笑った。
「そうだ」
「君と私で、山本を倒す」
「気分は最悪です」
「私はそうでもないがね」
二階堂は背を向けた。
「次は、表で会おう。データを見てやり方は君が決めてくれ。頭の切れるブレインがいるんだろ」
それだけ言って、二階堂は倉庫の陰へ消えた。
残されたのは、動けなくなった五人のデポル。
潮の匂い。
肩の痛み。
手の中の記録媒体。
俺は空を見上げた。
大阪の夜は、いつもより重く見えた。
山本を倒すために、二階堂と手を組む。
共生都市の亡霊。
俺は記録媒体を握りしめた。
使えるものは、全部使う。
たとえそれが、かつて大阪を腐らせた毒だとしても。




