第80話:ひと太刀_騒擾編⑥
翌朝。
新聞の一面に、未来共生機構の名前が載った。
″加害者更生団体に公金不正疑惑″
″永田修一氏、丸川修司裁判官、関与を調査へ″
″北園明彦代表、会見予定なし。コメントの差し控え″
朝のニュース番組も、同じ話題で埋まっていた。
昨日の市民監査。
生放送中に出した資料。
北園の沈黙。
丸川の名前。
永田の電話。
それらは、切り取られ、並べられ、何度も流された。
街頭インタビューでは、会社員らしき男が言っていた。
「我々の税金を使ってるなら説明せなあかんと思いますね」
別の女が言っていた。
「再犯防止って言って再犯してるなら、何のための団体なんですか」
年配の男は、少し険しい顔で言っていた。
「裁判官の名前まで出てるのは大きいですよ。事実なら日本の司法は終わりやね」
事実なら。
その言葉は便利だ。
だが、今は十分だった。
疑いが、消えなくなった。
午前十時過ぎ。
永田修一、北園明彦、丸川修司の三人について、関係資料が捜査機関へ提出されたと報道が出た。
その後、夕方には書類送検の方針という見出しが走った。
まだ逮捕ではない。
有罪でもない。
だが、表の世界では十分だ。
永田は、加害者更生を語る立場を失った。
北園は、正義の看板を失った。
丸川は、裁判官としての信頼に穴を開けられた。
表向きには、こちらの勝ちだった。
俺はビルの屋上にいた。
風が強い。
眼下には、大阪の街が広がっている。
車の流れ。
人の群れ。
何も知らない顔で動く街。
「多少は近づいたかな。俺の最大目標まで」
俺は呟いた。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
非通知の電話。
このタイミング。
出ない理由はない。
通話を押す。
「はい」
しばらく、風の音だけが聞こえた。
それから、男の声がした。
『三年ぶりかな』
その声を聞いた瞬間、体の奥が冷えた。
山本誠。
法曹協会のトップ。
篠倉怜司。
総理大臣の右腕。
そして、デポル。
「お久しぶりです」
俺は言った。
『変わらないね、久世君』
「あなたも」
『そうかな』
山本は、静かに笑った。
冷静沈着。
これほど似合う言葉はないだろう。
『どうやら、あの場から生き残れたのは自分の力だと勘違いしているようだね』
「あの場?」
『三年前だ』
めぐみが拉致された場所。
地下駐車場。
黒瀬。
播磨。
山本。
俺はスマートフォンを握る手に力を込めた。
「あの時、あなたは逃げた」
『違う』
山本の声は揺れなかった。
『君を逃してやった』
俺は黙る。
『君は勝利して生き残ったと思っている』
『あれは、私が逃してやったんだ』
「ずいぶん都合のいい記憶ですね」
『都合ではない。選択だ』
山本は淡々と言った。
『あの時の君は、まだ取るに足りなかった』
『暴力を持った弁護士』
『大阪で少し名を上げた市長』
『その程度だった』
俺は返事をしなかった。
相手にされていなかった。
そう言われた方が、まだ腹が立つ。
『君が法曹協会の中で、少し動く程度なら放置しておいてもよかった』
『水谷ひとみを連れて、内部を嗅ぎ回る程度ならね』
『だが』
声が、ほんの少しだけ低くなった。
『おいたが過ぎた』
「永田、北園、丸川」
『こちらにも、多少の傷は残るだろう』
山本は認めた。
『その点は、評価している』
「評価?」
『君は、思ったより上手く燃やした』
『世論を使い、公金を使い、被害者という顔を使った』
『そして、法の信用に傷を入れた』
「傷が入るようなことをしていたからでしょう」
『そうかもしれないね』
山本は否定しない。
その軽さが、かえって腹立たしい。
『だが、君は勘違いしている』
「何をですか」
『壊すことと、守ることは違う』
俺は眉をひそめた。
『個人や団体を壊すことは、君程度にもできるのかもしれない』
『では、そのあと君は何をする』
「あなたに答える必要がありますか」
『今はない』
山本は静かに言った。
『その話は、次に会った時にしよう』
『君が壊した後に、何を残すつもりなのか』
『聞かせてもらう』
「次があると思っているんですか」
『ある』
山本は即答した。
『君を潰す方法は、君を殺すことだけではない』
『壊す場所はいくらでもある』
「脅しのつもりか?」
『また話そう』
「待て!」
通話が切れた。
画面には、非通知の文字だけが残っていた。
俺は、しばらくスマートフォンを見ていた。
胸の中に、怒りがある。
殺意もある。
だが、それだけではなかった。
君はどうするのだ。
その問いが、耳の奥に残っている。
山本の正義など、知ったことではない。
国。
法。
秩序。
どれも、俺の中心にはない。
俺の中心にあるのは、奪われた記憶だ。
殺された夜。
冴子さん。
泣いていた被害者。
壊された人間たち。
俺の中にあるのはそれだけだ。
気がつけば握り拳を固めていた。
それに気づいたと同時に、スマートフォンが震える。
今度は、めぐみだ。
俺はすぐに出る。
「はい」
『恒一、今どこ?』
声が硬い。
「屋上」
『すぐ降りてきて』
「何かあった?」
短い沈黙。
『事務所に、警察の捜査が入った』
風の音が消えた気がした。
『令状を持ってきてる』
『動画配信での拘束、脅迫、暴行の疑い』
『それと、事務所の資金移動についても見てる』
「資金移動?」
『会社口座と政治団体の口座も照会されてる』
『市役所にも、権限濫用の監査請求が出た』
『ひとみさんのところにも、法曹協会の倫理審査通知が来てる』
俺は目を閉じた。
山本の声が蘇る。
壊す場所はいくらでもある。
『恒一』
「分かった」
俺はフェンスから離れた。
「すぐ降りるよ」
『……山本?』
俺は答えなかった。
その沈黙だけで、めぐみには伝わったのだろう。
『早く降りてきてね』
通話が切れる。
俺は屋上の扉へ向かった。
さっきまで、こちらが燃やしていると思っていた。
永田。
丸川。
北園。
未来共生機構。
全部、こちらが火をつけたと思っていた。
だが違った。
足元から、煙が上がっている。
階段へ続く扉を開ける。
冷たい空気が、建物の中から流れてきた。
山本誠は、ようやく俺を敵として見た。
そして、国の側から殴ってきた。




