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第7話:ひとみの思惑

ーーひとみフェーズ


「お帰りなさい」


事務所には、冴子が一人で待っていた。


テーブルの上には、空になったアイスの容器が三つ並んでいる。


ハーゲンダッツ。


しかも、全部違う味。


「……本当に食べたんだ」


思わず呟く。


アイスを食べて待っていればいい、とは言った。


言ったが、三個食べるとは思わなかった。


まあ、いい。


泣いているよりは、ずっとましだ。


冴子は不安そうにこちらを見る。


「慶太さんは……?」


「単刀直入に言うで」


私は、いつもの調子を少しだけ落とした。


「慶太は怪我してる。命に別状はないと思うけど、今から病院行こか」


冴子の顔から、血の気が引いていく。


「そんな……」


「大丈夫や。今は病院行くのが先や」


私はすぐにタクシーを手配した。


ちょうど戻ってきた事務員の牧かなに、簡単な事情を伝える。


かなは一瞬だけ私を見た。


言葉にはしない。


だが、その目は聞いていた。


また何か隠しているのか、と。


「かな、冴子ちゃんを病院まで連れてったって」


「……分かった」


「頼むわ」


かなは、冴子に優しく声をかける。


私には滅多に向けないような、柔らかい声だった。


少しだけ胸が痛む。


でも、今はそれどころではない。


冴子を連れて、かなが事務所を出ていく。


扉が閉まる。


完全に足音が遠ざかったのを確認してから、私は裏口に声をかけた。


「入ってええで」


裏口で待機していた久世が、のそりと入ってきた。


血塗れだった。


顔。


髪。


服。


手。


よく見ると、かなりやられている。


立っているのが不思議なくらいだ。


「事務所、空にしていただき助かりました」


久世は、いつもの調子で言う。


「こんな血塗れでは、冴子さんがひっくり返ってしまうのではと……」


「まあ、せやな」


私は救急箱を取り出した。


この男は、痛みに鈍いのか。


それとも、痛がる余裕がないだけなのか。


傷口を確認する。


浅いものもある。


深いものもある。


打撲も多い。


頭も切れている。


「座り」


「はい」


素直に座る。


そこだけは可愛げがある。


消毒液を染み込ませたガーゼを当てると、久世の肩がわずかに動いた。


「痛いんか」


「痛くないと言えば嘘になりますね」


「ほな痛い言えや」


応急処置をしながら、私は口を開いた。


「お前か」


久世は黙っている。


「デポル狩り」


「……デポル狩りって何ですか?」


しらばっくれる気か。


この期に及んで。


「昨日、難波の路地裏で、身元不明の男が五人死んでた」


ガーゼを替える。


「撲殺と刺殺。ニュースにはなってへんけど、私の耳には入ってくる」


久世は、何も言わない。


ただ、こちらを見る。


だったらどうした。


そういう目だった。


「お前やろ」


沈黙。


否定しない。


なら、それが答えだ。


「一人でデポル皆殺しにしていく気か」


私は包帯を取り出しながら続ける。


「草の根運動みたいに。何年あっても足らへんで」


「でしょうね」


「でしょうね、やないねん」


この男は、自分が死ぬ可能性を、予定表の端にでも書いているみたいに扱う。


「まだデポルに関する法律は整ってへん。けど、もし法ができたら、お前は刑務所行きやで」


「かもしれませんね」


「他人事か」


久世は困った顔をしなかった。


本当に腹立たしい。


「何か考えはありそうに見える。でも、話す気はない。そんなところか」


「……」


黙る。


だんまりか。


つまらない男だ。


いや。


つまらないのではない。


危ないのだ。


この男は、法律を知っている。


暴力を使える。


しかも、自分の命を勘定に入れていない。


放っておけば、遠からず死ぬ。


それも、誰にも助けを求めずに。


私は包帯を巻きながら、胸の奥で呼びかけた。


(メル、起きてる?)


すぐに、軽い声が返ってくる。


『もちろん』


頭の中に響く声。


女神メル。


初めて聞いた時は、私もついに頭がおかしくなったかと思った。


だが、そうではない。


少なくとも、この声は現実に干渉している。


私の人生に。


そして、目の前の男にも。


(久世のこと、どう思う? 悪者?)


『そんなことないと思うよ』


軽い。


相変わらず、この女神の声は軽い。


けれど、嘘を言っている感じでもなかった。


あの日。





『路地裏に行ったら、男三人に絡まれる。そこから十秒耐えてみて』


そんな無茶苦茶な指示に従った結果、私は久世と出会った。


あの時、久世が来なければ、私はどうなっていたのか。


答えを知っているのは、メルだけだった。


『そもそも前世では、さっきの場所でひとみは死んでたんだよ』


(……は?)


手が止まる。


『あと、慶太って人も』


(ちょっと待って。今、何て言った?)


『あ、ごめん。キャッチ入っちゃった』


(キャッチ?)


『アステリア様が呼んでる。すぐ行かないとうるさいんだ。じゃあねー』


(待って。説明して)


ぷつりと、気配が消える。


私は、しばらく黙った。


人の脳みそを、辺境の貸別荘みたいに使っている。


言いたいことだけ言って、消える。


本当に腹立たしい女神だ。


だが、言葉は残った。


前世では、私は死んでいた。


慶太も死んでいた。


そして、今回は助かった。


目の前の男を見る。


久世恒一。


血塗れで。


無表情で。


それでも、生きている。


この男がいたから、今日の結果は変わった。


「久世」


「はい」


「私と、手ぇ組め」


久世の目が、少しだけ細くなる。


「理由を聞いても?」


「デポルを消したいんやろ。この世から」


「そうだとして、消す方法があるんですか?」


「ある」


私は即答した。


「今は言われへんけどな」


「それでは判断材料が少なすぎますね」


「せやな」


私は笑った。


「でも、お前も一人でやるには限界がある。さっきも見たやろ。六匹相手にして、普通に死にかけとる」


「死んではいません」


「屁理屈言うな」


包帯をきつめに結ぶ。


久世が少しだけ眉を動かした。


「お前のやりたいことが、全てのデポル抹殺なら、私と組んで損はない」


「……」


「組むなら、今日のことは黙っといてやる。これからのこともや」


沈黙。


久世は考えている。


この男は、感情で動いているようで、肝心なところでは冷静だ。


私を信用しているわけではない。


利用できるかどうか。


損か得か。


危険か、必要か。


その全部を、頭の中で並べている。


やがて、久世は口を開いた。


「分かりました。いいでしょう」


成立。


この場で、私たちは共闘関係になった。


雇用でもある。


取引先でもある。


だが、それ以上に歪んだ繋がり。


利害一致の同盟。


私は、にっと笑った。


「頼りにしてんで」


それは嘘ではない。


久世の力は必要だ。


デポルを潰すためにも。


この世界の形を変えるためにも。


そして、私が守らなければならないもののためにも。


ただし。


全部が終わるその時、この男が命の恩人であろうと関係ない。


私には、守るべきものの優先順位がある。


その一番上にいるのは、久世ではない。


胸の奥に沈めた本音は、口には出さなかった。


メルの言葉が、脳裏をかすめる。


あの提案。


あれが現実になるなら。


この国ごと、変えられる。


いや。


変えなければならない。


まだ早い。


まだ、何も足りない。


手札も。


金も。


人も。


法律も。


そして、この男も。


久世を見る。


まっすぐで、壊れかけていて、それでも折れていない目。


私と同じ種類の人間。


だからこそ、分かる。


この男は、使える。


使えるうちは、使わせてもらう。


私は、救急箱を閉じた。


「ほな、これから忙しなるで」


久世は、静かに頷いた。


血の匂いが残る事務所で。


私たちは、ようやく同じ盤上に立った。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
― 新着の感想 ―
久世登場!仲間が増えましたね。 どんな感じでデポルを根絶やしにするのか。 まだデポル対策の法律が制定されてないなら、デポルが出てきて間もない段階ですかね?
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