第77話:ゲスト_騒擾編③
画面が明るくなる。
白い壁。
簡素な机。
置かれたマイク。
背後には、大阪市の地図。
その前に、俺は座っていた。
頬に絆創膏。
口の端に薄い傷。
シャツの袖は少し乱れている。
照明が強い。
カメラの向こうには、みずきがいる。
そのさらに後ろで、めぐみが腕を組んで立っている。
俺はカメラへ向かって笑った。
「大阪市長チャンネルをご覧の皆さん」
「いつも楽しみにご覧いただき、ありがとうございます」
「現役大阪市長の久世恒一です」
「本日もよろしくお願いします」
画面の端に、コメントが流れている。
配信開始から、まだ一分も経っていない。
それでも数は多い。
昨日の会見。
今日のローカル番組。
そして、さっき難波で起きた騒ぎ。
話題になる条件は、十分すぎるほど揃っていた。
俺は、手元の端末を見る。
「まずは、コメントを少し読ませていただきます」
みずきが、画面外で小さく頷いた。
表示されるコメントは、みずきが拾っている。
そのまま垂れ流しているわけではない。
見せるべきものだけを、見せている。
「ええと」
俺は画面を見る。
「加藤めぐみを出せ」
「はい。多いですね」
コメント欄がさらに流れる。
「加藤さんの方が見たい」
「市長より加藤さんを映して」
「加藤めぐみさんはどこですか」
「市長、加藤さんと結婚してください」
俺は少し笑った。
「本人が見たら、たぶん眉間に皺を寄せますね」
画面外から、みずきの声が飛んだ。
「もう寄ってる」
「だそうです」
コメントが一気に増える。
笑いの反応。
めぐみを出せという反応。
俺はそれを適当に流す。
「彼女は忙しいので、今日は出ません」
「市政も会社も、いろいろありますから」
「それから」
俺は次のコメントを見る。
「市長、顔どうした?」
「怪我してて草」
「誰に殴られた?」
「会見のあとに何かあった?」
いい。
そろそろだ。
俺は笑顔のまま、頬の絆創膏に軽く触れた。
少し痛む。
めぐみの指示通りだった。
この動画開始の一時間前。
さっきの難波。
俺は、最初の一撃を避けなかった。
肩に受けた。
二撃目も、半分だけ受けた。
頬をかすめさせた。
通行人のスマートフォン。
ビルの防犯カメラ。
道路沿いの監視カメラ。
みずきが使える映像を拾える位置。
そこまで待った。
めぐみの指示は簡単だった。
『ある程度、被害者になってから倒して』
そうすれば、映像は使える。
先に手を出したのは相手。
市長が襲われた。
市長が怪我をした。
そのうえで、襲撃者を制圧した。
順番が大事。
順番が、世論を作る。
めぐみがそう言った。
そして、めぐみはたいてい正しい。
「怪我については、あとで触れます」
俺はカメラに向かって言った。
「今日は、それも含めて大事な話があります」
コメントの流れが少し変わる。
今度は、先日の会見や生放送についてのものが目立つようになった。
それも、みずきが拾っている。
「前の会見の永田さんとの対決、あれどうなんですか」
「証拠もないのに、ああいう言い方はよくない」
「記者を攻撃する市長は怖い」
「永田さんの過去の事件って本当?」
「証拠あるなら出せ」
「丸川裁判官て誰」
俺は、そのいくつかを笑顔で読み上げた。
「はい」
「いろいろなご意見があると思います。ごもっともですね」
コメント欄がざわつく。
久世が認めた。
日和ったか。
逃げた。
そんな文字が流れる。
俺は笑った。
「ですので」
一拍置く。
「今日は、関係者の方々にゲスト出演していただくことにしました」
画面外で、何かが動く音がした。
椅子を引きずる音。
低いうめき声。
誰かが息を荒くしている音。
コメントが一気に跳ねた。
「え?」
「関係者?」
「誰?」
「永田?」
「丸川?」
「加藤さん?」
俺はカメラへ向かって笑う。
「永田さんや丸川さんではありません」
「本日のゲストは」
「つい先ほど、事務所前で私を襲ってくださったデポルの皆様です」
画面が切り替わる。
机の横。
五人の男女が椅子に座らされていた。
全員、手首を前で固定されている。
足元も動かせないようにされている。
顔には傷。
服には汚れ。
一人は鼻から血を流している。
肌の奥に、黒いものが滲んでいる。
人間のふりをしていた皮が、剥がれかけている。
五人は、思ったより静かだった。
さっきまで人混みの中で暴れていた連中とは思えないほどに。
理由は単純だ。
配信が始まる前に、抵抗する気だけは折ってある。
机の下。
俺の足元には、黒い警棒が置かれていた。
先端には、乾きかけた赤黒い跡が少しだけ残っている。
俺は、もう一度カメラへ向き直った。
「サムネイルにも書きましたが」
「なんと」
「先日の記者会見や昨日のテレビ出演。これまでやってきた政策が気に食わなかったデポルの皆様に襲われました」
コメント欄が崩壊した。
「は?」
「何言ってる?」
「マジ?」
「後ろの人たち何?」
「生配信でやることか?」
「市長、怪我してるやん」
「警察呼べ」
「怖すぎる」
俺は手元の紙をめくった。
「警察にはすでに通報済みです」
「現場で身柄を確保し、引き渡しまでの間、逃走と再加害を防ぐために必要な範囲で拘束しています」
五人のデポルは俯いたまま動かない。
俺は笑顔のまま言った。
「市長を襲撃した方々に、なぜ襲ったのかを聞く」
「市民の皆様にとって、大事な情報です」
俺は、みずきの方をちらりと見た。
みずきは無表情で、端末を操作している。
すぐに画面が切り替わった。
防犯カメラの映像。
難波の人混み。
ビルから出てくる俺。
一人目の男が進路を変える。
二人目。
三人目。
四人目。
五人目。
スーツの男が、いきなり俺へ向かって走る。
肩にぶつかる。
別の男が腕を伸ばす。
女が横から回り込む。
映像は短い。
だが、十分だった。
次に、通行人が撮ったらしい縦長の動画。
俺の頬に何かがかすめる。
口元に血が滲む。
周囲が悲鳴を上げる。
そこで映像は止まる。
俺はカメラへ向き直った。
「これが、襲撃の一部です」
コメントがさらに流れる。
「ガチやんwww」
「本当に襲われてる」
「市長大丈夫か」
「これ永田の件と関係ある?」
「デポル?」
「肌の色でわかるだろ」
俺は頷いた。
「皆さんの疑問は、なぜ私が襲われたのか、ではないでしょうか」
五人の顔を見る。
全員、黙っている。
俺は椅子を少し動かし、最初の男の前へ座った。
スーツ姿の男。
年齢は三十代半ば。
目つきが荒い。
だが、さっき下で向かってきた時より、勢いは消えている。
その後、ここへ連れてきてから、もう一度折った。
俺は白々しく、マイクを向ける。
「お名前は」
「答えたくない」
「そうですか」
俺は笑顔を崩さない。
「誰に言われて、私を襲ってきたんですか」
男は黙る。
「偶然ではないですよね」
「……」
「五人で、時間を合わせて、私の事務所前へ来たのですから」
「……」
「私が出てくるのを待っていたんですよね」
「……」
「そして、襲った」
俺は一つずつ確認する。
男の目が泳ぐ。
「目的は、殺害ですか」
「違う」
ようやく男が答えた。
「では、何ですか」
男は口を閉じる。
隣に座らされた女が、小さく舌打ちした。
「黙ってて」
俺はそちらを見る。
「あなたにも聞きます」
女は顔を背けた。
「誰に言われましたか」
「知らない」
「知らない人から頼まれて、五人で市長を襲ったんですか」
「……」
「面白い話ですね」
コメント欄が騒がしい。
「尋問始まったww」
「これ生放送はやばすぎ」
「でも見たいんだろ?」
「永田?」
「永田なの?」
「丸川も関係ある?」
俺は、コメントを一つ読む。
「永田さんに頼まれたのですか、というコメントが来ています」
五人の空気が変わった。
一瞬。
だが、十分だった。
俺は笑顔のまま頷いた。
「いくらで頼まれたんですか」
男は答えない。
俺は笑った。
「二十万ですか」
男の目が見開く。
隣の男が騒ぎ出す。
「お前、二十万って漏らしたのか!?」
コメント欄が爆発する。
「二十万?」
「二十万円で市長襲撃www」
「当たり?」
「永田?」
「返り討ちにした市長強すぎワロタ」
女が小さく呟いた。
「ばか、喋るな」
その声を、マイクは拾っていた。
みずきが無言で親指を立てる。
俺は心の中で笑った。
拾えた。
今のは大きい。
「喋るな、ですか」
俺は女を見る。
「何を言わないようにしているんですか」
女は黙る。
スーツの男が、低く唸った。
「永田だ」
部屋の空気が止まった。
コメント欄も、一瞬だけ文字の密度が変わる。
そして、次の瞬間、爆発した。
「言った」
「永田?」
「マジか」
「やばい」
「切り抜け」
「録画しろ」
笑顔のまま、確認する。
「永田修一さんですか」
男は、諦めたように息を吐いた。
「そうだ」
「永田修一さんから、何を頼まれましたか」
「久世市長を」
男は、俺を見た。
「死なない程度にボコボコにしろと」
俺は頷く。
「死なない程度に、そう言われたのですね」
「……ああ」
男は少し黙った。
「ではまとめますと、あなたはジャーナリストの永田さんに依頼された」
「……」
「前金で二十万円をもらっている」
「……」
「そして、五人で私を襲撃した」
確認しながら全員の顔を見る。
「そうだ。それで間違いない。履歴も残っている」
「ほう」
俺は頷いた。
「では、その履歴の番号が本当に永田さんか、かけてみましょう」
「生放送なので、私の引きの強さが試されますねえ」
男の顔が青ざめた。
女が唇を噛む。
他の三人も、初めて明確に動揺した。
番号が表示される。
呼び出し音が鳴り響く。
時が止まったような静かな空間。
反対に、生放送中の動画はコメントで埋め尽くされている。
二度目のコールで繋がった。
こちらより先に、電話口から怒声が飛んできた。
『まだ間に合うなら引け! 久世を殺すな!』
本当に間抜けだ。
画面外のめぐみも呆れている。
ここまで上手くいくとは。
俺は落ち着いた声で話す。
「永田さん」
「殺す、ではなく、死なない程度に暴行しろ、ではなかったのですか?」
コメントは荒れている。
数秒か。
数十秒か。
返答がない。
ようやく返ってきた言葉。
『お前……久世なのか』
「そうですよ。一昨日会ったばかりじゃないですか」
『デポルをどこへやった? 殺したのか?』
「物騒な。あなたじゃあるまいし」
めぐみとみずきが怪訝な顔をしている。
お前が言うな。
そう顔に書いてある。
「永田さん」
「そんなことより動画サイトを見てくださいよ」
電話口が沈黙する。
俺は満面の笑みで手を振る。
「永田さーん」
「見てくれてますか?」
同時にコメント欄も連動する。
「永田!見てるか」
「殺人教唆」
「殺人未遂」
「怪しいと思ってた」
「デポルを使って人殺し」
コメントが流れ続ける。
速すぎて読めない。
みずきが画面外で忙しく手を動かしている。
切り抜き用。
外部バックアップ。
報道各社への送信用。
全部、同時に走っているはずだ。
俺は、頬の傷に触れた。
痛みがある。
だが、悪くない。
被害者になるというのは、こういうことだ。
痛い。
不快だ。
そして、利用できる。
俺は言った。
「永田さんにも反論の機会はあるでしょう」
「丸川裁判官との関係も」
「法曹協会との関係も」
「加害者更生団体との関係も」
「そして、こちらにいる皆さんとの関係も」
デポルたちは反論しない。
できるわけがない。
「これから確認がてら、コラボ動画でも撮りますか?」
俺は笑った。
「とまあ、冗談はさておき」
「市民の皆さんも、一緒に見ていてください」
「誰が、法を売っているのか」
「誰が、デポルを社会へ野放しにするのか」
五人のデポルは、何も言わなかった。
「警察には、この配信終了後、映像とともに連絡します」
「この方々も引き渡します」
「ですが、その前に」
俺はカメラを見る。
「市民の皆様に、まず見ていただきたかった」
「加害者更生」
「共生」
「社会復帰」
「綺麗な言葉の裏側で、実際に何が動くのか」
「それを今日、少しだけお見せしました」
俺は軽く頭を下げた。
「本日の大阪市長チャンネルは、ここまでです」
「ご視聴ありがとうございました」
「ゲスト出演してくださったデポルの皆様と、特別飛び入りゲストとして出演してくださった永田さんにも盛大な拍手を」
俺のわざとらしい拍手が部屋に響く。
おそらく動画では、ポップな拍手音が流れているのだろう。
「それでは」
「またお会いしましょう」
画面が暗くなる。
配信が切れる。
部屋に、沈黙が落ちた。
さっきまで流れていたコメントの濁流が消えたせいで、急に静かになったように感じる。
みずきが椅子にもたれた。
めぐみとなにやら話している。
表情を見るに、全て上手くいったのだろう。
俺は椅子に背を預けた。
被害者。
自分がその言葉の側へ立つことになるとは思わなかった。
いや。
二度目の人生は、最初からその側だったのかもしれない。
殺された俺。
奪われた冴子さん。
壊された人間たち。
今さらだった。
目の前では、五人のデポルが黙っている。
さっきまで画面の中で晒されていた者たち。
永田に使われた者たち。
加害者更生を語る男が、加害者を道具として使った証拠。
永田。
丸川。
法曹協会。
山本。
今度は逃がさない。
俺は、五人のデポルを見た。
「さて」
「配信は終わりました」
五人のうち、スーツの男が顔を強張らせる。
「まだ聞きたいことがあります」
俺は笑った。
「カメラが回っていない方が、話しやすいこともあるでしょう」
部屋の空気が、静かに沈んだ。
めぐみが、何も言わずに俺の横へ立つ。
みずきは、録音機材を止めない。
表に出す映像は終わった。
だが、本番はまだ終わっていない。
俺は机の下に手を伸ばす。
黒い警棒を拾い上げた。
先端に残った血は、まだ乾ききっていない。
五人のデポルの顔色が変わる。
俺は笑った。
「では、続きです」
「永田修一と丸川修司」
「そして、その奥にいる人間について」
「知っていることを、全部話してください」
スーツの男が、喉を鳴らした。
「大丈夫ですよ」
「今度は、生配信ではありません」
俺は警棒を、机の上で軽く転がした。
乾いた音が、部屋に落ちる。
「時間は、たっぷりありますから」




