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第68話:餌_支配者の椅子編①

ーー大阪・久世事務所前


昼間の大阪。


人通りはある。


けれど、誰もこちらを見ていない。


見ていないのではない。


見る理由がないように、男たちが立っている。


全員、スーツ姿だった。


黒に近い紺。


白いシャツ。


派手ではないネクタイ。


営業マンにも、警備会社の社員にも、役所関係の人間にも見える。


けれど、違う。


立ち方が違う。


肩の角度。


足の置き方。


視線の逃がし方。


私を囲んでいるのに、周囲へ圧を出していない。


通行人から見れば、ただの仕事中の男たちに見えるだろう。


でも、私は分かる。


こいつらはーー手慣れている。


「加藤ベアトリクスめぐみ様ですね」


声は丁寧だった。


恫喝ではない。


お願いでもない。


もう決まっていることを、形だけ確認している声だった。


そしてご丁寧にミドルネームまで添えて。


「そうだけど」


私は笑った。


笑いながら、四人を見る。


逃げ道を潰す位置取り。


なるほど。


よく考えている。


「どちら様?」


「少し、お話を伺いたい方がいらっしゃいます」


「誰?」


男は答えなかった。


その沈黙で、だいたい足りる。


私は鞄の持ち手を握り直した。


スマートフォンは中にある。


位置情報は切っていない。


みずきなら拾える。


恒一も気づく。


ただし、今ここで抵抗するのは違う。


私が叫べば、人が集まる。


男たちが強引に動けば、騒ぎになる。


久世恒一の事務所の人間が、スーツの男たちと揉めた。


それだけで十分だ。


″若き大阪市長の関係者に不審なトラブル″


″加藤ベアトリクスめぐみとは何者か″


″久世事務所で何があったのか″


黒瀬なら、一晩で番組にできる。


黒瀬でなくても、誰かが燃やす。


それは面倒だ。


それに。


この男たちが誰の使いか。


その奥にいるのが誰か。


私は、それを知りたい。


恒一の生放送での暴露から時間が経っていない。


確実に黒幕に迫れる。


「拒否したら?」


私が聞くと、正面の男は軽く頭を下げた。


「ご迷惑はおかけしたくありません」


「私に?」


「皆様に」


「それは、あなたたちが損をすると思うけど」


皆様。


久世事務所の連中。


恒一。


丁寧な言葉の中に、暴力が畳まれている。


折り目の綺麗な脅迫。


私は少しだけ視線を下げる。


ビルのガラスに反射して見える。


事務所入口の防犯カメラ。


この角度なら映っている。


だが、左の男も分かっている。


ぎりぎり顔が映りにくい位置にいる。


「ご同行いただけますか?」


「いいよ。行ってあげる」


左の男が、事務所入口から半歩だけ離れた。


後ろの男が、通行人との距離を作る。


道が開く。


私はその道を歩いた。


相手の用意した場所へ。


相手の奥へ。


自分から餌になった魚が、針を飲み込むとは限らない。


飲み込んだふりをして、糸を辿ることもある。


車は、路地の奥に停まっていた。


黒いワンボックス。


ナンバーは見た。


後部座席のドアが開く。


「どうぞ」


「丁寧だね」


「そのように指示されています」


「誰に?」


男は答えない。


私が車に乗る。


左右を男に挟まれる。


前にも一人。


運転席に一人。


ドアが閉まった。


外の音が薄くなる。


大阪の昼が、ガラス一枚向こうへ遠ざかる。



やがて、古い建物の地下駐車場へ入る。


外からは、何の施設か分からない。


雑居ビルにも見える。


倉庫にも見える。


使われなくなった研修施設にも見える。


車が停まる。


男たちが降りる。


「こちらです」


私は黙ってついていった。


エレベーターではなく、非常階段。


窓はない。


足音だけが響く。


一階。


二階。


三階。


扉を開けると、廊下があった。


白い壁。


安い蛍光灯。


掃除はされている。


けれど、人が生活している匂いはない。


使われていない場所を、無理やり使えるようにした空気。


通されたのは、奥の部屋だった。


机が一つ。


椅子が二つ。


壁際に監視カメラ。


窓には内側から板が打たれている。


私は部屋に入った瞬間、頭の中で配置を数えた。


入口。


カメラ。


机。


椅子。


男四人。


「お座りください」


正面の男が言う。


「誰に会わせるつもり?」


「お答えできません」


「黒瀬?」


沈黙。


「井口?」


沈黙。


「法曹協会?」


一瞬。


本当に一瞬だけ、正面の男の目が動いた。


拾った。


今のは拾えた。


「そっか」


空気が変わった。


右の男が一歩出る。


私はその瞬間、机の上の金属トレーを掴んで男に投げつけた。


甲高い音が部屋に響く。


「これ以上は、こちらも対応せざるを得ません」


「対応って、暴力?」


左の男が私の腕を掴んだ。


強い。


骨が軋む。


身体をいなし、腕を取って一人の姿勢を崩した。


さらに煽る。


「私、合気道やってるから強いんだ」


私は男の手首に爪を立てた。


傷は浅い。


でも、挑発にはなる。


「スーツ着て、丁寧語使って、人さらい」


男の指に力がこもる。


肌の奥に、黒いものが滲んだ。


やっぱり。


こいつらはデポルだ。


「人間のふり、上手だね」


次の瞬間、頬に衝撃が走った。


視界が白く弾ける。


膝をついた。


口の中に、鉄の味が広がる。


殴られた。


思ったより痛い。


けれど、十分だ。


頬が熱い。


多分、腫れる。


口の端も切れた。


監視カメラは回っている。


相手の手も、私の頬も、ここに残る。


(よし、これでいい)


私は口の端の血を親指で拭った。


加藤ベアトリクスめぐみは、拉致され、暴行された。


恒一が来た理由になる。


ひとみが法で殴る材料になる。


黒瀬がどう切り取ろうとしても、こちらにも言い分が残る。


私は軽い気持ちで殴られたわけではない。


恒一が暴れすぎても、まあ何とかなるだろうくらいの気持ちだ。


怒れば、たぶん勝つ。


そう思っていた。


その考えがどれだけ危ないものか。


この時の私は、まだ分かっていなかった。


頬が熱い。


鼓動が少し速い。


引っ張られたせいで、服も破けている。


(この姿の私を見た恒一は……大丈夫かな)


一抹の不安を抱えながらも、頭は冷えている。


スマートフォンは、まだ鞄の中。


位置情報がどこまで生きているかは分からない。


けれど、十分に時間は稼いだ。


法曹協会への反応。


肌に滲んだ黒。


ここまで拾えた。


あとは、相手の奥にいる人間が出てくるのを待つだけ。




部屋の外で、足音がした。


革靴の音。


一人。


ゆっくり。


男たちの背筋が、同時に伸びる。


私は口の中の血を飲み込んだ。


来た。


餌の前に、ようやく釣り人が顔を出す。


扉の向こうで、足音が止まった。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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