第60話:宣戦布告_白日開示編③
ーー久世フェーズ
投票日の朝。
黒瀬の仕掛けは、予想どおり届いた。
スマートフォンに、いくつもの見出しが並ぶ。
若き候補者に危険思想か。
被害者支援の名を借りた排除。
加害者更生を否定する大阪市長候補。
ネット記事。
朝の情報番組。
切り抜き動画。
識者のコメント。
断定はしていない。
それでも、読んだ人間が同じ印象を持つように作られている。
イヤホンの向こうから、みずきの声がした。
『かなりまずいよ。完全に邪魔しに来てる』
ホテルの控室では、ひとみが記事を読んでいた。
「ようできとるわ。嘘やと言い切れへん形で、危険人物に見せとる」
めぐみは隣で笑っている。
「恒一、怒ってる?」
「いや。だいたい事実だなと思って」
めぐみがさらに笑った。
「加害者更生なんて、考えてないもんね」
「デポルなら殺すべきだと思ってるし、性犯罪者にも同じくらい腹が立つ。でっち上げとしては正確だね」
控室が静まり返った。
ひとみが呆れた顔をする。
播磨は目元を押さえた。
「君たちは、本当に……」
ただ、本音と政治家として口にする言葉は別だ。
政治家は、本音を叫ぶために壇上へ立つのではない。
本音を実現するため、通る言葉を選ぶ。
『対応はどうする?』
「何もしない」
『しないの?』
「投票は始まってる。今から騒げば、相手の作った話題を広げるだけだよ」
これで落ちるなら、最初から勝てない街だった。
試されているのは俺だけではない。
加害者への怒りより、報道への恐怖を選ぶのか。
大阪も試されている。
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午後八時。
投票箱が閉じられてから、数分も経たないうちに速報が出た。
久世恒一、当選確実。
歓声が遅れて広がった。
接戦ではない。
圧勝だった。
朝の報道で、危険思想という言葉は広がった。
それでも票は減らなかった。
むしろ、増えている。
「大阪の人間も、怒ってたんだね」
めぐみが画面を見ている。
「口に出さなかっただけで」
市民全員が、正義のために投票したわけではない。
加害者に甘い社会。
被害者が黙らされる空気。
動きの遅い行政。
騒いで去っていく報道。
そこへ積もった苛立ちが、票になった。
市民が欲しかったのは英雄ではない。
自分と家族を守る壁だ。
壇上へ上がる。
フラッシュが目を焼く。
「ありがとうございます」
会場が静かになった。
「この票は、私個人への評価ではありません。大阪を変えろという命令だと受け止めています」
用意した言葉を口にする。
「この国は、加害者に対して甘すぎます」
記者席の空気が張った。
「法は守られなければなりません。行政も冷静であるべきです」
「しかし、更生や手続きという言葉の陰で、被害者が泣き寝入りする社会を正常だとは思いません」
防犯カメラ。
街灯。
通学路。
繁華街。
商店街。
地味だが、奪う側はそうした隙間へ入ってくる。
「被害が出てから動くのでは遅い。奪われない仕組みを作る。それが、私が大阪市長として最初にする仕事です」
拍手が起きた。
守る。
支える。
寄り添う。
正しい言葉の下へ、本音を沈める。
奪う側を根絶する。
それを言わないために、政治家の言葉がある。
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会見が終わりかけた頃、記者席から黒瀬麗奈が立ち上がった。
「当選、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
黒瀬がマイクを向ける。
「大阪市民は、久世さんへ何を託したとお考えですか」
「安心だと思います」
「安心?」
「怒りだけでは、人は投票しません。不安があり、それを変えてほしいという意思があったのだと思います」
最初の質問は柔らかい。
だが、目は笑っていない。
「加害者の更生を支援する団体からは、排除の思想ではないかという声もあります」
「更生を否定しているわけではありません」
言葉を選ぶ。
「ただ、更生という言葉が、被害者の沈黙を前提にしてはいけないと考えています」
「被害者保護を優先すると?」
「被害が出ない仕組みを優先します」
黒瀬は、俺の会社と市政の癒着についても尋ねた。
「選定過程も契約も公開します。外部の専門家を入れ、全国から事業者を募ります」
質問には答えた。
それでも、黒瀬は引かない。
「大阪へ来て七年で、弁護士、企業経営、被害者支援、そして市長。かなり速い階段を上がっておられますね」
褒め言葉に見せた針だ。
「そう見えるのかもしれませんね」
黒瀬は質問を変えた。
「近くにいらっしゃる、加藤ベアトリクスめぐみさん。久世さんにとって、どのような存在でしょうか」
政策から外れた。
俺の近くにいる人間を探っている。
「重要な仲間です」
「それだけですか?」
「それ以上を、この場で説明する必要がありますか」
黒瀬が笑った。
「失礼しました。では、最後に一点だけ」
声がさらに柔らかくなる。
「久世さんは、デポルという存在をどうお考えですか」
会場の音が遠のいた。
ひとみが俺を見る。
めぐみも、試すようにこちらを見ている。
「現時点で、行政の長として語るには、定義が曖昧すぎます」
「存在しないと?」
「恐怖だけで語るべきではないということです。同時に、存在しないものとして片づけるべきでもありません」
一拍置く。
「必要なのは被害の実態を確認し、制度として扱える形にすることです」
「慎重なお答えですね。個人としては?」
「個人の怒りで、行政を動かすつもりはありません」
嘘ではない。
行政を動かす時には、怒り以外の理由も揃える。
黒瀬はマイクを下げた。
「今後の市政に注目しております」
「ありがとうございます」
黒瀬が去っていく。
失言はしていない。
それでも、反応も痛点も、近くにいる人間も測られた。
こちらも、黒瀬の立ち位置を確かめた。
当選会場に拍手が残る中。
俺と黒瀬麗奈は、言葉のない宣戦布告を交わした。




