第64話:先手_白日開示編⑦
大阪市・某テレビ局内
ーー黒瀬フェーズ
速報が流れた。
”大阪市長、戸籍制度へのデポル混入を示唆”。
”市役所内部に協力者か”。
”行方不明者、死亡者の戸籍利用疑惑”。
”約千件規模の記録を確認中”。
画面の中で、久世恒一は冷静に語っている。
私はしばらくそれを見つめていた。
隣にいたスタッフが、息を呑む。
「黒瀬さん、これ……」
「黙って」
短く言った。
スタッフはすぐに口を閉じた。
画面の下では、速報テロップが流れ続けている。
まだ情報は荒い。
裏取りも不十分。
だが、燃えるには十分すぎる。
久世恒一。
やってくれた。
持ち上げて、落として、測って、使い捨てるつもりだった。
こちらが棚に並べた商品が、勝手に火を吹いた。
「視聴率は?」
「跳ねています。ネットも一気に広まってます」
当然だ。
陰謀論。
行政不信。
デポル。
これまで、テレビで報じてこなかったことが、生中継で暴露された。
視聴者が好きな単語ばかりが並んでいる。
人は、信じたい真実より、怖がりたい物語を求める。
そう——陰謀論のように。
久世は、それを分かっていて火をつけたのか。
それとも、ただ怒りのままにやったのか。
ただ勢いのあるガキだと思っていたが、見誤ったか。
スマートフォンが震えた。
篠倉怜司。
『どういうことだ』
第一声から、声が低かった。
「…はい」
『君は、久世恒一を保留と言ったな』
「ええ」
『では、これは何だ』
篠倉の声には、苛立ちが滲んでいた。
珍しい。
あの男は、怒りを表に出すことを好まない。
つまり、久世はあちら側の奥を揺らした。
「私がやらせたわけではありません」
『なら、なぜ止めなかった』
「久世市長は、私の部下ではありませんので」
電話の向こうで、篠倉が黙った。
『あの発言で、井口の政策にも火が入る。法曹協会にも、市役所にも、支援団体にも飛び火する』
「そうですね」
『そうですね、ではない。我々との繋がりが出たら、君一つの命で責任が取れるのか?』
あからさまな脅し。
「では、どうしますか。今すぐ潰しますか」
沈黙。
篠倉はすぐには答えなかった。
潰したい。
だが、潰せない。
久世恒一は、たった今、全国の前で爆弾を落とした。
ここで急に消せば、爆弾の中身を認めるようなものだ。
「久世市長は、まだ使えます」
『…火種としてか』
「ええ」
私はモニターを見る。
画面の中で、久世は穏やかに話している。
本当に穏やかに。
『黒瀬さん』
「はい」
『こちらでも動く』
通話は切れた。
私はスマートフォンを下ろした。
「……クソが」
小さく呟いた。
スタッフが聞こえないふりをする。
篠倉が動く。
それは、久世を壊すためではない。
まずは久世を、自分たちの管理下へ置くためだ。
壊すのはいつでもできる。
(気に食わない)
商品棚に並べたのは私だ。
値札を貼るのも、傷をつけるのも、売り時を決めるのも、私の仕事だ。
画面の中で、久世恒一はまだ話していた。
若い市長。
被害者の味方。
危険思想の持ち主。
そして、今や陰謀論の中心。
いい。
もっと燃えなさい。
でも、燃やす順番は私が決める。
・
・
・
ーー久世フェーズ
生放送のスタジオは、思ったより明るかった。
照明が白すぎる。
目に刺さる。
アナウンサーは、穏やかな顔で台本を確認している。
黒瀬麗奈ではない。
それだけで、少しやりやすい。
無難な質問をする。
無難な答えを求める。
市長就任後の抱負。
大阪の課題。
市民へのメッセージ。
そういう、綺麗な箱を用意している。
俺は、その箱の中に爆弾を入れるために来た。
事前に、めぐみとひとみには話した。
めぐみは笑い、ひとみは意外と冷静だった。
全員、止めはしなかった。
止めても無駄だと思われているのか。
それとも、そうすべきだと思っているのか。
カウントが始まる。
三。
二。
一。
番組が始まった。
大阪の人気ローカル番組。
最初は、柔らかい話題。
当選の感想。
市民の期待。
若さへの不安。
想定内の質問に、想定内の言葉を返す。
笑顔。
相槌。
短いユーモア。
前世の営業で覚えた、あまり好きではない技術。
アナウンサーが少し笑った。
「久世市長、市長としてのお仕事はいかがですか。順調でしょうか」
来た。
何も起きないはずの質問。
俺は少しだけ笑った。
「いやー、なかなか大変ですね」
スタジオの空気はまだ穏やかだった。
「就任直後ですから、やはりお忙しいですか」
「それもあります」
一拍置く。
「まさか、日本国民の戸籍制度を支える側に、デポルがいるとは思いませんでした」
アナウンサーの笑顔が固まった。
スタジオの音が、一段遠くなる。
スタッフの視線が動く。
カメラの向こう側で、誰かが息を止めた気がした。
「……久世市長、それは、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です」
声は荒げない。
笑って言えば、狂人になる。
だから、普通に言う。
「大阪市が保有する住民記録や更生支援団体との連携記録。その一部に、極めて不自然な接続が見つかりました」
アナウンサーは、まだ戻ってこない。
台本にない言葉だからだ。
「不自然な接続、ですか」
「はい。行方不明者、死亡者の戸籍や住民記録が、別人の生活基盤として使われている疑いがあります」
スタジオが沈黙した。
沈黙は、音よりよく響く。
「現時点で、確認対象は数百から千件超規模です」
アナウンサーの目が揺れた。
「千件……」
「もちろん、全てが違法、全てが犯罪と断定しているわけではありません。現在調査中です」
そこは言う。
だが、不安を煽る。
「ですが、前市政の時代から、戸籍を利用したすり替わり、再配置、支援団体を介した生活基盤の移動が行われていた可能性があります」
言葉を一つずつ置く。
爆弾は、乱暴に投げるより、丁寧に置いた方が怖い。
「市役所内部にも、関与者、または協力者がいる可能性があります」
アナウンサーは口を開きかけ、閉じた。
次の質問が見つからない顔だった。
「久世市長、それは非常に重大な発言です。根拠はあるのでしょうか」
「あります」
即答した。
「ただし、個人情報と捜査上の問題があるため、現時点で全てを公開することはできません」
便利な言葉だ。
行政が俺を止めるために使う言葉を、俺も使う。
「捜査中ですが、敢えてこの場を借りて共有させていただきました」
アナウンサーは、ようやく呼吸を取り戻した。
「市民の不安を煽ることにはなりませんか」
「確かにその考えも一理あると思います。しかし私は、選挙で透明性を訴えてきました」
俺はカメラを見る。
「ですので、まず市民の皆様に現状を知ってほしかったのです」
声を少しだけ落とす。
「私は大阪市長として、この問題の全容を明らかにします。二度と、戸籍が誰かを隠すための道具にならないように」
言い切った。
スタジオの空気は、完全に変わっていた。
アナウンサーは、もう笑っていない。
「デポルという言葉を使われましたが、久世市長は、デポルが市民の中に入り込んでいる可能性があるとお考えですか」
「可能性ではありません」
俺は答えた。
「もう、いるんです」
言ってから、少しだけ間を置く。
「問題は、いることそのものではありません。誰が、何の目的で、戸籍や支援制度を使って、見えない形にしてきたのかです」
この一文は、めぐみが入れた。
デポルを敵視するだけの言葉では、市民からの共感は得られない。
——とのことだ。
「この件については、今後、正式に調査チームを設置します。外部有識者も入れます。市役所内部だけで終わらせるつもりはありません」
アナウンサーが頷く。
頷くしかないのだろう。
「最後に、市民へ一言お願いします」
最後。
予定通りの締めの質問。
ただし、中身はもう予定通りではない。
「大阪市民の皆さん」
カメラを見る。
「驚かれたと思います。不安に感じた方も多いと思います」
嘘ではない。
「ですが、これを曖昧にしたまま、安心してくださいとは言えません」
一拍置く。
「私は、市長として責任を持って調べます。大阪で何が行われてきたのか。誰が見ないことにしてきたのか。必ず明らかにします」
頭を下げる。
画面の向こうで、どれだけの人間が見ているのか。
どれだけのデポルが見ているのか。
どれだけの協力者が、今頃慌てているのか。
さて。
元締めども。
動いてこい。
そのために火をつけた。




