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第62話:市民_白日開示編⑤

ーー久世フェーズ

大阪市・市営団地


真壁が送ってきた場所は、大阪市内の古い市営住宅だった。


朝の光の中で、灰色の棟がいくつも並んでいる。


壁は黒ずみ、階段の手すりには錆が浮いていた。


ベランダには洗濯物。


掲示板には、ゴミ出しの注意と自治会の案内。


普通の生活だった。


隣には播磨がいる。


昨日、真壁との電話を聞いてから、播磨は自分から同行を申し出た。


法曹協会に関係するなら、無関係ではいられない、と。


理由としては、筋は通る。


表向きには。


だが、顔色は悪い。


「ここですか」


播磨が低く言った。


「真壁から送られてきた場所は、ここです」


播磨は団地を見上げた。


風に揺れる洗濯物。


廊下を歩く老人。


作業服の男。


ランドセルを背負った子ども。


どこにでもある朝だった。


それなのに、空気の奥に薄い違和感が沈む。


「……多いな」


播磨が呟いた。


「何がですか」


「人間の顔をしている」


答えにはなっていない。


だが、そういうことだ。


わざわざ、井口がここを俺に明かす理由は一つしかない。



俺たちは棟の間を歩いた。


住民がこちらを見る。


すぐに目を逸らす者もいる。


逆に、じっと見てくる者もいる。


普通の警戒。


普通の好奇心。


普通の嫌悪。


その中に、別のものが混じっている。


階段の踊り場で、若い男が煙草を吸っていた。


目が合う。


男は会釈し、部屋へ戻った。


肌は変色していない。


怒鳴りもしない。


襲いかかってもこない。


ただ、引っ込んだだけだ。


”管理”。


その言葉が、頭の中で形になる。


井口おさむは五年かけて、檻を作った。


暴れるデポルを減らし、目立つ被害を減らし、管理体制を作った。


真壁はそう言った。


必死に生き抜くだけの、正しいデポル。


君が殺し損ねたタムラのように。


タムラの顔が浮かぶ。


奪う衝動を持ちながら、それでも生きようとしていた男。


井口にとっては、管理できる個体。


そして——めぐみ。


その名前が胸の奥で引っかかる。


めぐみに奪う衝動を感じたことはない。


少なくとも、俺は見たことがない。


だが、血の話をするなら、彼女も境界の上にいる。


この団地にいる連中と同じ箱に入れていいのか。


違うと言い切れるのか。


めぐみが。


デポルだと打ち明けてきたら。


俺はどう対処するのか。


一瞬だけ、思考が鈍った。


すぐに切る。


迷いは顔に出さない。


播磨がこちらを見ていた。


俺が何を考えたのかまでは分からないはずだ。


ただ、俺が少しだけ黙ったことには気づいたかもしれない。


団地の奥へ進む。


一階の広場では、小さな子どもがボールを蹴っていた。


母親は子どもを呼び、部屋の中へ入っていった。


扉が閉まる。


普通の家族だった。


その普通さが、腹の底を焼いた。


井口と真壁が見せたかったものは、分かる。


この人間と変わらないデポルも、お前には殺せるのか。


そういうことだろう。


井口のやり方が正しいとでも言いたいのか。


管理すればいい。


檻に入れればいい。


働かせ、税金を納めさせ、地域の中で息をさせればいい。


暴れないなら、市民として扱える。


その理屈は、分からなくはない。


だが——


俺が見ているのは、共存ではない。


繁殖だ。


人間の顔をして、子どもを作り、戸籍を得て、地域に根を張る。


人間の真似事をして、数を増やす。


今は檻の中にいる。


では、その檻が壊れたら誰が止める。


誰が責任を取る。


井口か。


支援団体か。


役所か。


法曹協会か。


いいや、誰も取らない。


取れない。


井口が責任を取るとして、死んだ後はどうなる。


奪われるのは、いつも別の誰かだ。


怒りが喉の奥まで上がってくる。


だが、顔には出さない。


ここで怒鳴っても意味がない。


ここで誰かを殴っても、何も変わらない。


市長になった。


なら、見る順番がある。


殺す前に。


壊す前に。


まず、入口を見る。


誰がここへ入れた。


誰が戸籍を通した。


誰が支援団体へ繋いだ。


団地の管理事務所の前で足を止める。


掲示板には、住民向けの手続き案内が貼られていた。



福祉相談。


就労支援。


生活保護。


医療費助成。


行政の言葉が並んでいる。


そのどれもが、逃げ道にも見えた。


「播磨さん」


「なんだ」


「どう見えますか」


播磨は、すぐには答えなかった。



ーー播磨フェーズ


どう見えるか。


そう聞かれて、答えられない。


市営住宅。


古い団地。


子ども。


老人。


どこにでもある生活だった。


だが、その中に、いる。


人間ではないものが。


いや、人間ではないと言い切るには、あまりにも人間の生活をしているものが。


久世恒一は、怒っているのだろう。


隣にいるだけで分かる。


この光景を「管理の成果」として見ていない。


人間の制度の中に入り、人間の顔で暮らしている。


彼にとって、これは爆弾の貯蔵庫なのだ。


だが、私には違うものに見えていた。


私が見ているのは、出口だった。


法の上で終わった事件の出口。


無罪。


不起訴。


示談。


被害者が黙り、加害者が名前を変え、書類が閉じられた後の出口。


その先に、こういう場所があったのかもしれない。


もちろん、ここにいる全員がそうではないのかもしれない。


全員が私の案件だったはずもない。


全員が過去に凶悪なことをしたわけでもないだろう。


それでも、混じっている。


その可能性だけで、十分だった。


掲示板に貼られた団体名を見る。


生活再建相談。


更生支援。


法律相談会。


見覚えのある名前が混じっている。


法曹協会主催の講演会で、私は更生支援の美しさを声高に語っていた。


自分が笑って握手した相手が、こういう場所へ人を流していたのかもしれない。


何を見ないで済ませてきたのか。


二階堂のそばにいた頃、私は本当に何も知らなかったのか。


知らないことにしていただけではないのか。


今それを、突きつけられている気がする。



怒りではない。


後悔でもない。


もっと情けないものだ。


恐怖。


黒瀬麗奈の声が、頭の奥で蘇る。


久世恒一の情報を流せ。


見たもの。


聞いたもの。


接触した人物。


全部。


断れば、二階堂との関係を出す。


あなたがデポルビジネスの横で、何を見て見ぬふりしていたかも。


あの女は笑っていた。


笑いながら、私の首に縄をかけた。


ここで見たものを、黒瀬に渡せばどうなる。


渡さなければ、私はどうなる。


彼に知られれば。


法曹協会に知られれば。


いや、法曹協会はどこまで知っている。


トップは。


あの男は。


考えたくない。


考えたくないのに、考えが止まらない。


彼は、団地の掲示板を見ている。


(いっそ久世に全てを話し、久世陣営に守ってもらった方がいいのではないか)


何を?


命を?


名誉を?


思考が定まらない。


自分がいかに重要なことから目を背けてきたのか。


その事実からさえ、目を背けたい。


私は、自分という生き物が心底気持ち悪かった。


その時、スマートフォンがポケットの中で震えた。


”情報を流せ”。


あの女の声が、頭の奥で蘇る。


隣にいる青年。


私を追い込む女。


自分が見ないふりをしてきたもの。


思考がまとまらないまま、私は画面を押した。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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