第61話:檻_白日開示編④
ーー黒瀬フェーズ
久世恒一。
思っていたより、使えそう。
若い。
顔は地味。
話し方も派手ではない。
だが、言葉が崩れない。
崩れない人間は、壊した時に絵になる。
被害者支援。
治安改革。
行政改革。
綺麗な言葉を並べながら、奥に別のものを隠している。
おそらく、加害者を叩きたいのだろう。
被害者支援を盾にして。
大阪市長という椅子を使って。
まだ青い。
だから、使える。
ホテルの出口付近で、金髪の女が立っていた。
加藤ベアトリクスめぐみ。
この女のことは調べている。
久世の会社の取締役副社長。
表には出すぎない。
けれど、久世の近くにいすぎる。
「こんばんは。加藤ベアトリクスめぐみさん」
加藤は笑顔を崩さず、軽く会釈した。
「よくご存知ですね」
ホームページに、ミドルネームまでは載っていない。
動揺しない。
肝が据わっている。
「それは、今をときめく久世市長と共にいる、美人副社長ですからね」
加藤は笑っていた。
隙がない。
久世より、よほど面倒かもしれない。
「黒瀬さん」
「なんでしょうか」
「久世恒一は、籠絡できないですよ」
敵意ではない。
警告でもない。
ただ、事実を教えるような声だった。
「そうでしょうか。あなたより隙はありそうに見えますが」
加藤は笑みを崩さない。
「調教済みですからね」
短いやり取りだった。
だが、それだけで十分だった。
この女も、別の意味で使える。
久世恒一を動かす餌になる。
使えるなら、価値がある。
ホテルの廊下は少し冷えていた。
スタッフが慌ただしく走る。
記者が電話をしている。
宴会場からは、まだ拍手とざわめきが漏れていた。
久世恒一の周りには、面白い人間が集まっている。
加藤ベアトリクスめぐみ。
水谷ひとみ。
播磨健二。
特に播磨は使える。
二階堂の元イヌ。
法曹協会の幹部の一人。
井口との関係も洗う必要がある。
久世に大阪を取らせる。
可能なら、関西まで。
その途中で邪魔になるなら、井口も捨てればいい。
久世も、いずれは。
私は歩きながら、スマートフォンを手に取った。
久世恒一の削除は保留。
責任は私が持ちます。
送信。
国の奥で座っている男たちは、デポルを資源として見ている。
井口は管理したがっている。
久世は、おそらく消したがっている。
なら、私はどうするか。
答えは決まっている。
全部、私の手札にする。
報道は、国を動かせる。
世論は、法より先に人を裁ける。
男たちは、いつも奥に座って国を語る。
だが、奥に座るのは男である必要などない。
国のトップ。
その椅子に手を伸ばすためなら、久世恒一という若い市長は、ちょうどいい火種になる。
ホテルの自動ドアが開いた。
夜の空気が肌に触れる。
久世恒一。
(あなたは、私がボロ雑巾になるまで使ってあげる)
まだ本人は、商品棚に置かれたことにも気づいていない。
・
・
・
ーー久世フェーズ
翌朝。
事務所に、勝利の匂いは残っていない。
…あさみ以外は。
「久世くん、すごかったよ!よかったね!市長になれて!どうするの?秘書とかつけて、不正して、やっぱり秘書が勝手にやったことでした!って言いたいの?」
相変わらずの彼女のキャラに、安心感を覚える。
そもそもキックボクシングを習っている時は、このような性格だっただろうか。
そんなことはさておき、
机の上には、開票結果の資料。
報道各社の切り抜き。
祝電の一覧。
支援者への返信リスト。
花束もあった。
だが、どれも少し遠く見える。
当選した。
大阪市長になる。
その事実は、紙の上では分かる。
速報でも見た。
歓声も聞いた。
愛想笑いを振りまき、握手もした。
それでも、胸の奥は静かだった。
ゴールではない。
椅子を取っただけだ。
その椅子に座った瞬間から、別の人間たちが足元に鎖を巻いてくる。
「顔、全然うれしそうじゃないね」
めぐみが窓際で言った。
カーテンの隙間から、朝の大阪が見える。
昨日までと同じ街だ。
「嬉しくないわけじゃないけど」
「じゃあ、何?」
「少しビビってる」
めぐみは笑った。
「市長選に勝って、それ言うんだ」
「分不相応とはこのこと」
「市長としてはね。けど、市長で認められなくて市長になったわけじゃないでしょ」
ひとみはテーブルの資料をめくっていた。
「余韻に浸りたいなら、今日の午前中だけやで」
「嫌な言い方する人ですねえ」
「あんたが市長になったことで、黒瀬側が何仕掛けてくるかわからんからな」
黒瀬からのインタビューの後。
めぐみへの接触。
ミドルネームまで調べられている。
戸籍にすら載っていないのにも関わらず。
黒瀬麗奈は、こちらの輪郭を取っていった。
まだ敵としての形がはっきり見えていないだけに、警戒は強めるしかない。
人間なのか。
デポルなのか。
ただ金と権力に取り憑かれた人間なのか。
それすら、まだ分からない。
「黒瀬、気にしてる?」
めぐみが聞いた。
「まあね。君に護衛をつけなければ」
「いらないよ」
「そう」
影から密かにガードを付けたい。
真壁に、腕利きのデポルのボディガードを付けさせるか。
俺は市長になったことにより、狙われる可能性が出てくる。
井口からの指令で、真壁にボディガードを付けさせられている。
人数は三名だが本当のところはわからない。
実際に見たわけではない。
(うっとうしい。監視も込みだな)
「久世」
ひとみの口調が最近キツく感じるが、気のせいか。
「昨日のデポルの質問、偶然やと思うなよ」
「はい」
「東京側が、あんたと井口の関係を見てる。二階堂の件も把握してるかもしらん。そう考えた方がええ」
「はい。そうだと思います」
ドアが開く音がする。
「黒瀬麗奈が動いた以上、法曹協会にも波は来る」
播磨が入ってくる。
「あなたのところにも?」
「来るだろうな。君と私の関係も、二階堂との関係も、探られれば面白い絵になる」
自分で言って、播磨は苦い顔をした。
内心かなりビビっているのだろう。
だが、報道の見出しにはしやすい。
「なら、先に整理しましょう」
「何を」
「播磨さんが話せることと、話せないことです」
播磨は少しだけ目を細めた。
「私を守る気か」
「俺に飛び火しないためですよ」
播磨は黙り込む。
ひとみが鼻で笑った。
「正直すぎるわ」
その時、俺のスマートフォンが震えた。
画面には、見たくもない羅列。
″着信中 真壁″
めぐみだけが、それを確認した。
『おはよう、久世くん』
声を聞いた瞬間、胃の奥が冷えた。
真壁。
徳島の山中。
デポルをぶつけてきた男。
あの時と同じで、声に熱がない。
「なんですか」
『このタイミングでの電話。ご当選、おめでとうございます。しかないだろ?』
「ありがとうございます、おかげさまで当選できました」
『それはそうだね。なんたって井口さんが五年かけて作った大阪なんだから』
井口おさむの右腕。
『井口先生からの伝言だよ』
周りの連中に内容は聞こえていないはずなのに、空気が張り詰めている。
いや、俺がそうしているのか。
『井口先生は、五年かけて檻を作った』
『暴れるデポルを減らし、目立つ被害を減らし、管理体制を作った。結果、大阪には必死に生き抜くだけの″正しい″デポルが増えた』
真壁の声は、平らだった。
正しいデポルなんてものが存在するのだろうか。
人ですら、そんな存在はいないというのに。
『君が殺し損ねた、タムラのように』
めぐみは近い距離にいる。
スピーカーではないが、聞こえているのだろうか。
普通に生きるデポル。
奪わずに、衝動を抑え、社会の隅で息をしている存在。
それは、タムラだけの話ではない。
めぐみはーーどうだろうか。
彼女に奪う衝動を感じたことはない。
『さあ、久世くん』
真壁は静かに言った。
『君はどうする』
井口おさむは、問いを投げてきた。
大阪市長になったら俺に。
これから、お前はどうするのかと。
奪うデポルは殺す。
では、奪わずに生きようとするデポルはどうするのか。
改めてその問いを突きつけている。
短く息を吐く。
「確認しますよ」
自分でも、驚くほど声は平らだった。
「井口おさむが作り替えた大阪も、現状も。全部、自分の目で見る」
『そうか』
真壁の声に、感情はなかった。
『では、まず見ておいてもらいたい場所がある』
「市役所ですか、それならすぐにーー」
『いやいや。市役所は、その後にでも』
一拍置く。
『市長として市役所に入る前に、見ておいた方がいいものがある。大阪市が、見ないことにしてきたものを』
大阪が見ないことにしてきたもの。
被害者や被害者家族のことじゃないのか。
『場所は、後で送るよ』
「それは、人間ですか」
『ああ。書類上はね』
もったいぶりやがって。
クソ野郎が。
『久世くん』
「はい」
『あの人を甘く見ない方がいい。デポルより、人間をよく知っている』
通話は切れた。
スマートフォンに、地図情報が届く。
間髪入れずにめぐみが画面を覗き込む。
「行くの?」
「まあね」
めぐみがニヤける。
「市長初仕事が、真壁の使い走りとか。笑えるね」
「笑えねえよ」
急に播磨が立ち上がった。
「私も行く」
「なぜ?」
「君は真壁と電話していたのだろう。そしてある場所へ行けと」
播磨の声は硬かった。
「彼が君にどこを見せようとしているのかは、確認しておきたい」
二階堂のイヌッコロが。
何を考えているかわからない。
黒瀬の存在。
真壁からのとある場所。
播磨は追い詰められた顔をしている。
「二人でいきましょう」
硬い表情のまま、頷く。
窓の外では、朝の大阪が動き出していた。
市長になった日。
最初に見えたのは、檻だった。
くだらない。
そして、そのくだらない檻の奥で、まだ誰かが奪われている。




