第59話:偽りの改革者_白日開示編②
投票日前日の夜。
会議室の端では、播磨が黙って座っていた。
法曹協会への伝手を持ち、制度の内側を知る男。
味方ではない。
ただ、味方の席に座らせているだけだ。
山上とあさみは、すでに別室へ移っている。
山上は後援会と商店街への最終連絡。
あさみは護身研修と防犯政策の資料確認。
二人が触れるのは、選挙と会社と市民に見せる政策だけでいい。
ここから先は違う。
表に出せない話。
出せば、こちらの足元まで燃える話。
そういうものは、少ない人数で扱うべきだ。
「播磨さん。法曹協会側はどうですか」
播磨は、少しだけ姿勢を正した。
「表立って支援はしない。だが、敵対もしない。そもそも、あからさまには動けない」
「分かりました」
「久世君。政治は、裁判や喧嘩とは違う。勝った後のほうが難しい」
「そうなんですね」
「そうだ。行政は敵を殴って終わる場所ではない。書類、議会、予算、人事、国の通知。すべてが君の足を止める」
播磨の言葉は正しかった。
暴力なら、一晩で終わることがある。
法律なら、数か月で形にできることもある。
だが行政は違う。
誰も責任を取らないまま、手続きだけが積み上がる。
誰かが奪われた後でも、書類が足りなければ動かない。
動けないのではない。
動かない理由を、制度が用意している。
そこも受け止める必要はあるが、俺の本質はそこではない。
「まあ自分の目で見て確かめます」
播磨を見る。
「誰が、どのように、俺の足を止めるのか」
播磨は黙った。
会議室の空気が、少し冷えた。
市長になれば何でもできるとは思っていない。
そんな幼い夢は、五年前に捨てた。
被害届は受理されない。
支援制度は、書類の上では正しく見える。
報道は被害者を三日だけ映して、次の話題に移る。
その裏で、奪う側は奪い続ける。
名前を変える。
住所を変える。
支援の網に紛れる。
善意の看板の下で、また別の誰かを探す。
ひとみの表情が硬くなった。
みずきは画面に視線を落としたまま、指を止めている。
めぐみだけが、嬉しそうでも悲しそうでもない顔でこちらを見ていた。
「何で、お通夜みたいになってるんですか」
ひとみが腕を組んだ。
「気に食わん奴おったら、殺してまいそうやなって思っただけや」
めぐみが頷いた。
みずきも頷いた。
播磨まで、少しだけ目を逸らした。
「いや、そんな馬鹿な」
静かに返す。
全員何も言わない。
「…誠に遺憾ですね」
「おっ!政治家じゃん」
女性陣は笑う。
空気が少しだけ緩んだ。
そしてあの話題へ切り込む。
「黒瀬麗奈の件は?」
みずきが画面を切り替えた。
黒瀬の過去番組。
起用している識者。
番組制作会社。
政治家との接点。
デポルと直接的な関係はわからない。
画面に並ぶ名前は、まだ線になっていない。
ただの点だ。
黒瀬は報道局プロデューサー兼キャスター。
表向きは、番組の顔でもある。
だから、政治家と会っていても、
識者を使っていても、
支援団体へ取材していても不自然ではない。
怪しいのに、怪しくない顔をしている。
「どれも仕事の範囲で説明できるね」
みずきが言った。
「ボロが出にくそうだね」
めぐみが画面を眺めながら言う。
「…黒瀬麗奈を調べてるだけですよ」
播磨がこちらを見たので、先に答えた。
「選挙前に報道局と殴り合う気か」
ひとみが鼻で笑った。
「恒一。報道を敵に回すんは、かなり危ないで」
「ひとみさん」
「なんや」
「俺はこれから大阪市長になろうとしています」
「知ってるわ」
「そんな人間が、考えなしに人を殺したり、報道を敵に回したりすると思いますか?」
全員が頷いた。
これこそ、誠に遺憾だった。
「会見文をもう一回見ます」
紙の上には、整えられた言葉が並んでいた。
被害者支援。
再犯防止。
行政改革。
地域防犯。
透明性のある支援制度。
どれも正しい言葉だ。
だが、正しい言葉だけでは奪う側は止まらない。
・
・
・
午後九時を過ぎても、会議室の明かりは消えなかった。
開票当日の動線。
ホテル会場の配置。
報道陣の導線。
想定問答。
開票待ちは、久世事務所ではやらない。
事務所は狭い。
資料も多い。
見せたくないものもある。
報道陣を入れるなら、ホテルの会場を借りた方がいい。
めぐみの判断だ。
当日は、
みずき、山上、あさみは事務所。
俺、めぐみ、ひとみ、播磨はホテル。
この部屋に残った者たちは、テレビの前に集まった。
みずきが、テレビをつける。
「始まるよ」
ニュース番組のタイトルが映る。
白を基調にしたスタジオ。
清潔な机。
整った照明。
その中央に、黒瀬麗奈がいた。
ただ美しいだけではない。
自分がどう映れば、人が目を離せなくなるかを計算している顔。
画面の中の黒瀬が、カメラを見た。
「今夜は、投票日を明日に控えた大阪市長選挙についてお伝えします」
画面の右側に、俺の写真。
左側に、前々市長の玉木の写真。
玉木の写真は古かった。
年齢以上に疲れて見えるものが選ばれている。
俺の写真は、ひどく穏やかだった。
実物より少しだけ頼れそうだ。
めぐみが小さく笑った。
「いい写真使ってくれたね」
黒瀬の声は穏やかだった。
言葉の端に棘はない。
若さ。
実行力。
実業家。
被害者支援。
治安改革。
大阪の閉塞感を変える存在。
街頭の映像が流れる。
防犯研修に参加する高齢者。
商店街で俺を語る店主。
被害者支援を評価する市民。
どれも事実だった。
だが、やたらとこちらを持ち上げる。
気持ちが悪い。
「この編集、嫌いやわ」
ひとみが低く言った。
めぐみも、もう笑っていなかった。
みずきは画面を見たまま眉を寄せている。
「宣伝してくれてるように見えるけど、やりすぎってこと?」
「そうや。上げ方が不自然すぎる」
ひとみの言葉で、形が見えた。
これは応援ではない。
どこまで持ち上げれば、人は乗るのか。
どこで落とせば、一番派手に転ぶのか。
黒瀬はそれを測っている。
玉木を勝たせたいわけではない。
俺を試している。
そんな気がする。
井口と繋がっている若い弁護士。
大阪市長選で伸びているガキ。
危険なのか。
利用できるのか。
黒瀬は、それを見に来た。
画面の黒瀬は、静かに微笑んだ。
「続いては、玉木候補のこれまでの市政経験についてお伝えします」
ニュースは玉木へ移った。
だが、もう十分だった。
黒瀬麗奈は、今夜こちらを上げた。
なら、何かを用意しているかもしれない。
投票日前日の夜に上げるなら、落とすのは明日の朝だ。
「まあ、選挙前日にジタバタしても仕方ないですね」
テレビ画面を見たまま言った。
ひとみがこちらを見た。
「あんた、肝が据わってきたな。大阪に出てきた時は、漏らしてヤバかったのにな」
「確かにそうですね。ムーニー◯ン履いててよかったですよ」
ひとみが一人で笑い崩れた。
「言うようなったやん」
みずきは半笑いでノートパソコンを開いた。
放送直後から、検索数は跳ねていた。
好意的な反応が多い。
若い。
変えてくれそう。
被害者支援を任せたい。
その一方で、危険思想、加害者更生、排除という単語も増え始めていた。
攻撃は、もう始まっている。
ただし、まだ本命ではない。
黒瀬麗奈。
報道局プロデューサー兼キャスター。
視聴率を作る女。
人の痛みに照明を当てることが得意な嫌な奴。
今はまだ、画面の向こう側にいる。
だが、いずれ直接向き合うことになる。
そんな気がする。
(是非、デポルであってほしいね)
大阪の夜は眠らない。
眠らないまま、誰かが奪われる。
誰かが見て見ぬふりをする。
誰かが正しい言葉で蓋をする。
その全部が嫌いだ。
だから、まずは椅子を奪う。
法律を使うために。
行政を動かすために。
奪う側が隠れる場所を、一つずつ潰すために。
黒瀬麗奈が、どこかで笑っている気がした。
それでも、引き返すつもりはない。
俺はもう土俵に上がる覚悟はできている。
(仕掛けてこいよ、黒瀬麗奈)
美人は見飽きてる。
俺を籠絡することは不可能だ。
俺の邪魔をするなら、誰であっても消していく。
その思いが、翌朝の洗礼を呼び込むことになる。




