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第58話:盤上の政治家_白日開示編①

ーー黒瀬フェーズ


東京のある雑居ビル。


その会議室には、窓がなかった。

外の光も、街の音も入ってこない。


長い机の上に、二冊の資料を置いていた。

どちらも、私が準備したものだ。


一冊目には、井口おさむ。

衆議院議員。

大阪市長兼任。

治安政策と社会秩序の立て直しを掲げる現実派。


もう一冊には、久世恒一。

二十五歳。

弁護士。

複数企業の取締役会長。

大阪市長選、出馬中。


「井口が、少し目立っているな」


篠倉怜司が、資料を指で叩いた。


高宮誠一郎の側近。

表に名前が出ることは少ない。

だが、東京の奥にある意向を、言葉にして運んでくる男だった。


篠倉の懸念も理解できる。


井口おさむは厄介な男だ。

だが、使い道もある。


デポルを選び、管理し、社会の中に置く。

恐らく、あの男の思想はそういうものだろう。


危険だ。


しかし、危険なものほど、管理できるなら国家にとって価値がある。


二階堂が大阪から引きずり下ろされた後、井口は衆議院議員として表に出た。

そのまま大阪市長も兼任し、五年が経った。


大阪は、井口の実験場でもあった。


暴れるデポルを減らす。

目立つ事件を抑える。

制度の中に危険を押し込む。


それが成功なのか、先送りなのか。

答えはまだ出ていない。


「井口ひとりなら、まだいい」


篠倉は、もう一冊の資料へ視線を移した。


「こっちはどうなんだ」


印刷された荒い写真に写っている青年。

久世恒一。


整った英雄の顔ではない。

人前に立つ華やかさもない。

ただ、目だけが妙に冷えている。


そして、私のイチオシ。


「この五年で、ずいぶん育ちましたね」


資料を開く。


久世恒一。

使える経歴が、きれいに並んでいる。


二階堂のデポルビジネスを暴いた若い男。

司法修習免除。

被害者支援。

防犯研修。

企業経営。

大阪市長選。


きれいすぎる。

だから、汚しやすい。


「今度はこの青年がお気に入りかな」


篠倉が言った。


「前は二階堂くんだった」


「お気に入りではありませんよ」


私は笑った。


二階堂は優秀だった。

だが、器ではなかった。


権力を持ちすぎた。

舞台の上で、自分を主役だと勘違いした。


ああいう男は、最後に照明を壊す。

だから見捨てられた。


久世恒一は違う。

まだ、自分が舞台の上に立たされていることに気づいていない。


「久世恒一。二十五歳。二階堂の件以降、被害者支援と防犯事業で名前を広げています。現在、大阪市長選で井口おさむの後釜を狙っている」


読み上げながら、写真を見た。


「若いですね」


「若いだけなら問題ではない」


「デポル被害者を背負い、治安改革を掲げていて、井口おさむと接点がある」


篠倉は久世も警戒しているようだった。


まだ何もできない若造に、そこまで警戒が必要なのか。


それとも、東京の奥にいる男たちには、私に見えていないものが見えているのか。


以前、高宮誠一郎はこう言っていたらしい。


国家にとって、デポルは災害だけではない。

資源でもある。


使い方を誤れば国を壊す。

だが、正しく囲い込めば、他国が持たない力になる。


暴力に最適化された存在。

命令に従わせる仕組みさえ作れば、戦場でも、裏の処理でも使える。


本当にそう考えているのなら、悍ましい。


井口はデポルを管理したがっている。

高宮たちは利用したがっている。


では、久世恒一はどうか。


「久世は、ただの被害者支援を踏み台に権力を欲しがるだけの若造か」


篠倉が言った。


「それなら利用しやすいですね」


久世の写真を指先で軽く叩く。


「ただ、大阪の市民は誰かに守ってほしがっている。彼は今の大阪にはうってつけです」


「潰せるか」


「潰すだけなら簡単です」


即答した。


「ですが、すぐ潰すのはもったいない。まずは持ち上げます。若き改革者。被害者の味方。大阪から現れた新しい政治の顔」


そこで一度、言葉を切った。


「そこで使えるか様子を見ましょう。落とすのは、その後でいいかと」


篠倉は資料を閉じた。


「君に任せるが、しくじるなよ」


「承知しました」


私は微笑んだ。


「久世恒一を、全国区にします」



ーー久世フェーズ


二〇一五年。


ーー大阪・久世事務所


事務所の窓から、見慣れた難波の街並みを見下ろしていた。


五年前より、街は少しだけ綺麗になった。

ゴミは減った。

夜の客引きも、目に見える場所からは減った。


だが、デポルは減っていない。


井口おさむの政策で、暴れるデポルは確かに減った。

その代わり、隠れるデポルが増えた。


外見では、人間と区別がつかない。

怒鳴らない。

殴らない。

奪う衝動を、制度と人間関係の中に薄く溶かしている。


何より、社会に溶け込んでいる。

前の石津のように、しっかり暴れていれば目につく。


しかし人間社会に溶け込み、働き、過ごしている。


それが、前より厄介だ。


この街が本当に平和になったわけではない。


井口を止めたい。

だが、今の俺にはまだ届かない。


二階堂を引きずり下ろした後、井口は大阪市長の椅子にも座った。

衆議院議員でありながら、大阪の行政も握った。


五年。


井口はその時間で、大阪を管理した。

そして俺は、その椅子を奪う準備をしてきた。


まずは、同じ土俵に上がる必要がある。


その足掛かりまで、五年かかった。


名刺に並ぶ肩書きは増えた。


弁護士。

企業の取締役会長。

被害者支援団体顧問。


だが、目的は何一つ変わっていない。


奪う側を、根絶する。


それだけは揺るがない。


揺るぎたくない。


「投票前の支持率は悪くない」


めぐみが、タブレットを机に置いた。


「けどなんだか熱量が足りない。応援してる人間も、半分は他人事。大阪が変わったらええな、くらい」


「十分じゃないの」


窓の外を見たまま答えた。


「最初から本気で怒れる人間は少ないだろ」


「だから厄介なんだよ。怒ってない市民は、風向きが変わったらすぐ逃げる」


振り返ると、みずきがノートパソコンを閉じた。


「報道の動きも変だよ。昨日から久世くん関連の検索数が跳ねてる。自然増じゃない気がする」


「黒瀬麗奈かな」


井口からも、気をつけろと念を押された人物だった。


時折、ニュース番組で見かける。

報道局プロデューサー兼キャスター。



「たぶんね。過去番組を見る限り、編集がかなり上手い」


「マスコミって、そういうもんじゃないの。善人にも悪人にも仕立て上げる連中だろ」


「おっ!久世くん、今日もいい感じに荒んでるね」


みずきが笑った。


(なかなか言うようになったな)


「でも、この人は特に危ない。被害者の涙を使って、物語を作るのがうまい」


小さく息を吐いた。


「……物語、ね」


事件には、物語などない。


あるのは、奪われた事実と、被害者。

そして、奪った者だけだ。


そこに感動も教訓も必要ない。


必要なのは、再発を止める仕組みと、奪った側への処理だけだ。


「久世」


ひとみが、ずかずかと事務所に入ってきた。


「最終演説と報道対応で使う政策文言、見たで。まあ、あれでええんちゃう」


「ありがとうございます」


「ただし、言い方間違えたら一発で燃える。記者の質問には気ぃつけろや」


「例えば?」


「デポルをどうしたいですか? 『はい、私はデポルを皆殺しにしたいです』とかやな」


めぐみが肩をすくめて笑う。


「恒一の本音じゃん」


「さすがに言いませんよ。馬鹿にしすぎでしょ」


「え?馬鹿じゃん…」


めぐみの本気の吐露に、ひとみは爆笑する。


「まあ馬鹿やな。ただ、記者は切り取れる言葉を探しに来る。だから気をつけろや」


「分かりました」


少し遅れて、山上が紙袋を片手に入ってきた。


「商店街の会長、二件は取れた。あと一件は保留。勝ち馬には乗りたいけど、目立って叩かれるのは嫌なんだと」


「普通だね」


「普通だよ。みんな正義より営業日を気にしてる。店に変な電話が来る方が怖いんだろ」


「責める気はないよ」


山上は紙袋から資料を出した。

中には商店街ごとの要望がまとめられていた。


街灯。

防犯カメラ。

巡回強化。

夜間営業の不安。


「表向きは、治安と商売の話に絞った方がいい。難しい思想を出すより、夜に店を閉めるのが怖いとか、従業員を守りたいとか、その方が伝わる」


「なるほど、助かる」


山上は資料を指で押さえたまま、こちらを見る。


「ただ、久世。商店街の人らは、お前の思想に乗ってるんじゃない。自分の店と家族を守りたいだけだ」


「それでいいさ」


資料に目を落とした。


「守りたい理由があるなら、十分だと思う」


続いて、あさみが資料を抱えて入ってきた。


「ごめん、遅れた。護身研修の資料、修正した。女性向けと高齢者向けで分けた方が反応いいと思うよ」


「ありがとうございます」


あさみは、護身研修と防犯政策の表の顔として、前に出てもらっている。


五年前、金が払えず野垂れ死にかけていたあさみを、めぐみが連れ帰ってきた。

今では、そのあさみが人前に立って、防犯を語っている。


人生は、たまに悪趣味なほど形を変える。


「あとは、防犯政策の説明だね」


あさみは資料を机に広げた。


「怖がらせすぎるのは逆効果。特に女性向けは、危険を煽るより、できることを増やす感じにした方がいい」


「なるほど」


素直に頷く。


(山上もあさみも熱心に働いてくれる、めぐみのおかげだな)


ふとめぐみを見ると、私が連れてきたと言わんばかりのドヤ顔だ。


この会議室には、二種類の人間がいる。


表を支える者。

裏を知る者。


山上とあさみは、会社と選挙を支える側。

後援会を回り、商店街の声を拾い、市民に見せる言葉を整える。


二人は、俺たちが何を壊してきたかを知らない。


少なくとも、知らないことになっている。


それでいい。


巻き込まないことも、守る方法の一つだった。


「当選後の会見は、この方向で固めるよ。みんなありがとう」


資料を閉じた。


「治安、防犯、被害者支援、行政改革。この四つに絞る。デポルという言葉は使わない。加害者の属性にも踏み込まない」


「それがええ」


ひとみが頷いた。


「市民に見せる言葉は、それでええ。あとは、聞かれた時に余計なこと言わんことやな」


「善処します」


「まあどうせボロでるやろ」


ひとみは笑っている。


山上が時計を見た。


「じゃあ、俺は商店街の返事をまとめとく。明日の朝までに一覧にする」


「頼む」


あさみも資料を抱え直した。


「私は研修案を作り直す。女性向け、高齢者向け、店舗向けで三つ」


「お願いします」


山上とあさみは、会議室を出た。


扉が閉まる。


空気が変わった。


椅子には座らなかった。

めぐみはタブレットの画面を切り替えた。

みずきはノートパソコンを開いたまま、別のファイルを呼び出した。


ひとみは、山上とあさみが出ていった扉を一度だけ見た。


「ここからは、ニュースに流れたら終わる話やな」


「ええ」


短く答えた。


黒瀬麗奈。

井口おさむ。

大阪市長選。

そして、東京。


表に出す政策は整った。


だが、政策だけで選挙は終わらない。

選挙は、言葉を並べる場所ではない。


誰かに見つけられ、値札を貼られ、好きな形に並べ替えられる場所でもある。


黒瀬麗奈。


その名前が、みずきの画面の端に残っていた。


本当に話さなければならないことは、ここからだ。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです( ^ω^) #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公
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