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第51話:黒い血_黒の祝福編③

ーーめぐみフェーズ


徳島・防緑総合病院。


山上を拾った翌日。


私は、再び母のいる面会室へ向かった。


昨日の面会後、母は少し不安定になったらしい。


それでも、会えるなら会う。


扉の向こうで、母は昨日と同じ古いノートを抱えていた。


「お母さん」


母が顔を上げる。


「……めぐみ」


昨日より、はっきりしている。


「大きく、なった」


「そりゃね」


母は目を伏せた。


「ごめんなさい」


また、謝罪から始まった。


「何に謝ってるの?」


「殴ったこと」


覚えていた。


都合よく忘れていたわけではない。


それには、少しだけ安心した。


同時に、腹が立った。


覚えているなら、なぜ何も話さなかったのか。


なぜ私は、理由も分からないまま殴られ続けたのか。


「そのノート、お父さんの?」


母の肩が跳ねた。


「見せて」


「だめ」


「どうして?」


母は、ノートを胸へ押しつける。


「これがないと、忘れる」


「何を?」


しばらく沈黙した後、母が答えた。


「私は、人でいたかった」


母は、自分がデポルだと認めた。


お金。


居場所。


身体。


命。


それらを奪ることでしか生きられない自分が嫌だった。


誰かから奪うくらいなら、死んだ方がいい。


そう考えていた時、父と出会ったという。


「お父さんは、知ってたんだ」


母は頷いた。


「私が何なのか。何をしたくなるのか。全部話した」


「怖くないのって聞いた。気持ち悪くないのって聞いた。私は人間じゃないって言った」


「お父さんは?」


「英子は英子だって」


単純な言葉だった。


だが、母にはそれが必要だったのだろう。


「私が奪らずに生きたいと言ったら、一緒にそうしようって言ってくれた」


母の声が柔らかくなる。


「あの人がいたから、私は人でいられた」


父がいた頃、母は衝動を抑えられた。


父を失い、その支えも消えた。


私が知っていたのは、父の死で母が壊れたという結果だけだ。


壊れた理由までは知らなかった。


「お父さんを殺した奴のことも、知ってるんでしょ?」


母の顔が固まった。


「昔、付き合っていた人がいたの」


「デポル?」


母が頷く。


その男は、人間のふりをやめて自分たちの側へ戻れと母に迫った。


奪えばいい。


お前はデポルだ。


何度断っても、諦めなかった。


そして、私を守った父を車で轢いた。


「私は、夫を死なせた」


母の声が震える。


「あなたも守れなかった。怒りも恐怖も、全部あなたにぶつけた」


母は頭を下げた。


「殴った。怒鳴った。刃物で傷つけた。本当に、ごめんなさい」


事情は分かった。


父が母の正体を知っていたこと。


母を否定しなかったこと。


父の死によって母が壊れたこと。


壊れた母が、私へ暴力を振るったこと。


同情はする。


だが、許すかどうかは別だ。


「お母さん」


母が顔を上げる。


「お父さんを轢いた男、死んだよ」


母の目が止まった。


「隣にいた女のデポルも。二人とも、ちゃんと死んだ」


誰が殺したかは言わない。


必要なのは事実だけだ。


「私たちの家族を奪った奴は、もういない。そこは安心していいよ」


母はノートを抱えたまま、泣き崩れた。


看護師が近づく。


今日は、ここまでらしい。


面会室を出る前に、自分の手を見た。


母の血。


父の血。


デポルの血。


何が混ざっていても、私のすることは変わらない。



病院を出ると、雨が降っていた。


次に向かったのは、恒一が高校時代に通っていたキックボクシングジムだった。


古いビルの二階。


看板には、キックボクシング、護身、ダイエット、キッズクラスと書かれている。


全部を伝えようとして、何も伝わらなくなっている看板だった。


ジムの中は綺麗だった。


リング。


サンドバッグ。


手入れされたミット。


設備は悪くない。


ただ、人がいない。


奥から、背の高い女性が出てきた。


引き締まった身体。


整った顔。


目の下には、少し疲れがある。


「体験ですか?」


「見学です」


女性は営業用の笑顔を浮かべた。


「初心者でも大丈夫です。ダイエットでも、護身でも、本格的に強くなりたい人でも対応できます」


やはり、全部を売ろうとしている。


「あなたが、あさみさん?」


「そうですけど。誰から聞きました?」


「久世恒一」


その名前を出した瞬間、表情が変わった。


「……久世くんの知り合い?」


「はい」


「あの子、元気ですか?」


「元気ですよ」


あさみは、心底安心したように息を吐いた。


「危なっかしい子だったので。怖がりなのに前へ出るし、才能もないのに毎日来るし」


「才能、なかったんですか?」


「なかったです」


即答だった。


「右ストレートと右ハイキックを同時に出そうとして、転んでました」


想像すると笑えた。


「でも、練習は真面目でした。できないところを潰して、次の日にはまた来る。だから、ちゃんと強くなりました」


この人は、努力していた頃の恒一を知っている。


「先生には勝てたんですか?」


「三年間で三百回以上は相手をしましたけど、一度も負けてません」


少し偉そうで、誇らしそうだった。


私は改めてジムを見回した。


指導力。


実績。


設備。


本人の容姿。


売れる材料は揃っている。


見せ方が壊滅的なだけだ。


「もったいないですね」


「何がですか?」


「このジム。素材はいいのに、経営が下手です」


あさみの笑顔が引きつった。


「……あなた、何者ですか?」


「加藤ベアトリクスめぐみです」


「名前が強い」


「よく言われます」


あさみは意地を張るようにリングを示した。


「久世くんの知り合いなら、体験していきませんか。キックボクシングの良さを教えますよ」


「今日は服が悪いので、明日にしましょう」


名刺を一枚渡した。


恒一の会社。


取締役の肩書き。


あさみは、名刺と私を交互に見た。


「本当に、また来るんですか?」


「来ますよ」


ジムを出たところで、スマートフォンが震えた。


画面には、久世恒一。


山上のこと。


あさみのこと。


すだちぶりのこと。


話せることはたくさんある。


母のことだけは、まだ話さない。

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ここまで読んでいただきありがとうございます。 この物語は 「正義と暴力の境界」 「人間と異種の曖昧さ」 をテーマに進んでいきます。 少しでも続きが気になれば、 ブックマーク・コメントで応援いただけると嬉しいです。 #現代バトル #社会問題 #ダークヒーロー #復讐 #高校生主人公 #社会風刺
― 新着の感想 ―
デポルの血を引く人間。 デポルのどんな部分が遺伝してるのか。 キックボクシング。
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