第4話:駆除
なぜだか分からないが、俺は殺されたあの日から、一九九七年七月へ飛ばされた。
小学二年生から、人生をやり直すことになった。
司法試験までの道筋を引いた。
邪魔もあった。
それでも、全部潰して進んだ。
八年。
それで、ようやく合格まで辿り着いた。
だが、その話は今どうでもいい。
目の前の害虫を、潰す方が先だ。
五匹中、四匹は倒した。
代償は、左腕一本。
残る一匹が、なかなかしぶとい。
「このゴキブリ野郎が……!」
左腕の上腕あたりに、ナイフが突き立てられている。
出血がひどい。
指先の感覚が薄い。
腕が、自分のものではないみたいに重い。
それでも、駆除を止める理由にはならない。
瀕死の一匹が、ポケットを探り始めた。
刃物か。
スタンガンか。
携帯か。
何でもいい。
出させるわけにはいかない。
銃砲刀剣類所持等取締法第二十二条。
何人も、正当な理由によらないで、刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を携帯してはならない。
頭の中で、条文が浮かぶ。
「させるか」
距離を詰める。
相手の左手へ蹴りを入れた。
手元が弾かれる。
怯んだ隙に、頭を掴む。
膝を叩き込む。
一度。
二度。
それでも、倒れない。
頑丈すぎる。
身体は鍛えた。
だが、技術はまだ足りない。
力任せに壊そうとしているだけでは、上手くダメージが入らない。
ほんの少し、気弱になった。
その隙を見たのか、掠奪種が口を開いた。
「オ、オマエ、コンナコトシテ、ドウナルノカ、ワカッテ……イルノカ?」
「あんたらの死骸の山が増えて、片付ける人に迷惑がかかる」
息を整える。
「それ以外は、分かりませんね」
時間稼ぎか。
命乞いか。
それとも増援を呼ぶつもりか。
どちらにせよ、長引かせるのはまずい。
こいつを逃がせば、俺の特徴が早々に割れる。
大阪での動き方も変えなければならない。
それは面倒だ。
「ボスガ、オマエヲホウッテハオカナイ。ダガ、イマオレノ、ナカマニナレバ……」
なるほど。
そういう筋書きか。
恐怖で縛る。
甘い餌を見せる。
相手が揺れたところで、殺す。
こいつららしい。
俺は息を吐いた。
「分かった」
ゆっくり歩み寄る。
「正直、俺もきつい。左腕にナイフは刺さってるし、頭も痛い。これ以上は厳しいと思ってた」
本音だった。
痛い。
怖い。
息も上がっている。
目の前の一匹を殺せても、次に誰かが来たら終わる。
だが、それでも。
「バカガ! オマエハ、ココデシヌンダヨ!」
デポルがポケットから何かを引き抜く。
スタンガン。
こちらへ向けられる。
予想通りだった。
俺は半歩ずらして、左腕に刺さったナイフの柄を握った。
抜く。
熱い痛みが、肩まで走った。
視界が一瞬だけ白む。
それでも、止まらない。
踏み込む。
ナイフを突き立てた。
胸。
腹。
もう一度、深く。
肉を裂く感触が、手のひらに残る。
慣れたくはない。
心の底から、そう思った。
「コノ、ヒキョウ、モノ……ガ」
「卑怯がお前らだけの専売特許だと思うなよ」
ナイフを引き抜く。
相手の身体が崩れかける。
まだ、息がある。
まだ、手が動く。
だから、終わらせる。
喉元へ刃を当てた。
ためらいはなかった。
横に引く。
血が噴き出す。
生温かいものが、手と服にかかった。
ようやく、静かになった。
俺はしばらく動けなかった。
左腕が熱い。
頭が痛い。
息が荒い。
五匹。
倒した。
だが、勝った気はしなかった。
立っているのが、やっとだった。
視線を落とす。
路地裏に転がる、五つの身体。
人間の形をしている。
人間の服を着ている。
人間の言葉を使っていた。
だが、人間ではない。
そう思わなければ、膝が折れそうだった。
「……まだ、足りない」
呟いた声は、自分でも驚くほどかすれていた。
一匹殺しても、何も変わらない。
五匹殺しても、何も戻らない。
冴子さんは戻らない。
あの夜も消えない。
けれど、五匹分は減った。
それだけは事実だ。
俺は壁に手をつき、呼吸を整える。
左腕から血が落ちる。
まずい。
このままでは、俺も倒れる。
それでも、少しだけ笑った。
人生をやり直した意味。
司法試験に受かった意味。
身体を鍛えた意味。
大阪に来た意味。
それら全部が、この路地裏に転がっている。
俺は、奪われる側で終わらない。
奪う側を、奪い返す。
そう決めた。
だから、まだ終われない。
ふらつく足で、路地の出口へ向かう。
通りの明かりが、遠くに見えた。
あの光の向こうでは、普通の人間たちが普通に生きている。
笑って、歩いて、飯を食って、帰る場所へ帰る。
その当たり前を、こいつらは奪う。
なら、俺は奪い返す。
法で。
暴力で。
使えるものは、全部使って。
俺の二度目の人生は、ようやく意味を持ち始めていた。




