第47話:二階堂崩し(中編)_選別都市大阪編⑭
ーー大阪市内・倉庫街
倉庫街は、夜になると別の生き物みたいになる。
昼間の大阪とは違う。
人の声は遠い。
海の匂い。
錆びた鉄の匂い。
トラックの排気音。
ひとみは、倉庫から少し離れた路地に車を止めた。
「私とみずきはここで待機。逃げる時は合図せえ」
「分かりました」
「みずき、状況は?」
後部座席のみずきが、ノートパソコンを開いたまま答える。
「今見えてるカメラで、都度デポルたちの様子を共有するよ」
「お願いします」
画面には、倉庫前の道路が映っていた。
大型のトラックが一台。
人影が複数。
その奥に、倉庫のシャッターが半分だけ開いている。
「さて…」
俺は車を降りた。
めぐみも続く。
ひとみが窓を開けて、短く言った。
「目的は、証拠及び証人やで」
「わかってますよ」
「殺すんが目的ちゃうで」
「しつこいな…人を殺したがりのように」
めぐみが隣に並ぶ。
「恒一」
めぐみは、護身用の小型ナイフを手にしていた。
ひとみが渡したものだ。
「使い慣れてないと思うから、あくまで牽制用ということで」
「うん」
「基本は俺の後ろから離れず、どうしてもの場合は合気道で」
「分かってる」
俺たちは、倉庫へ近づく。
搬入口の近くに男が一人立っている。
普通の服。
普通の顔。
普通の体格。
だが、目が違う。
(よし、まずは一人目…)
「恒一、ちょっと待って」
めぐみに手首を掴まれた。
ほんの一瞬だけ。
「なに?」
「おまじないだよ」
(どういうこと?)
「もういいから集中して」
「……」
身体中に、電気が走るような感覚。
これまでに、二度ある。
血管や血液の流れ。
筋肉の動かし方。
相手の動き。
手に取るようにわかる。
(こいつ…何かしたのか)
いや今は考える時間はない。
時間との勝負だ。
前を向き直す。
こちらを見る目が、荷物を数える目だった。
「誰や」
男が言う。
「播磨先生から」
その名を出した瞬間、男の表情が変わった。
男の肌が赤黒く滲む。
動き出しが速い。
拳が飛んできた。
遅すぎる。
俺は半歩引いてかわす。
俺は男の腕を外へ流し、足を踏み抜いた。
膝が崩れる。
口を手で覆い、頸動脈を掻き切った。
めぐみが隣で息を詰めている。
彼女の顔色が、ほんの少し悪い。
目の前でデポルを殺したからか。
「めぐみ」
「平気」
短い。
倉庫の中から声がした。
「何だ?」
一人。
二人。
三人。
赤黒い肌が暗がりに浮かぶ。
殺したデポルがバレないよう、ゆっくりと木陰へ移動させた。
俺はナイフを持ち直す。
「めぐみ、後ろ」
「分かってる」
三人にバレないように、倉庫内へ入る。
中は広い。
段ボール。
木箱。
パレット。
フォークリフト。
作業机。
事務室。
そして、奥に人影。
三十には届かない。
だが、見える範囲だけで十数人。
隠れている数を入れれば、真壁の言った通りだろう。
木箱や段ボールが山積みになっている。
その隙間から、影に引っ張り込む。
口を覆い、首を掻き切る。
一人ずつ。
丁寧に。
迅速に殺していく。
「だ、誰か入ってきてるで!?」
奥の男が言った。
(まだ五人しか殺せてないが…)
あっさりバレてしまった。
どこかの″蛇″でもなければ、上手くはいかないようだ。
普通の肌。
作業服。
運転手のような格好。
だが、周りのデポルがそいつの顔色を見ている。
あれが現場責任者か。
「通りすがりですよ」
「夜中に倉庫へ?」
「治安確認です」
現場責任者の顔が歪む。
「や、やれ!!」
短い命令。
一斉に来た。
俺は前に出た。
身体が、いつかと同じように動いた。
速い。
軽い。
力の出し方が、分かる。
しかし時間がない。
証拠がいる。
責任者がいる。
だから、基本的には足を潰す。
最初の一人。
踏み込み。
太腿へナイフを入れる。
深く。
二人目。
左胸に目掛け、ナイフを突き刺してくる。
ナイフを所持した右腕の肘を上から叩く。
ナイフがデポル自身に突き刺さる。
ガラ空きの心臓にナイフを突き立てた。
三人目は、首を狙ってくる。
俺は肩で受ける。
痛みは遠い。
ナイフを逆手に持ち替え、相手の足と腹に突き込む。
崩れたところで、首を切り裂く。
倒れる。
振り返ると、めぐみが二人制圧していた。
(ちっ、天才め…)
初の実戦。
しかし捌きがうまい。
デポルの一人が、めぐみへ突っ込む。
「めぐみ!」
めぐみは逃げなかった。
半歩ずれる。
相手の腕を取る。
体を入れ替える。
相手の勢いが、そのまま床へ落ちた。
ポケットから出したナイフを躊躇なく、首に当てる。
無駄がない。
デポルは静かに息絶えた。
次。
次。
次。
周りのデポルを蹴散らし進む。
足。
腕。
肩。
太腿。
刺す。
殺せるなら殺す。
だが、殺すことに時間を使わない。
動けなくすればいい。
倉庫内に怒号が飛ぶ。
「止めろ!」
現場責任者が叫んでいた。
「お前ら、そいつ止めろ!」
だが、止まらない。
止められない。
身体が軽い。
だが、同時に分かる。
この感覚は長く続かない。
前と同じだ。
だから、その間に一気に行く。
俺は作業机を蹴って飛び越えた。
現場責任者との距離が詰まる。
そいつは後ずさった。
「ま、待て!」
人間の肌。
赤黒くならない。
目も変わらない。
ただの人間だ。
とりあえず、勢いのまま顔面を殴りつけた。
「ふう。で、あなたは人間ですか?」
「そ、そうや!俺は人間や!」
「責任者ですね」
「違う!ただの運転手や!」
嘘だ。
周りのデポルが、こいつの指示で動いていた。
俺はナイフを向ける。
「台帳はどこですか」
「知らん!」
一歩近づく。
「もう一度」
「知らんって!」
背後からめぐみが出てくる。
「恒一、時間がもったいない。殺そう」
めぐみは、ナイフを高く振り翳した。
(えっ!?マジで?!)
責任者の顔が青くなり、叫び出す。
「殺さんといてくれ!娘がおるんや!全部話すから!」
めぐみ。
本当に恐ろしい。
演技かどうかはわからなかった。
そしてこの男の言葉。
娘。
家族。
守るもの。
「脅されているんですか」
責任者の目が泳いだ。
「……そうや」
「誰に」
「二階堂側の連中や。断ったら家族を潰すって。俺は運んでるだけや。中身が何かなんて、最初は知らんかった」
「今は知っている」
責任者は黙った。
「台帳は」
「トラックの中や。助手席の下。端末もある」
俺はめぐみに目を向ける。
「拘束を」
「分かった」
めぐみが、結束バンドを取り出す。
責任者の手を縛る。
「暴れてもいいよ」
「暴れへん!暴れへんから!」
「めぐみ、先に車へ」
「恒一は?」
「台帳を取る」
めぐみは一瞬だけ迷った。
だが、頷いた。
「死なないで、あまり猶予はないと思うから」
「…? ああ、時間ね。わかってる」
責任者を連れて、めぐみが倉庫の裏口へ走る。
俺はトラックへ向かった。
『久世くん、聞こえる?』
イヤホンから、みずきの声。
「聞こえる」
『めぐみと男は出た。ひとみさんの車へ向かってる』
「こっちは台帳を取る」
『急いで。周辺カメラに五人映った。倉庫へ向かってる』
「どこから」
『北側。走ってる。たぶん増援』
「了解」
トラックのドアを開ける。
助手席の下。
あった。
紙の台帳。
古い業務端末。
全部、鞄に押し込む。
運転席側のキーも抜いておく。
これで、少なくともこのトラックでは追ってこられない。
トラックから降りた瞬間。
五人が見えた。
全員、肌が赤黒い。
走り方が普通ではない。
俺は息を吐く。
まずは、前衛の四人を捌く。
躱わして、腹に二回刺す。
動きが止まれば、首を切る。
プログラムされたように、何度も繰り返した動作だ。
距離が近いやつは前蹴りで距離を空ける。
近距離戦でも一人ずつ的確に殺す。
四人目を殺したと同時に銃声が鳴り響く。
そいつは、近づいてこない。
右手に、黒いものを持っている。
拳銃。
初めてだった。
拳銃を持ったデポル。
「……おいおい。ここは日本なんだぜ」
相手の顔も焦っていた。
みずきの無線がノイズのようだ。
『久世くん!逃げて!銃には勝てない!』
いや、逃げは悪手。
距離が空けば、狙われる。
銃に詳しくはないが、十発はあると思っておく。
二発目。
銃声。
壁が弾ける。
三発目。
床に火花。
乱発。
狙いは雑。
だが、近づけない。
普通なら。
俺は姿勢を低くした。
真っすぐ行くしかない。
銃弾は躱わせない。
だが、銃口の動きははっきり見える。
左右に逃げても読まれる。
距離を取れば撃たれる。
立ち止まれば終わる。
なら、前へ。
銃口がこちらを向く。
四、五、六発目。
意外と当たらないものだ。
あと、約三メートル。
この距離なら、ナイフの投擲で牽制できる。
その瞬間、左肩に熱が走った。
痛みはない。
いや、痛みが遠い。
弾丸が抜けた感覚だけがあった。
だが、俺は止まらない。
相手の目が見開かれる。
「な、な、なんで…」
距離が消える。
ナイフを心臓へ突き入れる。
深く。
相手の身体が硬直する。
さらに腹へ。
もう三度。
拳銃が落ちた。
デポルの膝が崩れる。
俺も膝をつきかけた。
『久世くん! 早く!』
みずきの声で、意識が呼び戻される。
鞄を抱え直し、走る。
左腕が重い。
力が入りにくい。
倉庫の裏口を抜ける。
ひとみの車が待っていた。
後部座席のドアが開く。
めぐみが青い顔で手を伸ばしている。
「恒一!」
めぐみの手を掴み、車へ飛び込む。
ひとみがアクセルを踏んだ。
車が夜の倉庫街を飛び出す。
背後で怒号が響く。
だが、追ってくる車はない。
トラックの鍵を抜けたのはよかった。
(俺にしては上出来だな…)
「肩!」
めぐみが叫ぶ。
「いやいや、大丈夫。痛いけどそこまでじゃ…」
言い終える前に、痛みが戻ってきた。
熱い。
肩の奥が焼ける。
視界が少し揺れる。
「いや、やっぱ痛い…救急箱を」
ひとみがミラー越しに見る。
「病院なんか行ってる場合ちゃうぞ?」
めぐみの鋭い目線に、俺が怯む。
「当たり前ですよ、播磨の事務所へ。応急処置で十分です」
正直、強がりだった。
しかし、ひとみの言う通り、時間はない。
播磨に考えさせる時間をこれ以上与えたくない。
みずきが、後部座席でノートパソコンを抱えながら震えていた。
「台帳は?」
俺は鞄を足元へ置いた。
「ある。あと、端末も」
みずきの目が変わる。
「見せて」
みずきは端末を開いた。
指が震えている。
でも、動きは止まらない。
責任者の男は、後部座席の床で拘束されていた。
顔面蒼白で、少し可哀想に見えた。
「お名前は?」
俺は男を見る。
「…坂田や」
「播磨健二を知っていますね」
坂田の肩が跳ねた。
「……知ってる」
「どこで」
「事件の後処理で、何度か。名前を出すなって言われてた」
「二階堂側との連絡役は?」
坂田は黙る。
俺は血で濡れた左肩を押さえながら、男の目を見る。
「娘がいるんですよね」
「や、やめてくれ!」
「別に脅しているのではありませんよ」
ナイフを拭きながら答える。
「これから播磨と会わせます。そこで全部話してください」
「話したら殺される」
「話さなくても、二階堂に殺されますよ」
坂田の呼吸が荒くなる。
「明日には証拠をメディアに流す。二階堂は失脚する。デポルの統制が効かなくなる。あなたに、顎で使われていたデポルたちは、あなたを野放しにしますかね?」
「そ、そんなの、信じられるか」
「信じる必要はありません」
俺は言った。
「選んでください」
坂田がこちらを見る。
「全部話して、別の庇護下に入るか。何も話さず、二階堂に消されるか」
「別の庇護って」
「今は言えません。けど、そのうちわかる」
ここで畳みかける。
「二階堂が失脚すれば、空いた場所に別の男が入ることになっている。その庇護下に入ることで
今よりかは状況が良くなりますよ」
「ほ、ほんまに、家族も?」
「保証はできません」
坂田の目が絶望に染まる。
俺は続けた。
「でも、二階堂よりはマシです」
それしか言えなかった。
それ以上は嘘になる。
坂田は黙り込む。
車内には、エンジン音と、俺の荒い呼吸だけが残る。
やがて、男は小さく頷いた。
「……話す」
「それが賢明ですよ、俺もほら。見た通り余裕がないんでね」
「む、娘には手を出すな」
「俺たちは出しませんよ」
俺たちは。
・
・
・
ーー播磨法律事務所
播磨健二は、一人で事務所にいた。
夜の法律事務所。
受付の照明は落ちている。
応接室だけに明かりがある。
播磨は、机の前で座っていた。
俺たちが入ると、顔を上げる。
そして、拘束された現場責任者を見て、表情が凍った。
「……なぜ、その男が」
知っている。
その反応だけで十分だった。
そして、俺の左肩を見ている。
銃弾の被弾により、左肩から袖まで、真っ赤に染まっている。
巻いている包帯にも血が滲む。
彼ならすぐに辿り着いたはずだ。
倉庫から、坂田を強奪してきたのだと。
「播磨先生」
俺は椅子に座らず、机の前に立った。
「今から確認します」
みずきがカメラを構える。
動画撮影。
ひとみは俺の隣に立つ。
めぐみは画角の外。
責任者の男、坂田は椅子に座らされている。
手は拘束したままだ。
「この男を知っていますね」
播磨は黙った。
ひとみが口を開く。
「黙秘するんか? まあ自由やけどな」
播磨の顔が歪む。
「……知っている」
みずきのカメラが、静かにその顔を捉える。
俺は坂田に向く。
「あなたは何をしていましたか」
坂田は唇を震わせた。
「東京から連れて来たデポルを、大阪の倉庫で受け入れて、民泊や派遣先に振り分けてた」
播磨が目を閉じる。
坂田は続ける。
「番号で管理して、民泊に送る。働けるやつは派遣会社へ。問題を起こしすぎる奴らは別の場所へ移す」
「誰の指示ですか」
「……直接、誰かから聞いたことはない。けど…」
坂田は名前を言う。
「二階堂、大阪市長やと思う」
「ほう。それはなぜ?」
「俺に指示する何名かが、二階堂さんからの指示やって言うたり、市長の命令だって言うから…」
「他にも連絡役では、〇〇や△△という奴もいて…」
二階堂の政治団体に出入りしていた男の名前。
みずきが横で小さく頷く。
事前の資料と一致したのだろう。
俺は播磨を見る。
「播磨先生。この流れを知っていましたね」
播磨は、しばらく何も言わなかった。
やがて、ひどく疲れた声で答える。
「一部は」
「一部とは?」
「事件後に、加害者を移す流れだ。示談交渉中、身柄を隠す場所が必要になることがあった」
「石津も?」
沈黙。
俺は、血塗れの拳を固める。
「そ、そうだ。石津もだ」
ひとみが淡々と聞く。
「示談金の出所は?」
播磨は目を伏せる。
「二階堂側の支援団体を通っていた」
「検察には?」
「話を通す窓口があった」
「誰ですか」
播磨は名前を言った。
その瞬間、みずきの指が小さく動いた。
カメラは回り続けている。
坂田が、震える声で言った。
「俺は脅されてた。娘がいる。断れなかった」
播磨も、ほとんど同じように言った。
「私もだ。断れば、消されると思った」
ひとみが笑った。
冷たい笑いだった。
「二人とも被害者面は上手いな」
誰も言い返さない。
みずきに合図を送り、動画は終了させた。
俺は、録音中のICレコーダーを見せる。
そして播磨に向き直す。
「先生。これであなたは完全にこちら側です」
播磨の顔が青くなる。
「分かっている」
「明日、証拠を出します」
「出せば、二階堂は」
「確実に失脚するでしょう」
俺は言った。
播磨は、力なく椅子にもたれた。
「私はどうなる」
「俺たちに協力する限り、守ります」
「君たちに、そんな力があるのか」
「俺たちだけでは無理です」
俺は正直に言った。
「だから、″井口おさむ″を使う」
播磨の目が揺れた。
坂田も息を呑む。
ひとみが、資料をまとめながら言った。
「最悪やな」
「ええ」
俺は頷いた。
「でも、二階堂よりはマシです。ここにいる誰にとっても」
俺たちは、証言と証拠を持って事務所を出た。




