第45話:諸悪_選別都市大阪編⑫
ーー大阪市内・会員制ホテル
ホテルの裏口は、妙に静かだった。
大阪の夜は明るい。
人も多い。
声も音も絶えない。
だが、一歩奥へ入れば、急に別の街になる。
専用エレベーター。
無表情な警備員。
余計なことを聞かない受付。
全部が、見て見ぬふりに慣れている。
俺はトートバッグを肩にかけ直した。
中には最低限の道具が入っている。
ナイフ。
録音機。
資料。
それから、以前めぐみに持たされたGPSと盗聴器。
奴のことだ。
恐らく、聞いているだろう。
エレベーターの扉が開く。
廊下の奥に、真壁が立っていた。
「やあ。早かったね」
「早くと言ったのはそちらでしょう」
「立花さん、助かってよかったね」
「暴行は受けていますけどね」
真壁は薄く笑う。
「そう睨むなよ。最悪の事態にならなくてよかったじゃないか」
「……」
今ここで殴っても意味はない。
そう自分に言い聞かせる。
「井口さんが待ってる」
真壁が扉を開けた。
中へ入る。
広い部屋だった。
大きな窓。
大阪の夜景が、ガラスの向こうに広がっている。
その前に、井口おさむが立っていた。
徳島県庁で見た時と同じような構図。
徳島県知事。
デポル。
管理者。
そして、いずれ殺す対象。
「久世恒一くん」
井口がこちらを見る。
「二階堂傑の話をしよう」
余計な挨拶はなかった。
井口は、テーブルに資料を置く。
大阪市内の地図。
いくつもの施設名。
線で結ばれた人名。
中心に、二階堂傑。
「大阪のデポルは、ただ暴れているわけではない」
資料に目を落とす。
違法民泊。
運送会社。
人材派遣。
福祉団体。
播磨法律事務所。
検察関係者。
「二階堂は、デポルを大阪に混ぜ続けている」
井口が続ける。
「人として住ませ、働かせ、票にし、必要なら事件を揉み消す。共生という言葉で包んでいるが、実態は侵蝕だ」
「あなたも変わらないと思いますが?」
「いいや。私は管理できるデポルしか残さないようにしている」
「徳島のデポルは暴れていましたよね?」
「それは君が無茶をするからだろう」
くだらない舌戦だ。
井口は表情を変えない。
「私は檻を作る。二階堂は檻を壊す」
「それで?」
「被害が少ない方は選べる」
気に入らない言葉だった。
けれど、すぐに否定できなかった。
石津を見た。
タムラを見た。
播磨を脅した。
みずきが襲われた。
大阪に来てから、俺はずっと答えを突きつけられている。
殺せば済む個体。
殺したくなる個体。
殺す理由が見つからない個体。
その全部を、同じ言葉で処理できなくなっている。
「で、どう倒すんですか」
俺は、胸の奥のもやつきを遮るように聞いた。
「二階堂本人を殺しても意味はないんでしょう」
「そうだ」
井口は、地図の中心を指で叩いた。
「二階堂は、本人より仕組みが厄介だ。だから本人ではなく、仕組みを潰す」
「具体的には?」
「やることは一つだ」
井口は資料をめくる。
「生活基盤を潰す」
「生活基盤?」
「二階堂は、デポルを大阪に入れ、住ませ、働かせ、事件を起こせば別の場所へ逃がしている。その流れを止める」
資料には、いくつもの施設名と会社名が並んでいた。
井口が指で示していく。
「違法民泊は、住まわせる場所。運送は、移動させる手段。人材派遣は、働かせる窓口。福祉団体は、表の看板だ」
真壁が壁際で軽く手を上げる。
「そこに関しては、俺が内部情報を渡すよ」
「播磨は?」
俺が聞くと、井口は薄く笑った。
「事件後の流れを吐かせる。示談金の出所。逃がした個体の移動先。二階堂側の連絡役」
なるほど。
播磨で事件処理の情報を取る。
真壁で二階堂側の内部情報を取る。
みずきが、それを繋ぐ。
ひとみが、表の法で叩く。
「で、どう潰すんですか?」
「彼が嘲り続けた”法で”叩くんだよ」
井口は言った。
「違法民泊は消防、衛生、建築。運送は労務、道路、税務。人材派遣は契約、社保、賃金。福祉団体は補助金と政治資金」
暴力ではない。
行政手続き。
告発。
監査。
報道。
証拠の流出。
街の血管を締めるやり方だった。
「つまり」
俺は資料を見ながら、口に出した。
「潰すべきは、デポルそのものではなく、二階堂が作ったデポルを大阪に住ませる仕組み」
もっと端的に言うと——
「デポルの生活する方法を奪う」
自分で言語化し、嫌な納得が腹の底に落ちた。
だが、一つだけ引っかかる。
「デポルは、どこから来ている?」
井口が、わずかに頷いた。
「東京だよ」
その名前だけで、部屋の温度が少し変わった気がした。
東京。
国の中心。
金の中心。
情報の中心。
権力者が集まる場所。
「何故だか分かるか?」
井口が問う。
俺は、頭の中にある仮説を並べた。
「どこで、どのようにデポルが発生したかは分からない。だが各地域に存在する。人間の女性を襲い、繁殖を続けてきた」
井口は黙っている。
「そして、大阪や東京のような都会には権力者が集まる。そいつらがデポルを使って利権を得るために、地域からデポルを集める」
真壁が、少しだけ口角を上げた。
俺は続けた。
「東京から大阪に流しているなら、東京側では何かしらの準備が整っている。及び、デポルのストックが大量にある」
井口は表情を変えない。
「どちらにせよ、二階堂すらも駒。そして現状として、大阪を中心にデポルを浸透させたい」
ようやく、井口が口を開いた。
「情報が少ない中、いい仮説だ」
正解とも、不正解とも言わない。
嫌な言い方だ。
「一つ、教えておいてあげるよ。君の敵の名を」
「敵の名?」
「ああ。チンケなデポルを数百と殺したところで意味はない。そしてこの名を聞けば、私との協力関係はより強固になるかもしれない」
もったいぶった言い方だった。
おっさん特有の知ったかぶりか。
人間らしい振る舞いをしやがって。
井口は静かに言った。
「日本の総理大臣。国のトップ、”高宮誠一郎”」
「……それはどこ情報ですか」
「私の仲間も、各所に散っているとだけ」
信用できない。
井口も。
真壁も。
その情報も。
だが、面白半分で雑なことを言う男ではない。
「もっと驚くと思っていたけどね」
真壁が横から口を挟む。
「俺たちが必死に集めた情報なんだよ? どうだい? 国のトップが、デポル国家を作ろうとしているんだぜ。東京と大阪から」
驚いてはいる。
だが、その情報が本物なら、願ってもない。
俺は、総理大臣になるつもりだったから。
高宮がデポルだろうが。
人間だろうが。
どんな手を使ってでも——
殺してでも、その席を奪い取る。
いずれぶち当たる壁が、姿を現したに過ぎない。
井口が笑った。
「悪党の顔をしているな」
「あなたに言われたくありませんね」
「話が脱線した。今は片隅に置いておけばいい」
井口は、地図へ視線を戻した。
「まずは大阪だ」
そうだ。
今は高宮ではない。
東京でもない。
目の前の二階堂を、どう潰すか。
俺は資料を見る。
「二階堂を殺すんじゃない。二階堂の街を殺す」
分かりやすい。
「二階堂本人はどうする?」
「逃げるさ」
即答だった。
「あの男は沈む船に残らない」
「なら殺せないが?」
「大阪ではな」
井口はあっさり言う。
「だが、大阪から追い出し、中心を空けられる」
「そこにあなたが入ると?」
「そうだ。だが大阪市長ではない」
井口は資料を閉じた。
「来年の総選挙で、衆議院になる。大阪で出馬する」
「徳島県知事が、大阪で?」
「大阪には票がある。デポルがいる。二階堂が作った地下の生活基盤もある。そして、私自身の知名度もある」
確かに、ニュースでは何度も見た。
井口は二階堂に負けじと、メディアに出ていた。
徳島だけの政治家で終わる気など、最初からなかったのだろう。
「徳島にデポルを集めていた理由も同じだ」
井口は続ける。
「大阪からデポルを抜き、二階堂の地盤を弱らせる。ついでに徳島に票を増やし、私の後釜を勝たせる」
「人間もデポルも票ですか」
「政治家にとってはな」
「勉強になります」
皮肉のつもりだった。
だが、笑えない。
俺も今後、似たようなことをすることになる。
「政治とは、最低なものを最低なまま動かす技術だ」
井口は淡々と言った。
「徳島から四国へ。大阪から関西へ。両方を抑えれば、私は国政で発言力を持てる」
「デポルのために?」
「違う」
即答だった。
「人間社会を壊さないためにだ」
嫌な言葉だった。
デポルのくせに、”人間”のようなことを言う。
暴力だけでは足りない。
法だけでも足りない。
なら、強制できる仕組みがいる。
その方向性は、井口に近い。
「久世くん」
井口が言った。
「君はデポルを殺すと言う」
「ええ」
「では、殺す順番はどう決める」
答えない。
「目の前にいる個体からか。被害を出した個体からか。これから被害を出す可能性のある個体からか。それとも、血が濃い順か」
井口の声は静かだった。
「それを決めることを、選別と言う」
胸の奥が冷える。
「俺はあなたとは違う」
「今はな」
その言葉だけが、妙に重い。
資料を手に取る。
「情報は受け取ります」
「協力すると?」
「するしかないでしょう。個人情報も仲間も監視されている」
井口は、薄く笑った。
「そうかな。君はいざとなれば、仲間も切り捨てるタイプだと思っているが」
その顔が、心底気に食わなかった。
資料を鞄に入れる。
「では準備して、明日には動きますよ」
「そうだな」
「この話は終わりで?」
「ああ」
井口の声が、少しだけ変わった。
「別件を一つだけ伝えておく」
試すような目をしている。
「何か?」
「君の仲間の母親を調べてみるといい」
空気が止まった。
「……誰の」
分かっていた。
だが、聞いた。
井口は静かに言った。
「加藤ベアトリクスめぐみ」
喉の奥が固まる。
「……」
「確証はない。だが、君は勘づいているのではないか?」
井口は真壁に目を向けた。
真壁が、一枚の封筒を置く。
「二階堂の戸籍偽装ルートを追っていた時、引っかかった名前がある」
井口が言う。
「彼女の母。名は、加藤英子」
封筒を見る。
触れたくなかった。
「旧姓、間口英子は、既に死んでいる」
「……」
「戸籍を乗っ取っている可能性が高い」
思わず唾を飲み込む。
「なぜ今それを?」
「今すぐ動く必要はない。まずは二階堂だ」
「なら、言う必要もないでしょう」
「ある」
井口の目が、こちらを捉える。
「君は、いずれ線を引く側に回る。その時、自分の隣だけ見ないふりをするなら、君はただの身内びいきだ」
「黙れ」
声が低くなった。
真壁が、わずかにこちらを見る。
井口は動じない。
「君がどんな選別を見せるのか。とても楽しみだ」
「……」
「君が思っているより、デポルの血は薄く、広く、消えにくい」
封筒を掴んだ。
握り潰しそうになるのを、かろうじて止める。
何も答えない。
封筒を鞄に押し込み、背を向けた。
扉へ向かう。
真壁が後ろから声をかけてきた。
「ねえ、久世くん」
振り返らない。
「はるばる大阪まで来ても、井口さんの手のひらの上って気分はどう?」
答えなかった。
心底、気に食わないに決まっている。
それでも。
今は、その手のひらを踏み台にするしかなかった。
廊下へ出る。
大阪の夜は、まだ明るい。
二階堂を叩く道筋は見えた。
だが、胸の奥には別の名前が刺さったままだった。
めぐみ。
その母親。
加藤英子。
めぐみは、この会話を盗聴しているかはわからない。
吐き気を押し殺しながら、俺は歩き出した。




