第39話:一線_選別都市大阪編⑥
ーー大阪・久世事務所
みずきの指が、キーボードの上で止まった。
「……また出た」
その声で、室内の空気が変わる。
俺は資料から顔を上げる。
「何が?」
「この事件」
みずきが画面をこちらへ向ける。
小さなネット記事だった。
見出しは、どこまでも曖昧だった。
『大阪市内で女性被害か 知人男性から事情聴取』
知人男性。
女性被害。
事情聴取。
本当に必要な言葉ほど、いつも隠れる。
記事を読む。
被害女性は二十代。
深夜、大阪市内の女性のアパート室内で襲われた。
男は一度、警察に事情を聞かれた。
だが、容疑を否認。
「……」
音が消えた。
呼吸は乱れない。
手も震えない。
ただ、腹の底に、熱いものが落ちていく。
一滴ずつ。
粘ついた油のように。
みずきが続ける。
「あと、ひとみさんからメールきてる」
みずきがメール画面を開く。
水谷ひとみからの短い文面。
——被害者の代理人になることになった。
——特徴を聞いた。
——たぶん、初日に逃した奴の一人。
——石津や。
石津。
大阪に来た初日、路地裏で女を囲んでいた三人のうちの一人。
俺が仕留め損ねたデポル。
「石津の前科は分かる?」
みずきが検索する。
「不起訴が一件あるみたい。同じような事件で…」
不起訴。
再犯。
強姦。
被害女性。
証拠不十分。
俺ゆっくりと目を閉じる。
「反省して、またやったんだ」
みずきの声が震えていた。
怒りだ。
怖がっているのではない。
(それは違う。反省はしていない)
奴らは息をするように、奪う、犯す、壊す。
俺たちが朝起きたら顔を洗うのと同じ。
めぐみは黙って記事を読んでいた。
表情は変わらない。
俺は画面の文字を見つめた。
容疑を否認。
その一文が、やけに滑稽だった。
「恒一」
めぐみが呼ぶ。
「大丈夫だよ」
「まだ何も言ってない」
俺は画面へ視線を戻した。
加害者の名前は出ていない。
被害者の名前も出ていない。
加害者は曖昧に守られ、被害者は曖昧に消える。
いつもの構図だ。
ふと、ある思考を閃く。
(人の人権を奪う者の人権は、守らなくていいのではないか)
思考がクリアになってくる。
今までの俺は甘かった。
ただ″殺す″、というのは、場合によっては救済になってしまうのではないか。
手段が甘かった。
警棒で頭を砕く。
ナイフで腹を突き刺す。
これでは甘い。
もっと複雑に、もっと大多数を。
今の俺ならなんだってできる気がする。
ゆっくりと息を吐き、思考を言語化する。
「石津を逃がした人間も、逃がす仕組みも、まとめて潰す」
「どうやって?」
みずきが聞く。
「まずは、社会的に殺そう」
みずきが息を呑んだ。
「石津の名前は、ニュースには出ていない」
めぐみが言う。
「ひとみさんは被害者から特徴を聞いてる。初日の件とも一致してる」
「でもそれは、証拠にならないじゃん」
「作るんだよ」
俺は答えた。
「……何する気?」
みずきの声が低い。
「証拠を作る」
沈黙。
「ひとみさんは被害者の代理人として、現場を確認できる。状況も聞ける」
俺は淡々と言った。
「それを再現する」
「再現?」
「事件当日の写真に見えるものを撮る」
みずきの顔がこわばった。
「それ、捏造だよ」
「そうだね」
「バレたら終わるよ」
「そうだね、だから関わらなくていい」
(ちょうどいい、ここらでみずきには舞台を降りてもらおう)
彼女には荷が重すぎる。
「次、仲間外れにしようとしたら、耳噛みちぎるから」
「それは恐ろしい。しかしわざわざ犯罪の片棒を担ぐ必要はないよ」
「うるさい、続けて」
めぐみは何も言わず、こちらを見つめるだけ。
計画を説明する。
・写真の捏造
・フリーのカメラマンやライターにそれを譲渡
・週刊誌、ブログ、掲示板などに投下させる
めぐみが短く息を吐いた。
「完全に悪党の作戦だね」
「否定しない」
「その後は?」
「世間が播磨に攻撃をし出したら、面会する」
めぐみも思考している。
リスクを算出しているのだろう。
「ひとみさんは?」
「乗るさ」
その時、電話が鳴った。
画面には、水谷ひとみ。
通話を取る。
『メール見たか』
「ええ」
『胸糞悪いで。石津でほぼ間違いない』
「現場を見られますか」
『被害者の代理人やからな。見られる』
「では、今夜同行させてください」
数秒、沈黙。
『何かいい手思いついたんか?』
「ええ、直接話しますよ」
電話の向こうで、ひとみが小さく笑った。
『わかった。付き合ったるわ』
「まだ話してないですがね」
『わかる、捏造するんやろ。服と髪かも合わせてくわ』
「ふふ」
『何がおかしんや』
「いえいえ、ひとみさんなら同じことするのでは、と考えていたんですよ」
『お前みたいなイカれやろうと一緒にすんなや』
電話を切ると視線を感じる。
めぐみがこちらを見ている。
妙に冷たい目だった。




