第37話:接触_選別都市大阪編④
ーー大阪・久世事務所
播磨健二。
五十二歳。
全国法曹協会、関西支部理事。
テレビ出演多数。
人権派弁護士。
弱者救済。
冤罪被害者支援。
外国人労働者の権利保護。
女性支援団体の顧問。
肩書きだけ並べれば、立派なものだった。
画面の中の男は、壇上で穏やかに話していた。
白髪交じり。
細身のスーツ。
柔らかい目。
聞き取りやすい低い声。
『法は、強い者が弱い者を踏み潰さないためにある』
拍手。
『だからこそ、私たち法曹は、感情ではなく手続きを重んじなければなりません』
また拍手。
みずきがモニターを眺めながら呟く。
「表の顔、完璧だね」
「気持ち悪いくらい」
めぐみが短く返す。
俺は動画を見ながら、昨日の資料を思い出していた。
傷害。
恐喝。
窃盗。
性犯罪未遂。
そのほとんどが、不起訴。
担当弁護士、播磨健二。
「良いこと言ってるね」
めぐみが言う。
「そうだね。大半の人が喜ぶようなことばかり」
みずきがキーボードを叩く。
「播磨法律事務所の場所付近のカメラはいつでも確認できる」
モニターに地図やカメラ映像が表示される。
大阪市、”梅田”の高層ビル。
立地はいい。
入居企業もまともなものばかり。
表向きは、綺麗すぎる。
そして——儲かっている。
「接触方法は?」
めぐみが聞く。
「営業」
「営業?」
「弁護士事務所向けのWebセキュリティ診断。名目としては十分でしょ。君のテレアポでアポイント設定してほしい」
めぐみが頷き、準備に取り掛かる。
みずきが別の画面を開く。
「播磨法律事務所のホームページ、古いね。SSLはあるけど、問い合わせフォーム周りが少し雑。診断口実なら作れる」
「助かる」
「でも向こう、久世くんのこと知ってるかも」
「だろうね、載ってるし」
全国法曹協会のホームページ。
そこには、司法試験合格者は掲載されている。
その中に、俺の名前もある。
久世恒一。
若年司法試験合格者。
法曹登録前。
司法修習未了。
取得番号:xxxxxx
若くして司法試験に通ったのに、司法修習には進まず、いつまで経っても本登録を行わない。
知られていてもおかしくはない。
「向こうからしたら、変な若造だね」
みずきが言う。
「だからこそ、正面から行く」
裏から探れば、向こうの土俵だ。
まずは顔を見る。
話す。
声を聞く。
人間か、デポルか。
敵か、駒か。
少なくとも、見極める。
「一人で行くの?」
めぐみが聞く。
「挨拶と営業だからね」
(本来、こういうのはセキュリティエンジニアと同行するものだが…)
「せめて、GPSと盗聴はさせてね」
せめてのハードルが高い。
だが、頷いた。
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ーー大阪市_梅田・播磨法律事務所
受付は静かだった。
高級ホテルのような匂いがする。
磨かれた床。
観葉植物。
柔らかい照明。
法律事務所というより、会員制クラブに近い。
受付の女性に名刺を渡す。
『久世総合企画
代表 久世恒一
Web制作・セキュリティ診断・法務調査支援』
法律事務所ではない。
今の俺は、弁護士ではない。
司法試験には受かった。
だが、司法修習は受けていない。
弁護士登録もしていない。
だから、名刺には法律家らしい肩書きはない。
ただ、知られている可能性はある。
「久世総合企画の久世恒一と申します。本日、11時にアポイントを頂戴しております」
受付の女性は一瞬だけ目を細めた。
「少々お待ちください」
待合スペースに座る。
壁には感謝状が並んでいる。
人権団体。
福祉団体。
国際交流団体。
被害者支援団体。
笑えてくる。
どれも、正義の看板だ。
だが繋がりがあれば、こんなものはいくらでも用意できる。
そしてこれらに意味があるのか、定かではない。
「お待たせしました」
案内された部屋は広かった。
窓が大きい。
大阪の街がよく見える。
その街を背に、播磨健二が立っていた。
写真よりも柔らかい印象だった。
五十二歳。
白髪交じり。
細身のスーツ。
穏やかな目。
「初めまして。播磨です」
「久世恒一と申します」
握手。
手は温かい。
力も強くない。
人を安心させる手だった。
「お若いとは聞いていましたが、本当に若い」
播磨は微笑む。
「噂は聞いていますよ。司法試験に若くして合格したが、修習には進まず事業をしている、と」
「変わっているとはよく言われます」
「変わっているだけなら、法曹界では珍しくありません」
播磨は席を勧める。
「ただ、君の場合は目立つ」
「光栄です」
「褒めているかどうかは、まだ分かりませんよ」
柔らかい。
だが、隙がない。
コーヒーが出る。
香りがいい。
毒は入っていないだろう、が飲むのはよそう。
「それで、今日はWebセキュリティ診断でしたか」
「はい。弁護士事務所は個人情報、相談記録、事件資料を扱います。情報漏洩のリスクは高い」
「たしかに」
「簡易診断だけでも、と考えています」
「若いのに商売が上手い」
「ありがとうございます、生きるためです」
播磨は小さく笑った。
「正直でよろしい」
薄い会話。
探り合い。
相手は攻撃してこない。
こちらの腹も強く探ってこない。
ただ、受け流している。
「大阪は、どうですか」
播磨が聞く。
「とにかく人が多いですね」
「ええ。人が多い街です。だから問題も多い」
ここで仕掛ける。
「不起訴も多い、ですよね」
播磨の笑みは崩れなかった。
ほんのわずかに、目だけがこちらを見る。
「若い方は、数字を真っ直ぐ見すぎることがあります」
「確かに。しかし数字は嘘をつきません」
「嘘をつかない数字を、どう読むかで人は嘘をつきます」
滑らかだった。
言葉がうまい。
俺よりずっと。
「先生が担当された事件にも、不起訴が多いように見えました」
「調べてきたのですか」
「事前調査です。営業なので」
「なるほど。優秀な営業だ」
播磨はカップを置いた。
音はしない。
「久世くん」
呼び方が変わった。
「司法試験に通ったなら、なおさら分かるはずです。法は感情で動かすものではない」
静かな声。
だが、芯がある。
「登録もまだの若者が、正義を急ぎすぎるのは危うい」
「……」
「感情で正義を振り回す人間ほど、法を壊す」
(それは、法を扱う側だけの話だ)
「暴力に怒るのは自然です。犯罪に憤るのも自然です。しかし、法は怒りを処理する道具ではない」
(黙れ、冷静に言えるのは被害に遭っていない奴だけなんだよ)
怒りと表情を隠し、静かに脳内で反論する。
「弱者に見える者が加害者で、加害者に見える者が弱者であることもある」
「だから不起訴に?」
「だからこそ、手続きが必要なのです」
薄く笑っている。
いや。
笑っているように見えるだけだ。
この男は、表情を管理している。
「勉強になります」
「君は賢い。焦らないことです」
播磨はそう言って、名刺を差し出した。
「困ったことがあれば、いつでも」
受け取る。
白い名刺。
古風なフォント。
″播磨健二″
俺はその名前を見ながら思った。
(クソ野郎が)
この男は、嘘をついていない。
少なくとも、自分の中では。
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ーー播磨法律事務所・ビル外周
ビルを出る。
裏路地を歩く。
そこで、前から一人の男が歩いてきた。
スーツ。
細身。
こちらを見て、軽く笑う。
その顔を見た瞬間、足が止まった。
「……真壁」
男は、少しだけ嬉しそうに眉を上げる。
「覚えていてくれたんだね」
軽い声。
徳島の山中。
集落。
暗い部屋。
殺し合いの空気。
全部が一瞬で戻ってくる。
「昨日の手紙、あなたですよね」
「おっ、気づいてくれたんだね」
即答だった。
「カメラの前でニヤついていたのも」
「そうだよ」
あっさり。
「目的はなんだと思う?」
試すような目。
「大阪では、ここまで幅を利かせられるんだぞ、というアピールですかね」
真壁は笑う。
「君は本当に嫌な言い方をするね。しかし概ねその通り」
「大阪では、ネットワークやその改竄は簡単にできるんだ。そういう忠告とただの挨拶だよ」
真壁は壁にもたれる。
「君、大阪を舐めてたでしょ」
否定できない。
徳島とは違う。
それはもう嫌というほど分かっている。
「ここはね、力任せに殴っても終わらない。人も、金も、法も、政治も、全部絡んでる」
「だから手紙を?」
「からかい半分。親切半分」
「親切?」
真壁は軽く頷く。
「君がいきなり二階堂に突っ込んで死んだら困るから」
「誰が困るんですか」
「わかるだろう」
もちろんわかる。
確かめたのだ。
こいつが、どちら側なのか。
「うん。大阪に来たなら、そのうち必要になると思って」
真壁は内ポケットから、小さな紙片を取り出す。
電話番号。
「困ったら連絡して」
「なぜ?」
真壁はすぐには答えなかった。
一瞬周りを見渡す。
「歩きながら話そう」
なんの因果か、若者の街「梅田」を最も忌むべき種族。
デポルと並んで歩く。
「井口さんは、大阪に興味がある」
「大阪、そのものに?」
「まあ、そんなところ」
「……」
「二階堂は増やし、混ぜすぎてる。あれは管理じゃない」
真壁の声が、少しだけ低くなる。
「”浸透”だよ」
その言葉。
妙に重くのしかかる。
「井口と二階堂は、方向性が違う、と」
「それは本人たちから聞いた方がいい、いずれね」
「ただ一つ、朗報を」
真壁がこちらを見る。
「二階堂側は、君をまだ正確には掴んでない」
「……」
「播磨も同じ。今のところ、君は“若すぎる司法試験合格者”程度」
貴重な情報だが、信じていいものか。
こいつはかつての敵であり、今も敵だ。
停戦協定しているだけに過ぎない。
そんな俺の考えを見透かしてか、呆れ顔の真壁が続ける。
「だから言ったでしょ。君に死なれると困る」
「井口にとって、俺は駒だから」
真壁は少しだけ笑った。
「そうだ。ただし、かなり面白い駒」
即答。
「……」
「怒った?」
「いいえ」
こんなことに感情は必要ない。
合理性のもと、この情報の精度を測る。
「じゃあ、俺は行くよ。彼を突くなら気をつけて。あの人より、その周りに」
「周り?」
真壁は歩き出す。
すれ違いざま、耳元で囁く。
「大阪は、まだ一枚岩じゃない」
徳島で聞いた言葉に似ていた。
「君が誰を殺して、誰を残すか。楽しみにしてる」
足音が遠ざかる。
俺は振り返らなかった。
拳を握る。
播磨。
二階堂。
真壁。
井口。
線が繋がり始めている。
だが、それは俺が引いた線ではない。
誰かが先に張っていた網だ。
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ーー大阪・久世事務所
戻ると、めぐみとみずきが待っていた。
「収穫だったね」
めぐみが言う。
「その通り。真壁のこともあるからみずきにもわかるように話すよ」
・徳島での出来事
・真壁との会話の意味
・自分なりの考察
みずきが目を見開く。
「じゃあ、二階堂に全部バレてるわけじゃない?」
「少なくとも今は、違う可能性が高い」
めぐみは少し黙った。
「井口の仕込み?」
「どうだろう、しかし井口サイドが俺たちを利用することはあっても、嘘の情報を流す意味はない」
俺は真壁から渡された紙片を机に置く。
「困ったら連絡しろ、と」
みずきが眉をひそめる。
「気持ち悪い」
その通りだ。
めぐみが静かに言う。
「でも、使える」
「だね、カードの切り方を考えなくては」
分かっている。
分かっているが、腹が立つ。
徳島を出た。
大阪へ来た。
自分の盤面を作るつもりだった。
なのに——
「ここまで離れても、井口の掌の上か」
吐き捨てるように言う。
誰も返事をしない。
俺は紙片を見下ろした。
気に食わない。
だが、捨てられない。
それが、なおさら気に食わなかった。




