第32話:卒業
ーー久世フェーズ
徳島。
自宅兼事務所。
夜。
寒い。
その感覚で、目が覚めた。
部屋は薄暗い。
徐々に、暗闇へ目が慣れていく。
人の気配がした。
ゆっくりと、横を見る。
金色の髪。
加藤が、隣で眠っている。
(……なぜ)
状況を整理する。
俺は、ベッドの壁際へ追いやられている。
掛け布団も、ほとんど加藤に奪われていた。
ベッドの中央は、完全にこいつの領域だ。
腹立たしい。
一度、深く息を吸う。
記憶を辿った。
昨日。
加藤へ、すべてを話した。
俺が奪われてきたもの。
掠奪種の存在。
そして。
これから成し遂げようとしていること。
人生が二度目であることは、伏せた。
前世で、冴子さんが目の前で殺されたことも話していない。
集落で通信を切った件については。
合理的な判断だったと思っている。
加藤を巻き込めば。
守る対象が増える。
判断が鈍る。
俺一人で動く方が、成功率は高かった。
だが。
(殴られたな)
何度も。
しかも。
デポルに殴られるより、精神的には重かった。
理不尽だ。
(……心配していたのか?)
いや。
違う。
加藤の性格から考えれば。
あれは、裏切られたと思ったのだろう。
協力者だと言ったのに。
勝手に切り捨てられた。
そう受け取った。
その方が、しっくりくる。
改めて、隣を見る。
整った顔。
以前より、少し頬が痩せている。
目の下にも、わずかに影があった。
(……駄目だ)
こういうものを。
増やしてはいけない。
大切なものを持てば。
守れなかった時に、自分が壊れる。
それは。
すでに知っている。
「……俺は、まだ弱い」
思わず、声が漏れた。
「守れないのが、怖い」
その瞬間。
視線を感じた。
隣を見る。
加藤と、完全に目が合った。
「……先に言っておく」
何となく。
こちらが不利な空気を感じた。
「君が、勝手に俺のベッドへ入ってきた可能性が高い」
「……」
返事はない。
加藤は、こちらを見たまま動かない。
(なぜ、俺が悪い空気になっている)
視線を逸らそうとして。
気づいた。
俺の手を。
加藤が握っている。
「久世くん」
加藤が、静かに口を開く。
「いや」
一度、言葉を切った。
「恒一」
「はい」
反射的に答える。
「なぜ、急に呼び捨てなんですか」
「これからは、私のことをめぐみって呼んで」
拒否権はないらしい。
「それは構いませんけど」
握られた手を見る。
「なぜ?」
部屋の空気が。
妙に重い。
めぐみが、ゆっくりと口を開いた。
「さっきから、変な感覚がある」
「感覚?」
「断片的に、流れ込んできた」
視線が鋭くなる。
「恒一が見たもの」
少し考えるように、眉を寄せた。
「違う」
「経験してきたこと……かもしれない」
心臓が、わずかに跳ねた。
「殺し方だけじゃない」
めぐみは続ける。
「その時、何を感じていたのか」
「気のせいでは?」
「違う」
即答だった。
「怖がってた」
言葉が止まる。
「守れなかった記憶に、ずっと引きずられている」
何も答えない。
答えられない。
「それでも、前へ出てた」
めぐみは。
こちらの手を握ったまま、目を逸らさない。
「それから」
一瞬。
言葉を選ぶように、間が空いた。
「あれは、冴子さんだよね」
「……」
「病院に来ていた女の人」
逃げ場がなかった。
表情を変えないようにする。
精いっぱい。
何も感じていない顔を作った。
「……だから、何ですか」
「別に」
めぐみは、淡々と答えた。
「ただ」
また。
少しだけ、間を置く。
「一人でやろうとする理由は、理解した」
沈黙が落ちる。
視線を外した。
これ以上。
踏み込ませてはいけない。
そう思った時。
めぐみとの距離が、近づいた。
顔が、すぐ目の前まで来る。
作っていた表情は、あっさりと崩れた。
ーーめぐみフェーズ
(……なるほど)
隣で、落ち着かない様子の久世くんには悪いけれど。
私は、最初から起きていた。
隣にいる。
身体が触れそうなほど、距離が近い。
それだけではない。
残っている。
血の匂い。
骨が軋む音。
皮膚を裂く感触。
私が知らないはずの記憶が。
頭の奥へ、沈んでいる。
祝福の影響だろうか。
(……気持ち悪い)
薄く目を開ける。
久世恒一。
同じベッドにいる。
手も届く。
それなのに。
(遠いな)
記憶の中にいた時よりも。
今の方が、ずっと遠く感じる。
流れ込んできたものを整理する。
恐怖。
後悔。
迷い。
そして。
(……弱い)
結論は、すぐに出た。
身体は強い。
普通の人間では、到底たどり着けないほど。
けれど。
中身は脆い。
完全に壊れているわけではない。
壊れかけたまま。
無理やり立ち続けている。
だから。
人を切る。
関係を切る。
最初から、何も持たないようにする。
(守れなかった時に、自分が壊れるから)
理解はできる。
けれど。
(それでは、勝てない)
敵は多い。
狡猾で。
今も、どこかで増え続けている。
一人で、どうにかできる規模ではない。
このままなら。
(途中で死ぬ)
それだけではない。
(久世くんは、いつか折れる)
間違いない。
さっき見た心の中は。
長く持つようにはできていなかった。
呼吸を整える。
考える。
どうすればいい。
答えは。
すでに出ている。
(私が入る)
一人では無理なら。
一人で戦う構造そのものを変えればいい。
久世くんは。
(守る対象がいる時の方が、強い)
それは。
流れ込んできた記憶の中で見た。
中学生の頃。
病院にいた吉田姉妹を助けている。
自分のために戦う時とは、動きが違った。
覚悟も。
精度も。
何より。
前世ですら。
他人を守るために、自分の命を差し出している。
なら。
私が、その対象になればいい。
久世くんが。
私を切れなくなるようにする。
私がそばにいなければ。
困るようにする。
守らせる。
逃げられない距離で。
切れない関係で。
この人は。
自分から、人を切る。
なら。
(切れないようにすればいい)
それだけだ。
少し、距離を詰める。
「これからは、一人ではやらせない」
「断ります」
久世くんは、すぐに答えた。
「邪魔になる」
(やっぱり)
予想どおりだった。
「じゃあ、いい」
淡々と返す。
「勝手にするから」
久世くんの視線が。
わずかに動いた。
それで十分だった。
一緒に来るなとは言った。
けれど。
関わること自体を、否定したわけではない。
なら。
成立する。
さらに距離を詰める。
壁際まで追い込み、逃げ道を潰した。
「離れてください」
久世くんが、わずかに身体を引く。
「近いので」
私を押し返そうとする。
「大丈夫」
その手を掴んだ。
「勝手にしてるだけだから」
指を絡める。
触れる。
離さない。
久世くんの視線が揺れた。
ほんの一瞬。
それで。
確信した。
この人は。
壊れる前に、縛ればいい。
(もっと深く、繋げる)
明確な拒絶はない。
強く押し返すこともしない。
ただ。
どうすればいいのか分からず、戸惑っている。
なら。
決まりだ。
私は。
久世くんを使う。
この弱さを。
この歪みを。
この暴力を。
すべて。
そして今後、守るためだと言って。
私を遠ざけることも、一人で終わらせることも。
もう、許さない。
少なくとも。
この夜を境に。
もうこの距離が、開くことはない。
拒む理由も、守るための言い訳も、置き去りにさせる。
——少なくとも、この夜で。
私は、久世恒一を、“弱いままの自分”から一歩だけ踏み出させた。




