第30話:停戦協定_徳島侵蝕編⑧
徳島侵蝕編、最終話。
ーー徳島県庁・深夜
椅子に座らされている。
包帯。
止血。
雑な処置。
完全ではない。
痛みは残っている。
(……)
視線を上げる。
スーツの男がいた。
男は、煙草に火をつける。
「その状態で意識があるとはね」
紫煙が、ゆっくりと揺れる。
「本当に、人間かい?」
「さあ」
短く返す。
周囲を見渡す。
無機質に整えられた空間。
広いフロアに、机と椅子だけが浮いている。
男は、俺の向かいに立った。
「初めまして」
落ち着いた声だった。
「徳島県知事の井口おさむです」
一拍。
「そして、デポルだ」
(……)
点と線が、繋がる。
加藤の仮説。
徳島の違和感。
流入経路。
行政が動かない理由。
全てが、ここに収束する。
「……いい顔だ」
井口は、愉快そうに煙を吐いた。
「理解したようだね。とても優秀だ」
(優秀なのは、加藤だよ)
俺は黙って、井口を見る。
井口は、煙草の灰を落とした。
「さて」
灰が、灰皿の中で崩れる。
「単刀直入にいこう」
空気が変わる。
「私につけ」
短い言葉。
「さもなければ、ここで死ね」
静寂。
「選びたまえ」
(……圧が、強い)
喉が乾く。
汗が滲む。
だが、目は逸らさない。
「……話が見えないですね」
視線だけで、続きを促す。
真壁が、横から口を開いた。
「この前の話だよ」
「デポルをデポルで削る」
「君のデポルを殺したい欲と、途中までは利害が一致している」
(だから、そこが見えない)
井口が、一歩前に出る。
「デポルは増えすぎた」
低い声。
「今、日本にどれくらいいると思う?」
「……」
「君が殺した数の、三百倍」
「……約六万」
「いい読みだ」
六万。
想定より、多い。
デポルは、奪う。
金も。
物も。
戸籍も。
そして、人間の身体すら。
子を産ませ、数を増やす。
その数と頻度が増えるほど、繁殖は加速する。
(害虫どもが)
だが。
(関係ない)
井口が続ける。
「君はデポルを殺す」
煙が揺れる。
「私はデポルを管理する」
一拍。
「衝突しているようで、実は重なっている」
「どこがですか」
「制御できない個体は、いずれ社会を壊す」
静かな声だった。
「君が殺しているのは、そういう個体だ」
井口は、自分の胸元に指を添える。
「一方で、我々のように制御できる側もいる」
「……」
否定はしない。
デポルにも種類がある。
それは、これまでの戦いで嫌というほど見てきた。
本能のまま奪う個体。
群れる個体。
支配する個体。
人間のふりが上手い個体。
だが。
全部、同じだ。
「だから、提案だ」
井口の声が、わずかに低くなる。
「私につけ」
真壁も黙る。
「理由は?」
「君を敵に回すには、コストが高い」
一拍。
「そして、使った方が早い」
(合理的だ)
嫌になるほど。
「……」
「条件は三つ」
井口は、指を立てた。
「一つ。私のルートには手を出さない」
「二つ。暴走個体の処理は、君に任せる」
「三つ。情報は共有する」
そして、井口は笑う。
「その代わり、君の活動は黙認する」
沈黙。
痛みが、少し遅れて戻ってくる。
「少なくとも一つ目は見逃せないですね」
「そうだろうね」
井口は、楽しそうに頷いた。
「だから、先に君の目的を聞きたい」
「目的?」
「どうして、デポルを根絶したい?」
言葉が、静かに置かれる。
「その背景を教えてくれないか」
沈黙。
(背景、か)
脳裏に浮かぶ。
前世の夜。
血。
川沿い。
冴子さん。
自分の無力。
そして、二度目の人生で積み上がった怒り。
「奪われたからです」
声が、思ったより低く出た。
「俺の全てを」
それだけ言う。
空気が、わずかに重くなる。
井口は、煙草を持ったまま、しばらく黙っていた。
「……なるほど」
煙が、揺れる。
「何を奪われたかまでは聞くまい」
その視線だけが、こちらを探っている。
「だから、種として排除か」
「そうです」
「無理だよ」
即答だった。
「だから、変える」
視線を上げる。
「俺が法を変える」
沈黙。
「デポルを、合法的に殺せるようにする」
静寂。
煙が、ゆっくり昇る。
井口の目が、初めてわずかに変わった。
「本気か?」
「はい」
一切、揺れない。
「人間を巻き込んでもか?」
「はい」
「味方も減る」
「はい」
「四面楚歌になる」
「はい」
「死ぬまで続くぞ」
「殺し続けます」
間。
井口は、小さく笑った。
それは、愉快そうで。
どこか、感心したようでもあった。
「……いい」
煙草を灰皿に押しつける。
「実にいい」
真壁が、ぼそりと言った。
「……頭おかしいな」
「同類だよ」
井口は、こちらを見る。
「君の方が、よほど大悪党だ。いや、成し遂げられれば魔王だな」
沈黙。
その言葉に、反論はしない。
井口が手を差し出す。
「停戦にしよう」
「……」
「大悪党の、魔王の成れの果てが、見たくなった」
血の匂い。
煙草の匂い。
消毒液の匂い。
すべてが混ざる。
「じゃあ、これで成立だ」
俺は井口の手を見た。
握らない。
ただ、言う。
「加藤とひとみには、手を出さないでくださいね」
井口は、差し出した手を下ろす。
「もちろんだ」
一拍。
「君の逆鱗には、触れたくないからね」
静かな声。
「これで、徳島は静かになる」
井口は愉快そうに、新しい煙草を取り出した。
火が灯る。
紫煙が上がる。
(……これで、終わった)
完全ではない。
どころか、不完全燃焼だ。
一晩で、六十近くは殺した。
だが、全てを防げたわけではない。
逃した数。
残った数。
これから増える数。
終わりは、見えない。
そして。
(……もう一つ)
思考が止まる。
直近の懸念。
加藤ベアトリクスめぐみ。
通信を、切った。
あのまま。
説明もせず。
何も残さず。
(……どうする)
言い訳は、いくらでも浮かぶ。
だが。
納得する顔は、浮かばない。
(……言い負かされる未来しか見えない)
小さく息を吐く。
デポルよりも厄介な問題が、一つ、残っていた。
徳島侵蝕編、最終話。
お付き合いいただきありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。
この世にデポルはいると思いますか?
私はいると思っています。
そして、既に侵蝕されていると思います。
次は少し挟んで、別編が始まります。




