第32話:卒業
〈前編〉
ーー久世自宅兼事務所_夜
寒い。
目が覚めた。
部屋が薄暗い。
徐々に目が慣れてくる。
——人の気配。
ゆっくり横を見る。
金髪の女が、隣にいる。
(……何故)
状況を整理する。
俺は壁際に追いやられている。
布団もほとんどない。
ベッドの中心は、完全にこいつの領域だ。
……腹立たしい。
深呼吸。
記憶を辿る。
今朝、加藤と話した。
過去。
奪われたもの。
デポル。
そして——野望。
人生が二回目であることや冴子さんが目の前で殺されたことは伏せた。
通信を切った件。
合理的判断だった。
だが——
(殴られたな)
しかも、デポルより重かった。
……理不尽だ。
(……心配、か?)
いや違う。
加藤の性格的に「裏切り」だ。
そう思ったのだろう。
そっちの方がしっくりくる。
隣を見る。
整った顔。
少しやつれている。
(……)
ダメだ。
こういうのは。
大切なものを増やすな。
守れなかった時、壊れる。
それは——もう知っている。
「……俺は、まだ弱い」
思わず口に出る。
「守れないのが、怖い」
——視線。
加藤を見る。
完全に目が合った。
「……先に言う。君がベッドに入ってきた可能性が高い」
沈黙。
「……」
「……(なぜ俺が悪い空気なんだ)」
加藤は無言のまま、こちらの手を見ている。
握られている。
「久世くん。いや——恒一」
「はい。何故呼び捨て?」
「これからは“めぐみ”って呼んで」
拒否権はないらしい。
「はぁ。それはいいけど何故?」
空気が妙に重い。
加藤が口を開く。
「——さっきから、変な感覚がある」
「感覚?」
「断片的に、流れ込んできた」
視線が鋭い。
「恒一の見たもの。いや経験してきたこと…かも」
一拍。
「殺し方だけじゃない」
もう一拍。
「——その時、何を思ってたか」
心臓が、わずかに跳ねる。
「気のせいでは?」
「違う」
即答。
「怖がってた」
言葉が止まる。
「守れなかった記憶に、引きずられている」
黙る。
「それでも前に出てた。そしてあれは——冴子さん。病院であった女の子だね」
逃げ場がない。
精一杯ポーカーフェイスを気取る。
「……だから何」
「別に」
淡々としている。
「ただ——」
一瞬だけ言葉を切る。
「一人でやろうとする理由は、理解した」
沈黙。
視線を外す。
これ以上踏み込ませるな。
そう思った時——
距離が、近づいた。
ポーカーフェイスはあっさり崩れた。
〈後編〉
(……なるほど)
横でゴソゴソ動いている久世くんには悪いが、実は起きていた。
隣にいる。
距離が近い。
それだけじゃない。
——残っている。
血の匂い。
骨の軋む音。
皮膚を裂く感触。
知らないはずの記憶が、頭の奥に沈んでいる。
ベアトリクス(力)の恩恵…?
(……気持ち悪い)
薄め目で横を見る。
久世恒一。
同じ場所にいるのに——
(遠いな)
あの中にいた時より、よほど遠い。
整理する。
恐怖。
後悔。
躊躇い。
そして——
(……弱い)
結論は一瞬だった。
物理的には強い。
でも、中身は脆い。
壊れてはいない。
壊れかけている。
だから——
切る。
関係を。
最初から持たないように。
(守れなかった時、自分が壊れるから)
理解はできる。
でも——
(それじゃ勝てない)
敵は多い。
狡猾。
増え続ける。
一人でどうにかなる規模じゃない。
(途中で死ぬ)
しかも——
(こいつは折れる)
確実に。
今見た内側は、長く持たない。
思考する。
呼吸を整える。
(……なら、どうする)
答えは出ている。
(私が入る)
一人で無理なら、構造を変える。
この男は——
(守る対象がある時の方が強い)
それは見た。
中学時代、病院であった吉田姉妹を助けている。
精度が違う。
そもそも、″前世″ですら、他人のために犠牲になっている。
なら——
私がそれになればいい。
依存させる。
私がそばにいないとダメなように。
自然に繋がる。
守らせるんだ。
逃げられない距離で。
切れない関係で。
この男は切る側だ。
なら——
(切れないようにする)
それだけ。
距離を詰める。
「これからは、一人ではやらせない」
「断ります。邪魔になる」
即答。
(やっぱり)
「じゃあいい」
淡々と返す。
「勝手にする」
わずかに視線が動く。
それで十分。
(関与は拒否しない)
なら成立する。
さらに距離を詰め、逃げ場を潰す。
「離れて、近いので」
押し返そうとする。
「大丈夫。勝手にしてるだけだから」
手を伸ばす。
触れる。
離さない。
視線が揺れる。
ほんの一瞬。
(確信)
この男は——
壊れる前に、縛ればいい。
(もっと深く、繋げる)
拒絶はない。
止めもしない。
というより戸惑っている。
なら——決まりだ。
私は、この男を使う。
この弱さを。
この歪みを。
全部。
この距離は、開くことはない。
拒む理由も、守るための言い訳も、置き去りにさせる。
——少なくとも、この夜で。
私は、久世恒一を、“弱いままの自分”から一歩だけ踏み出させた。




