第28話:闇_徳島侵蝕編⑥
ーー徳島・山中
風が止んでいる。
血の匂いだけが残る。
『……本当、だと思う?』
無線の向こう。
加藤の声。
答えない。
視線は、暗い山の奥に向いている。
別ルート。
同数。
上陸済み。
頭の中で、静かに繋がる。
「ひとみさん」
『んー?』
軽い声。
「大阪から兵庫を経由して徳島へ。流入は今も続いている可能性がありますか」
一拍。
『あると思うで』
即答だった。
『ルート、完全には潰れてへんしな。船も陸も、抜け道なんていくらでもある』
「そうですよね」
短く返す。
『どうするんや?』
沈黙。
数秒。
「今から関西へ連れて行ってください。帰りは一人で大丈夫です」
加藤が息を呑む。
『ちょっと待って、それ……』
通信を切る。
ノイズだけが残った。
・
・
・
車内。
深夜。
エンジン音だけが、やけに響く。
徐々に、兵庫が近づいてくる。
ひとみは、横目でこちらを見る。
「加藤、めっちゃ怒るで」
「そうですね」
自分の声に、感情が乗っていない。
ひとみは、前を見たまま鼻で笑った。
「で、どうするつもりなん?」
「最初の上陸の時の船です。見覚えがあります」
「船?」
「消えかかった印字が残っていました。明石の釣り船屋です」
ひとみが、わずかに目を細める。
「当たりやとしてもやで? 一人で突っ込んで勝てる相手ちゃうで」
「明石海峡の橋の下で降ろしてください」
夜の海が近づく。
しばらく、沈黙が落ちた。
「……自分勝手やな、けどそれでこそや」
車が止まる。
「ありがとうございました」
ドアを開ける。
振り返らない。
背中に、ひとみの声が届く。
「私は追わへんで」
「はい」
「こっちには、後始末がある」
「お願いします」
「死んだら請求書、墓に貼ったるからな」
「銭ゲバ女」
軽口の形をしていた。
だが、ひとみの声は笑っていなかった。
俺は、そのまま夜へ踏み出した。
・
・
・
ーー兵庫・明石。
夜。
潮の匂い。
波の音。
人影。
複数。
(……殺せ)
右手に警棒。
左手にナイフ。
(殺せ)
足が前に出る。
(全部)
「……ナンダ、オマエ?」
何もさせない。
一人目。
喉。
警棒を振り抜く。
二人目。
足を払う。
身体の軸が崩れたところへ、首に刃を入れる。
三人目。
背後から来る。
振り返らず、肘を叩き込む。
歯が砕ける感触。
「コイツ、シマアラシジャ……!」
言い切る前に、殴りつける。
転倒。
踏みつける。
骨が鳴る。
次。
次。
次。
息が荒くなる。
視界が揺れる。
それでも、止まらなかった。
止める気も、なかった。
・
・
・
静寂。
波の音だけが戻る。
夥しい返り血。
倒れた身体。
「……」
肩で息をする。
全身が、ひどく痛む。
抵抗が激しかった。
数も多かった。
相当数は殺しきれた。
だが、限界が近い。
「……大丈夫です」
息が、乱れる。
「殺さないですよ。人間なら」
船の陰から、男が出てくる。
白髪の老人。
震えている。
「ワ、ワシは、ここの釣り船屋の……」
「分かりました」
遮る。
今、自己紹介はいらない。
「なぜデポルを運んでいるんですか」
老人は、息も絶え絶えに話す。
「脅された。逆らえば殺すと……」
「誰にですか?」
「名前は分からん。だが、余裕のありそうな男じゃった」
(……真壁か、それ以外か)
「お前さん……こいつらを……」
「ええ」
老人は、息を呑む。
「……若いのに、ようやるな」
沈黙。
老人の視線が、足元の死体へ落ちる。
それから、俺へ戻る。
「全部話す」
短く言った。
「ワシが知っとること、全部」
「その代わり、ですか」
老人の唇が震える。
「このままやと、ワシも殺される。家族もおる」
しばらく、老人は目を伏せた。
「逃げ場がないんじゃ」
「知っていることを全部話してください」
老人が顔を上げる。
「その後、俺を徳島へ戻してください」
「徳島へ……?」
「それが終わったら、船は全部壊されたことにしてください」
老人は、言葉を失う。
俺は続ける。
「運ぶための船がなければ、もう運べない」
「……」
「脅されたとしても、物理的に無理なら言い訳になる。少なくとも、今日これ以上は運べない」
老人は、青ざめたまま唾を飲み込んだ。
「ワシの船を、全部……」
沈黙。
波の音が、隙間を埋める。
やがて、老人は小さく頷いた。
・
・
・
船上。
夜の海。
波に揺られながら、情報を聞き出す。
一か月。
複数ルート。
総数、二百。
「……五十は、もう徳島に入っとる」
俺は目を閉じる。
遅い。
だが。
(関係ない)
「続けてください」
老人の声は震えていた。
それでも、止まらない。
運んだ人数。
使われた船。
集合場所。
時間帯。
連絡役。
そして、次の上陸予定。
「夜明け前じゃ」
老人は、低く言った。
「もう一組、来る」
・
・
・
再上陸。
徳島。
夜明け前。
雨。
身体が重い。
腕が上がらない。
本当なら、ここで休むべきだった。
だが、止まらない。
止めたくない。
簡易の船着場。
十名ほど。
視線がぶつかる。
次の瞬間、船が加速した。
「突っ込め!」
老人が、歯を食いしばる。
船が、岸へ乗り上げる勢いで突っ込む。
鈍い衝撃。
悲鳴。
数人が、濡れた地面へ転がる。
俺は、そのまま跳ぶ。
よろめきながらも着地する。
そして、すぐに動き出す。
一人。
顔面。
叩き潰す。
二人。
ナイフ。
腹。
首。
三人目。
殴られる。
視界が揺れる。
四人。
五人。
六人。
囲まれる。
蹴り。
殴打。
衝撃。
ナイフが落ちる。
次に、警棒が手から滑った。
膝が折れる。
それでも、立とうとする。
殴られる。
また倒れる。
(……)
痛みが遠い。
雨の音だけが残る。
視界が暗くなる。
(……また、奪われるのか)
殴打。
蹴り。
音が遠ざかる。
(……終われるかよ)
意識が、落ちた。




