第26話:罠の外側_徳島侵蝕編④
ーー逃走デポルフェーズ
山中。
闇の中。
息が、切れる。
足がもつれる。
何度も転びそうになる。
(ナンダ……アレハ……!)
脳裏に焼き付いた光景。
一方的な殺戮。
(ニンゲン、ジャナイ……)
喉が震える。
(キイテイタハナシト、チガウ……!)
上陸すれば、仲間がいる。
自由に暮らせる。
選挙の時だけ、指示に従え。
そう言われて来た。
戸籍も。
名前も。
住む場所も。
用意されていると。
(ナゼダ……)
歯が鳴る。
(ナゼ、コロサレル……)
枝を踏む。
音が、やけに大きく響いた。
「……マカベ……」
声が漏れる。
「マカベ……ドコダ……」
その時。
「うるさいな」
背後。
振り返る。
闇の中に、男がいた。
「ヒッ……!」
逃げようとした瞬間、視界がずれた。
遅れて、理解する。
(キレ——)
血が溢れる。
崩れ落ちる体を一瞥し、男はしゃがむ。
「……かかったな。シマ荒らし」
小さく呟く。
ポケットから、小さな機器を取り出す。
点滅。
小型の発信機。
「へぇ」
軽く笑う。
「拠点を突き止めるつもりだったのか」
男は立ち上がる。
発信機を壊さない。
そのまま持つ。
そして、闇の奥へ歩き出した。
「案内しようじゃないか」
・
・
・
ーー久世フェーズ
山中。
集落跡。
静まり返った空気。
民家。
灯りは、ない。
(……ここか)
受信機の点滅が、強くなる。
俺は足を止める。
その瞬間。
「遅かったね」
声。
正面。
街灯もないのに、そこだけ輪郭がある。
男が立っていた。
「発信機、ちゃんと受け取ったよ」
男は、小型の発信機を軽く振って見せる。
壊していない。
(……加藤が言ってた罠、か)
俺は一歩だけ距離を詰める。
「なるほど。のこのこやってきた俺を、袋叩きにするつもりなんですね」
「袋叩きなんてできないよ。君が全部殺したんじゃないか」
男は、薄く笑う。
「久世恒一くん」
(……最悪のシナリオだな)
バレるのが早すぎる。
男は肩をすくめる。
「話したかった」
一拍。
「殺すだけなら、今じゃなくていい」
沈黙。
風が、抜ける。
「君、シマ荒らしでしょ? デポル狩りと言った方が分かりやすいか」
否定はしない。
「デポル、殺したいんだよね。何かあったの?」
「……」
男は、少しだけ笑う。
「答えたくないならいいさ」
一拍。
「じゃあ、協力しない?」
「協力?」
「利害、一致してると思うんだけど」
軽い口調。
だが目は、真っ直ぐだった。
「お前もデポルだろ」
「そうだよ」
即答。
「でもさ、デポルって一枚岩じゃないんだよね」
少しだけ、男は視線を逸らす。
「俺も、ああいう本能だけのやつらは嫌いなんだよ」
視線が戻る。
「むしろ、排除したい側」
沈黙。
耳元で、微かなノイズ。
加藤の息が聞こえる。
(……加藤が聞いている)
失念していた。
今さら通信を切っても遅い。
男は続ける。
「君がやってること、効率悪いよ。一人で全部殺すつもり?」
「……ええ。そのつもりですよ」
「無理だよ」
即答だった。
「数、見えてないでしょ?」
「……」
男が一歩、踏み込む。
「俺たちと組めば、デポルをデポルで削ることができる」
(俺たち、ね)
空気が、わずかに歪む。
「選別もできる」
「無駄も減る」
「デポルを減らしたいんだよね。いや、君の場合は全てを消し去りたいのかな?」
その言葉。
無線の向こうで、息が止まる気配がした。
(……こんな形ではっきり知られるとは)
俺は目を細める。
「リスクが高すぎる」
「ん?」
「あんたが言っていることの整合性を取る術がない」
「そう?」
「デポルを消すことに繋がる保証もない」
間。
男は、少しだけ笑った。
「そっか」
軽く頷く。
「まあ、そう来るよね」
沈黙。
そして。
「じゃあ、もう一つ」
男の声色が、少しだけ変わる。
「実は先日、君に頭を蹴られてね。覚えてる?」
「……」
「その腹いせに、今回のこれ」
周囲を示す。
「罠だよ」
「でしょうね」
「君と話すためのね」
一拍。
「残念。そっちは不成立か」
男は肩をすくめる。
風が吹く。
視線が、鋭くなる。
「ここは防げてよかったね」
沈黙。
「ここは……?」
「君がここで二十体くらい処理してる間に」
間。
「別ルートでも通してるんだ」
空気が、止まる。
「同じくらいの数。今頃、別の岸に上がってる」
さらに、男は笑った。
「用意された名前で、用意された家に入る」
無線の向こう。
加藤が、息を呑む。
「……」
俺は動かない。
男は、静かに一歩下がる。
「さて」
闇が、男の輪郭を薄くしていく。
「これからも、防げるのかな?」
沈黙。
そのまま、気配が薄れていく。
闇に溶けるように、男の姿が消えた。
舌打ちしそうになるのを抑え、天を仰ぐ。
無線に、加藤の声が入る。
『久世くん……聞きたいことは色々あるけど、まずは撤退しよう』
「……調査してからな」
『久世くん、入らないで。そこ、まだ罠の中かもしれない』
「……」
『久世くん』
「ひとみさん。この集落に警察が来るようにしてください」
『匿名で投げる。場所だけ寄越し』
「送ります」
加藤は、少し黙った。
『……本当だと思う?』
「……」
視線を、周囲へ向ける。
民家。
扉を開ける。
古い木が、軋む。
中は、荒れていた。
生活の痕跡。
だが、途中で途切れている。
血の跡。
乾いて、黒い。
(……殺されてる、か)
別の家。
同じ。
また別の家。
同じ。
(全部か)
息を吐く。
受信機を見る。
もう、光っていない。
「ひとみさんと合流して撤退する」
『……うん』
風が吹く。
血の匂いは、もう薄い。
だが、消えてはいない。
(侵蝕は、進んでる)
一歩、踏み出す。
ひとみと合流するために。
(意味がない)
これじゃ、意味がない。
何人殺しても。
奪われたものは、戻らない。
「……だからどうした」
吐き捨てる。
戻らないなら。
せめて、同じだけ奪う。
それでも足りないなら、もっと奪うさ。
(俺の中で何かが、決壊しそうだ)
それが何なのか。
今の俺だけには、分からなかった。




